29:彼女らが見たもの 1

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29:彼女らが見たもの 1

「……あの人のことだから無事だとは思うんですが、何せこちらもどう動いて良いか分からずで」 「申し訳ない、早急に何らかの手を打つよ」 「お願いします」  東京に戻ってすぐ、高品くんからの連絡を受けた。内容は、天正堂から派遣した助っ人と連絡が取れなくなった、というものだった。高品くんは現在、負傷した山田信夫に代わって各現場の進捗状況や安全確保などを把握する目的で、どうしても自分の持ち場を離れることが多くなっていた。高品くんの現場は、例の口を閉ざした少女・住友周(すみともしゅう)さんの住まう垂水団地である。僕はチョウジの人手不足を補う意味で、土井代表の承諾を得て数名の拝み屋を各現場に派遣していた。教団教祖失踪事件には兎谷虹鱒(とがいにじます)を、蟹江彩子を依頼人とするドッペルゲンガー事件には上杉奉禅(うえすぎほうぜん)を送り込んだ。ところが高品くん不在の間、周さんについて彼女の置かれた状況を精査する筈の拝み屋と、二日前から連絡が取れなくなっているという。僕が頭を下げて依頼した人物の名は、山賀鉄庵(やまがてつあん)。個人宅にお邪魔して十代の少女に張り付くことを想定し、女性である山賀さんを頼った。山賀さんは四十代のベテラン呪い師で、本業は占い師だ。天正堂における表側の看板として、丸子直路に告ぐ功績を収める団体の若き重鎮である。かなりヘビーな喫煙者であり少々見た目が特徴的、ということ以外全く不安要素のない高位霊能者として土井代表からの信頼も厚く、高品君も山賀さんの現場入りをかなり喜んでいた。それなのに……である。  むろん、僕が携帯電話を鳴らしても山賀さんが出ることはなかった。すぐさま土井代表に相談し、事態の収拾に勤めるとの約束を取り付けた。 「朝からすみませんでした。では、よろしくおねがいします」 「新開さん、今君はどちらに?」  電話を切ろうとした僕の耳に、土井代表の落ち着いた声が滑り込んで来た。僕は慌てて携帯を耳元に戻し、 「何でしょう」  と尋ねた。 「東京には戻りましたね?」 「ええ、今からチョウジの、北城くんの現場であるサンシャインパレスに向かう所です」 「君ねえ」 「ああ、柊木さんを連れ回してしまって申し訳ありませんでした」 「そんなこと言ってるんじゃありません」 「良いのか悪いのか、事件解決に向けて進展が見られると同時に、出て来てほしくない真実がぬりかべのようにぐわんと立ち上がって来るようでして……」 「新開さん」 「それでも」 「落ち着きなさい、君」 「……」 「ヤコから既に聞いていると思います。君のその口調から察するに、私からも小言を聞かされると思い先手を打っているつもりなんでしょうが、そうはいきませんよ」 「……はあ」 「今日は帰って休みなさい」 「いやいやいやいや」 「休みなさい」 「……いやいやいやいや、無理ですよ」 「何が無理なものか。今日は何の日ですか?」 「な、何の日!? 何の日、ですか」 「はぁ……君はいつからそんな風に一人きりで歩くようになっていたんだ?」 「へ」 「別にベッドの上でじっと寝ていろとは言いませんよ。ですが今日は家に帰って、身体を休めつつ心に従いなさい」 「すみません、正直何を言われているのやら全く」 「これは天正堂階位・第二からの命令です」 「……」 「……」 「分かりました。では、お言葉に甘えて」  その直後、北城くんと高品くんに詫びの電話を入れた。せっかく東京に戻ったのだから、出来れば今日中にふたつの現場を再度訪れておきたかった。特にサンシャインパレスの矢沢誠二さん宅に現れた、黒井七永と同じ顔を持つ女の映像は強烈だった。こちらから接触を図ることは無理でも、それでも現場に立って何か肌で感じるものはないかと確かめたかったのだ。僕は学生時代に一度、しもつげむらで姿七永と遭遇している。あの時の感覚は今でも忘れることが出来ない。当時イケイケのチョウジ職員だった坂東さんの両目を破壊し、僕の背後に立った時のあの感覚。形を伴った死の存在をあれ程間近に感じることはそうそうない。だからこそ僕は今一度…… 「あれ、お父さんだ」  自宅玄関の扉を開けた途端、そう言われて我に返った。目の前に成留が立っていた。今まさに家を出る所だったらしい。家の奥から妻も出て来た。 「おはよう……行ってらっしゃい」 「行ってきます。なんか変なの、お父さんがこの時間に外から帰って来るなんて。ねえ、お母さん」  そうだね、と答える妻は気まずそうに視線を下げた。僕が朝一番に帰宅する理由を、誰よりもよく分かっているのが妻だった。 「今日お父さん仕事は? どこ?」 「どこ。いや、今日は……休みになった」 「え!? 待って、じゃあ私のダンスとかも全部見られちゃうわけ!?」  ――― ダンス。 