27:新たな死者

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27:新たな死者

 雨が降っていたそうだ。  大雨だったという。  第一発見者は小泉芳治(こいずみよしじ)さんという七十代の男性で、被害者である鳩子(はとこ)さんの旦那様だった。小泉さん宅では戦前から、家の裏手にある山肌を掘って作られた防空壕を食料保管庫として使っていて、その時も丁度夕食用の野菜を取りに裏庭へ出ていたそうである。家の中から電源を引いて、防空壕内にも照明が点くようになっているそうだが、一般家庭で使用される3路スイッチではなく、家の中だけでしか照明の入り切りが出来ない仕組みだったという。芳治さんはたびたび照明をつけ忘れたまま裏庭に出てしまい、大声で奥様を呼んでスイッチの電源を入れてもらっていたそうだ。だがこの日は運悪く、雨の音が強くて一切周りの音が聞こえなかった。どれだけ芳治さんが叫んでも、家の中の奥様に声は届かなかった。それはつまり、家の中の音も、芳治さんには聞こえなかったということだ。 「現場を見たがなぁ、声を失ったよ。ひでえもんだった」  と近藤さんは言う。  通報を受けて駆け付けたのは双蛇村でひとつしかない交番に勤務する、槌岡(つちおか)という名の年嵩の巡査部長で、その時は偶然近藤さんとお茶を飲んでいた。現場である小泉さん宅を訪れた二人は、茶の間で放心している芳治さんと変わり果てた鳩子さんの姿を発見した。だが初め、一見してそこに鳩子さんがいると分からなかったそうだ。茶の間は血の海で、やたらと散らかっていた。ちゃぶ台の上にはコンロにセットされた鍋と食材が置かれており、その上にもおびただしい量の血が飛んでいた。畳敷きの茶の間にはその他座布団や毛布などがあるだけだったが、不思議と印象だった。だがよく見れば、散らかっていると見えたのは血に塗れバラバラの肉塊と化した鳩子さんの身体だったのだ。通報者は芳治さんで間違いなかったが、近藤さんと槌岡巡査部長が駆けつけた時には意志薄弱で、まともに口を利くことも出来なくなっていた。 「最初に通報があった時にな、妻が死んでいる、理由は分からない、と言ったそうだ。近所の連中の話じゃこの芳治ってのはまだボケてもいなかったそうだし、今でも自分で畑を耕して食う分の野菜を作ってたそうだ。今は無理だが、普段から話の出来ない様子でもなかった」  近藤さんは僕にかけてきた電話の終わりに、こう付け加えた。「新開。念のために古井さんに聞いたんだが……鳩子さんの野辺送りは行われないそうだよ」  どくん、と心臓が跳ねた。  意外だった。  いや意外というよりも、何故だ、という激しい動揺に鼓動が高まるのを感じた。まだ僕は双蛇村について詳しい実体を掴んではいなかったが、古来より行われているというこの村独自の野辺送りを、と思ったのだ。倫理観を優先するなら、むろん死んだ人間を生き返らせる儀式など行っていいわけがない。だが倫理観なんてものは、生きて平静を保っている人々の間でしか作用しないものだと僕は知っている。僕が芳治さんと同じ立場なら、まず間違いなく家族を生きらせようとするだろう。可能不可能の話など二の次である。結果どうなってしまうかなど考えられなくなって、遮二無二神に祈るだろう。だが、芳治さんは野辺送りをしないという。  柊木さんとともに双蛇村入りしたのは事件があった日の翌日、午後六時を回った頃だった。 「どういうことでしょうか」  近藤さんの依頼人である古井トキさんの家に車を停めさせてもらった。車を降りて辺りを見回しながら言った柊木さんの第一声が、それである。「どうしてこんな……」  、である。  一日経っているとはいえ、惨たらしいバラバラ殺人事件が起きたのだ。当然、県警の捜査一課が現場と言わず村全体を駆けずり回っている筈だった。それなのに、村は僕が初めて訪れた時同様、異常なくらい静かだった。 「おお」  古井家の中から近藤さんが出て来た。いつもの通り、眼鏡のレンズを指の腹で直に拭きながら。すると、 「お疲れさまです近藤さん、あの」  と柊木さんが話を急いだ。 「おお、元気そうじゃないか、前室長殿。敬礼」 「いや、近藤さんそうじゃなくって」 「不思議なんだろ」 「……」 「この村の静けさが」  言われ、柊木さんはその場でゆっくりと回転しながら、夕暮れに染まる村の風景に目を凝らした。 「まさか、初動捜査よりも私たちの方が早く着いちゃったなんてことないですよね? 