「そ」  はっとした。まさか言われるまで成留の運動会を忘れていたことに気が付けないなんて。2012年から2016年にかけて、家族と離れて過ごした四年間、僕はずっと娘のことを考えていた……それなのに。土井代表から今日は何の日ですかと聞かれて答えられなかった自分を殺してやりたい気分だった。 「いつからそんな風に、一人きりで歩くようになっていたんだ」  その言葉の意味が、今になって僕の心臓を突き刺した。 「うん。全部見るよ。成留が出る運動会の種目。全部見る」  何とかそれだけ答えると、 「やーだー!」  びっくりするぐらい大きな声を上げ、成留は笑顔で外に飛び出して行った。残された僕は妻の前でどんな顔をしてよいか分からず、ゆっくりと頭を下げた。  成留の通う学校の敷地へ足を踏み入れてから夜遅くになるまで、この日に限っては何故か僕の携帯電話が一切音を立てなかった。いつ何時だろうと甲高い電子音を鳴り響かせて僕を驚かせてきたあの音が、まるで示し合わせたように沈黙し続けたのだ。他の父兄がいる手前電源を切ろうとも思ったし、サイレント設定にすべきだとも頭では分かっていた。だが予想以上に騒がしいグラウンドの端っこで人込みに紛れている間、誰からどんな急用で電話がかかって来るのか分からない。そう思うと、SOSかもしれない着信に気付けないことがとても怖かくて、電話を普段通りの状態にしていた。しかし、電話は一切鳴らなかった。壊れたのかと思い何度も確認したが、そんな様子でもない。もしこれが柊木さんや土井代表の粋な計らいだとするなら頭が下がる、しかし、却って僕は他の現場のことが気になってしかたがなかった。あーしてくれこーしてくれと言われた方が、断る選択肢がある分気が楽だった。だが情報を全く断たれてしまうと、今現在木虎先生はどうしているのか、西田家の一件はどうなったのか、彼らの出身地は判明したのか、そして近藤さんのいる双蛇村の調査はどうなったのか……と、そんなことばかりを考えてしまうのだ。  途中、成留がグラウンドに出て来て彼女の出場する種目が始まりそうになると、妻が僕の袖を引いてそれを教えてくれた。僕はずっとグラウンドを見ていたが、成留が出て来たことにも気付かぬくらい上の空だったそうだ。 「すみません」  僕は何度も妻に謝り、妻はその度に僕の脇腹に小さく肘鉄を入れて微笑んだ。 「駄目……本当にそう言ったんですか?」  改めて聞くと、住友周さんの母・綾子さんは涙ながらに頷いた。ハンカチで顔を覆いながら、久しぶりに娘の声が聞けた、と言って喜んだ。  結局、行方を眩ませた山賀鉄庵(やまがてつあん)とは連絡がつかないまま、高品くんの現場へと赴いた。今現在も別の人員を手配中だが、腕の立つ拝み屋はいるものの気配りの出来る女性という条件がなかなかの足枷となっている、と土井代表も頭を悩ませていた。むさ苦しいと言っては失礼だが、ひと癖もふた癖もある中年男が大半を占める天正堂において、やはり山賀さんは替えの利かない別格の存在だったと痛感するはめになった。 「動きがありました」  僕の顔を見るなり高品くんは言い、垂水団地の住友家玄関から僕の身体を遠ざけた。二人して廊下の端まで戻り、階段踊り場にて話を聞く。 「実は自分も今さっき聞いたんですが、山賀さんと連絡が取れなくなった日の前日、周さんが喋ったそうなんです」  ――― 駄目。 「たった二言ですが」 「今は?」  問うと、高品くんは頭を振って、「聞いたのは綾子さんですが、その後彼女や自分が話しかけてもやはり、うんともすんとも言いません」 「それでも、喋れることは分かったんだ。それだけでも進歩だよ」 「母親の証言が噓や勘違いでなければいいですが」 「そうだね。でも……」  僕は階段の一番上に立ってその場で一回転する。視線を上や下へと巡らせ、神経を研ぎ澄ませてみた。だがやはり、この垂水団地26棟に足を踏み入れた時から感じた異変は、僕の思い過ごしではなさそうだった。 「空気、明らかによくなってるよね?」  確認の意味も込めて尋ねると、 「そうなんですよ」  と高品くんは興奮気味に頷いた。「自分、どっちかって言ったらこっちの方が驚きでした。周さんが喋ったこととも無関係ではないんじゃないでしょうか」 「うん、そうかもれしれないね」  初めて周さんと対峙した時、26棟に停滞する淀んだ空気の発生源が彼女であることに気がついた。周さんが話をしないこととどのような関係があるかまでは分からなかったにせよ、物理的な、あるいは精神的な理由で彼女が口を閉ざしているわけではない、ということは察せられた。住友周さんは確実に何某の霊障被害に巻き込まれている。口を閉ざしているのがその結果なのか、周さん自身の意志なのか。そこにこの事件の鍵が潜んでいると僕は考えていた。 「高品くん、もう一度、綾子さんと話をさせてもらっていいかな?」  言うと、高品くんは意外そうな顔で、 「周さんではなく?」  と聞き直した。 「うん」 「それはもちろん、新開さんのお好きなように動いてもらって構いませんが、今日は周さんとは会わないんですか?」 「会うよ。会うけど、話をする・しないという切っ掛けが周さん自身の中にあるんなら、今日僕がここで無理やりそれを引き出す意味はあまり無さそうだ。団地内の空気が不思議と浄化されているのは気になるけど、そこも踏まえて一度綾子さんと話がしたい」 「分かりました。でも、手強いですよ」 「だよねえ」  綾子さんは終始ハンカチで顔を覆っていた。まるで僕に顔を見られたくないのかと勘繰りたくなる程、ずっとだった。そして、 「すみません、せっかく来ていただいたのに、泣いてばっかりで」  卑屈攻撃が始まる。  僕は単純に、周さんが久方ぶりに口を開いた時の状況を詳しく尋ねたかっただけなのだけれど、 「私の接し方がいけなかったんです」 「あの子の父親も家を空けがちで」 「やはり寂しかったのかもしれません」 「だけど本当は、普段はとても明るくていい子だったんです」 「よく笑ういい子で、こんな私にも優しくて」 「愚痴も言わず、勉強も頑張ってやってました」 「それなのに」 「私が駄目な母親であるばっかりに」  まるで成留に対する僕の父親としての在り方を責められているような、怒涛のネガティブワードが一方的にばら撒かれた。おそらく、広い家ではない為別室の周さんにも綾子さんの言葉は聞こえているだろう。周さんのことを健気に褒めてはいるが、実際には子どもの心にはそのままの意味で届くまい。何故なら綾子さんが褒めているのは、あくまでも以前の周さんだからだ。母親としての自分を卑下しつつ、同時に今現在の周さんをも否定しているのだから。 「お母さん」  僕は思い切って綾子さんの言葉を遮った。 「すみません、すみません」 「こちらに、山賀鉄庵という女性霊能者がやって来たと思います」 「すみません、はい、すみません」 「どのような印象を持たれましたか?」 「は、は、それはもう、聡明な方で、お美しくて、ええ、あの、ええ」 「……他には?」 「は、すみません、ええっと、あと、ええっと、あの、御髪(おぐし)が……」 「そうですね、彼女は丸坊主にしていますから、さぞかし驚かれたでしょうね」 「いえいえ滅相もございません、とてもお綺麗な方でした!」 「話をされましたか?」 「はい、はい、いたしました、すみません」 「ここ数日はこちらに姿を見せていないと聞きました。いい加減なことです。立場上、僕としては彼女に大目玉を喰らわせてやりたいと思っているわけなんですが……」 「いえいえいえいえ!そんな!そんなぁ、は……おやめになってくださいましね、ええ、そんなのは駄目ですよ。ええ、一度でも来ていただいただけで嬉しかったですから」 「……」 「それにあのう、ええ、高品さんも来ていただいておりますし」 「お母さん」 「はい、はい、すみません」 「その山賀ですが、彼女が来なくなる前日に、周さんは『駄目』と仰ったそうですね」 「はい、はい」 「駄目……本当にそう言ったんですか?」 「はい、それはもう、はい。久しぶりに娘の声が聞けたものですから、大喜びいたしまして、はい、すみません」 「その時お母さんは周さんの側にいらしたわけですね?」 「はい、いえ、部屋にはおりました」 「周さんはいつものように窓辺に座って外を見ていた?」 「はい、はい」 「彼女の視線は上向きでしたか、下向きでしたか」 「……」 「……どうです?」 「すみません!すみません!すみません!」 「覚えていらっしゃらない?」 「すみません!すみません!すみません!」 「大丈夫ですよお母さん。ちなみに、その山賀はこちらに来なくなるまでは、きちんと周さんの側におりましたか? ふらふら遊んでなかったですか?」 「いえ!そんなことは決してありません!あの日も周の側に座って同じように窓の外を向いていらしたものですから!」 「……あの日?」 「……すみません」 「いつの事ですか?」 「すみません、日付は……」 「何曜日でしたか?」 「すみません」 「外は晴れていましたか? 雨が降っていましたか?」 「……晴れていました」 「そうですか。分かりました。色々質問ばかりしてすみませんでした。今日はこれで失礼します。帰りに、少しだけ周さんとお話させてもらってもよろしいですか」 「ええ、どうぞどうぞ、すみません、ありがとうございます」  綾子さんは何度も詫びの言葉を口にし、涙を流し、ハンカチで両目を拭っていた。  怖かったのは、ここまで卑屈な態度を取り続けたにも関わらず、綾子さんは目の前に座った僕の顔を一度も見なかったのだ。初対面の時もそうだった。考えてみれば、僕はまだ綾子さんの顔をまともに見たことがないかもしれない。  
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