事件は昨日ですよね」 「ああ、所轄も県警も来ねえよ。捜査は行われない」  柊木さんの困惑した目が隣に立つ僕を見やり、 「……はい?」  そして近藤さんへと戻った。 「説明するよ、だがその前に新開」  近藤さんの睨むような目が僕に狙いを定めた。いや、僕と言うより……。「お前が抱え持ってるその薄気味悪い箱は何だ。お前、?」  言わずもがな、チョウジのベテラン職員近藤護もまたその身に霊力を有していた。  古井さん宅にお邪魔させてもらい、小泉鳩子さん殺害事件についての話を聞くことになった。僕と柊木さんがこの双蛇村を目指した理由は他にあったのだが、確認した所目的の人物は現在所用で村にはいなかった。野辺送りの土葬導師として双蛇村入りしていた、六代目 飯綱瑞兆さんである。僕は彼女に専門的な知識を拝借したくてはるばるY県まで車を飛ばしたわけだが、待っていたのは十代の少女ではなく凄惨極まる猟奇殺人だった。 「捜査が行われないというのはどういう意味ですか」  と、まずは柊木さんが一番気になっていた事柄を尋ねた。  近藤さんは言う。 「小泉鳩子さんという名のこの村の住人が死んだ。おそらく殺された。だが、被害届は出ないし捜査も行われない。そのままの意味だ」 「他殺体が発見されて遺族の通報があったんですよね。この村の巡査部長と共に近藤さんが目視で現場を確認していて、被害届もなにもありませんよね」  改めて近藤さんに問うような内容ではない。しかし近藤さんは真面目な顔で頷いて、困惑する柊木さんから僕へと視線を移した。 「まさか」  言うと、 「ああ」  無精髭を撫でな摩りながら近藤さんは答えた。「勘のいいお前のこった、言わなくても気付くだろうと思ったぜ」 「なんですか」  二度目、と柊木さんが疑問形で呟いた。 「ヤコ」  近藤さんは昔懐かしい愛称で柊木さんを呼んだ。彼女は以前、偽名である井垣哉子(いがきやこ)という名を使ってチョウジ職員の任務に就いていた。 「はあ」 「この村で死んだ人間はな、ある特別な儀式の末に……蘇るんだよ」  近藤さんの簡潔な説明に、柊木さんは何も答えなかった。視線だけを宙に彷徨わせつつ、必死に答えを探しているのだと分かった。近藤さんの語った非現実的な超常現象を鼻先であしらわない辺りはさすがと言える。だが、理解するまでにはそれなりの時間を必要とした。 「……可能ですか」  と柊木さんは言い、その視線が僕を捉えた。 「どの点がですか」  と問い返すと、 「儀式によって、ということは再現可能ということですよね。誰がやっても同じ結果を導き出せるとしたら、これ……国がひっくり返るレベルの話ですけど」  柊木さんは不安気に眉尻を下げてそう答えた。 「待て待て待て、ヤコ、そう先を急ぐな」  と近藤さんが止めた。「まずはそういった事象が起きる村だ、という前提で話を聞いてくれりゃあいい。実際俺もまだ、この双蛇村でのことは調査中なんだ」 「ど、道理で全然帰ってこないわけですよ!」  と柊木さんが嘆いた。「どうなってんだあの人ってずっと山田が怒ってるんですから。もう私は外の人間なんですからね、きちんと連絡くらい入れて下さいってば」 「そうは言うがはっきりした事実が分からん状態で何を報告すりゃいいってんだ。俺ならそんな連絡もらったって反応に困るぜ」 「安否確認の意味だってあるんですから、昔からそう言ってるじゃないですか!」 「そうは言うがよ」  まあまあまあまあまあ……。  どうして僕が、と思いつつ間に入って止めた。今はそんな不毛なやり取りをしている場合ではないのだ。 「近藤さん、つまり鳩子さんは一度死んで蘇った人物であると。だから、二度死んだ人間に対して殺人事件の捜査は行われない……こういうことですか」  問うと、 「ああ」  と近藤さんは若干怒ったような声を出した。「言ったろ、野辺送りは行われないって。殺人捜査所じゃない、どういう死に方をしたところではないんだ。戸籍上既に死んだ人間なんだから、遺族にしたって何にも言いようがない」  つまり双蛇村の死人帰りは、本質的な生き返りではないと思われる。あくまでも死者を呼び戻す技法であって、かつての二神七権がやって見せたような死を真っ向から否定する奇跡ではないわけだ。 「でもそれって……ゾ」  言いかけた柊木さんの言葉尻を引っ手繰るように、 「ゾンビじゃねえ。そんな不完全なホラーモドキじゃねえ」  と近藤さんは言った。「生きてる人間とほとんど見分けはつかねえよ。話も出来るし意思疎通がとれるんだ。飯も食うし屁も出す。そんなゾンビがいるか?」 「いませんよ。いませんけど」  そもそも生き返る人間がいない。それを、いくら過疎化の進んだ限界集落とはいえ村レベルでやってのけるなど、一体どんなカラクリがあると言うんだ。  ――― 何をすればそこまで完成度の高い死者が出来上がる?  とそこへ、僕たちが言い争うような勢いで話をしていた居間の襖が開き、お盆に三人分の湯呑を乗せた古井さんが戻って来た。柊木さんが立ち上がってそれを手伝い、僕たちの前に温かい緑茶が並ぶ。古井さんはどこへ腰を下ろすべきが視線を彷徨わせ、近藤さんの隣へ行こうと食卓の向こう側へ回った所で僕を見た。 「……」  視線が定まり、「……は」と彼女の口が開いた。 「どうされました?」  首を傾げて僕がそう問うと、 「はあ、それ」  古井さんが僕の背後を指さした。「どうしてあなた様が、その箱を?」  ……箱。 「え」  僕は自分の身体に隠れるように箱を置いていた。西田家から持ち帰った木箱だ。肌身離さず持っていようと決めた手前車に放置するのが嫌で、悪いと思いつつも古井家に持ち込んだ。見る人が見ればすぐに骨箱と分かるだろうから、なるべくバレないようにと体の後ろへ回し込んでいたのだが、ものの数秒で見つかってしまった。 「おう、俺もさっきからずっとそれが気になってる」  と近藤さんまでじろじろと見やる。  古井家の前で「何かしたのか」と言われた時は肝が冷えたが、その時は適当にはぐらかした。それより先に尋ねたい話があったからだ。だが今は家主が直々に聞いているのだ、すっとぼけるわけにはいかなかった。ただし、違和感はあった。 「どうしてその箱をって……古井さんは、こちらの箱が何だかご存知なんですか?」  骨箱、と答えるならば正常だ。だがそれ以外の答えを口にするならこの話の矛先がまるで違って来る。 「お前の術がかかってやしないか?」  と近藤さんが問うた。 「ええ」  と僕は頷く。「陣之内さんの現場から持ち帰って来ました。ワケありで」 「萌の? ……血判かそれ、なんでそんなにべたべたと」  近藤さんは、箱の蓋や側面に押した僕の血印の多さに驚いて言った。通常、所有者の烙印である血判は一ヶ所で事足りる。なんなら血を使った印でなくとも、ボールペンで書いたサインだって問題はない。要は効力の強さの度合いであり、血判は制約にかかる強制力では最大とされている。その押印を僕は六面体すべての側面に施していた。見た目には箱の至る所に血の汚れがあるわけだから、当然美しいとは言い難い。そもそもひとつでいい血判を同物体に六ヶ所。その箱に何をした、と近藤さんが尋ねた理由はこの辺りにも関係している。 「はあ」  と柊木さんが溜息をつく。「だからあれ程連絡は密にと……」 「おいおいおい、やけに絡んでくるねえ、室長殿。敬礼」 「近藤さん」  呆れ果てる柊木さんを手で制しながら、 「古井さん」  と僕は家主へと話を戻した。「以前、どこかでこれと似たようなものを見たことがおありですか?」  問うと、 「へえ」  古井さんは両肩をすぼめて体を小さくしながら、その場に膝を折って座った。「そいつぁ、誰のもんで?」 「あ、いや、すみません、それは明かせません。別件ですし、とても個人的な問題でもあるので」  答えると、古井さんは俯き加減に視線を下げたまま、 「はあ、でもォ、いずれ分かりますがねえ」  と、そう言った。  僕は一瞬何を言われたのか分からず、 「……は」  と言葉にならない声を発した。  古井さんの視線がチラリと僕を見て、また下がる。 「この村にはもうあんまり人は残っていませんもんでねえ、いずれは、黙っとかれましても風に乗って話は耳に入って来ますもんでねえ」 「え、いや、違いますよ。この箱は双蛇村の村人とは関係ありません。場所は言えませんが、さっき東京から僕が持って来たものですから」  言うと、再び古井さんの視線が持ち上がった。小さな黒目が、僕の身体を通過して箱を見据えた。 「……いんやぁ。この村でしょう?」 「……はい?」  ぞっとした。  何を勘違いしているのか知らないが、決して押し出しの強い人には見えない古井さんから異様な程の自信が感じられた。違うと言っているにも関わらず、彼女は西田家から出た骨箱を双蛇村所縁の品と決めつけて譲らない。  僕の隣で、柊木さんがフルルと体を震わせたのが分かった。  
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