31:現る 1

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31:現る 1

 新開水留の依頼人が死んだ。  その事実は天正堂、そしてチョウジに瞬く間に伝わった。依頼を受けてからほんの一週間での出来事だった。腫れ物に触るように周囲の人々が距離を取り、それが僕を責めない代わりであるかのごとく、誰もがその件については何も聞いて来なかった。  蟹江彩子さんの死の原因は僕にある。事件を解決に導くどころか、概要を理解することさえ叶わぬまま僕は彼女を死なせてしまったのだ。医学的な死因は老衰と判断された。しかし、であるからこそ、彼女の死に謎の男が持っていた呪物=人間の肉片が関わっていることは間違いないのだろうし、検査の結果蟹江さんの身体に異常が見られなかったことで気を抜き、注意を怠った僕の責任は甚大である。  九里先生は、謎の組織片として僕が持ち込んだものを調べて人肉であるとの答えを出した。そのことについて先生は、もっと突っ込んだ検査を繰り返すべきだったと言って僕に頭を下げた。だが、そんなことを先生に望んでいいわけがなかった。友人とは言え、九里先生は自身も忙しくされている大病院の医師である。ただでさえ目まぐるしく過ぎゆく日々の中で、合間を縫って僕の持ち込んだ謎の物体を優先して検査してくれただけで感謝すべきことなのだ。  悔やんでも悔やみきれないのは、この僕の方だった。  信夫から頼ってもらえたことで有頂天になり、色んな現場をしたり顔で渡り歩いた。望まれてもいないうちから調子に乗って意見なんぞ述べ、さも自分の担当する事件であるかのように振舞っていた。 「どこまで愚かなんだ」    ――― 私は……もう、なんていうか、引いちゃうくらい怖がりで、わーわーわーわー叫んでた昔の新開さんも好きですよ。実際あなたは上手くやって行けるんだと思います。でも、上手く立ち回ろうなんてしないでください。 「幻子。僕は……」  真夜中の住宅街をひとり下を向いて歩いた。仕事用のマンションで例の肉片=呪物に異変はないかと確認した、その帰り道だった。僕が最初に持ち込んだ時、肉片は腐敗もなく、今まさに人体から千切り取ったような赤黒さで濡れていた。だがこの時、もともとそう大きくもなかった肉片は乾いてさらに縮こまり、水分を失い、僕の目の前で死んだ蟹江さん同様儚く萎れ切っていた。僕はその肉片を見た時、蟹江彩子の死を再び突き付けられた気がした。  ――― 新開さん。ありがとう。アイス美味しかった。  歩くことさえ出来なくなって、電柱の影に身を隠すようにしてしゃがみ込んだ。  ドッペルゲンガーに出会ったしまった人間は、死ぬ。そういう都市伝説があることは知っている。あの時上杉奉禅の見た黒い影が謎の男ではなく京町泰人だったとしても、やはり蟹江さんの死に関係している可能性は大いにあるのだろう。何にせよ、このまま依頼人死亡でこの件を終りにすることは出来なかった。  ――― 信じてくれて嬉しかった。あとのこと、よろしくお願いします。  僕は声を殺して泣いて、泣いて、そしてゆっくりと立ち上がった。 「終わらせてなるものか」  僕は上着の懐から携帯を取り出し、電話を一本かけた。「……新開です。ええ、ええ、はい。そうです。ひとつ、お願いがあります」  パン・華が退院した。  信夫からの伝言で、垂水団地の近くで謎の男の目撃証言が出た、という情報を伝える為にわざわざ電話をかけて来てくれた。住友周さんが住んでいる垂水団地は、蟹江さんのマンションや彼女が初めて襲われた住宅街とも距離があるため意外ではあったが、公安の捜査網に引っかかるということは少なくともまだ奴は東京にいるということだ。それが分かっただけでも救いだった。 「ありがとう」  と言って電話を切ろうとすると、 「新開さん」  と華ちゃんは僕を呼び止めた。「……室長が、泣きながら自分を責めていました」 「……」 「例の男をとっ捕まえると約束したのはこの私だ、それなのにって」 「いや、これはそういう問題ではないんだよ。僕が」 「新開さん」 「……」 「少なくともチョウジは、誰一人、あなたの失態だなんて思っていません。私たちは皆、今、全員が自分を戒めています」 「華ちゃん」 「こんな言い方をしては亡くなった蟹江さんに申し訳が立ちませんが、全員火がついたようになっています。もう、あなたの手を借りなくとも済むように、私たち一人一人が……私たち一人一人が……ッ。すみません!」  電話は切れ、僕の耳には華ちゃんの涙に震えた声がいつまでも残った。  その女性は雪のように真っ白く長い髪を持っていた。帽子も被らず特に髪形を作っていたわけでもないというから、すれ違う人々は皆振り返ったことだろう。美しさも極まれば時には恐れさえ人の心に芽生えさせる。その女性の顔立ちや居住まいに現れる美しさは、まさにその域にまで到達していた。  もう何度も会っているというのに、エレベーターの扉が開いて彼女が下り立った瞬間、北城くんは無意識に後退ったそうだ。息を呑み、喉を鳴らし、身体の後ろへ回した両手はワナワナと宙を掴もうとした。恐れを抱く程の美しさ、そして本能に呼びかける高位霊能者としての威厳が北城くんをググイと押しやったのである。 「お疲れ様です」  言われた時も、 「お、おう」  北城くんはそう返すので精一杯だったという。サンシャインパレス、807号室。北城省吾の担当する事案の現場に、この日、曽我部青南(そがべせいなん)が到着した。  青南さんに関してはいくつかの捕捉説明が必要である。まず、何故彼女がチョウジの臨時職員としてここにいるのか、という点について触れておくべきだろう。  2016年(平成28年)に起きた「六文銭事件」。あれからまだたった二年しか経過していない為、覚えておられる方も多いはずだ。あの事件の渦中、青南さんは兄・与一(よいち)くんを人質に取られ、敵勢力の傀儡として僕たちのもとへ送り込まれて来た。その現場で青南さんは、当時人気占い師としてTV業界で活躍していた「めめちゃん」こと村瀬甘利(むらせあまり)を殺めてしまう。青南さんには明らかな殺意があり、村瀬氏の絶命を目的に現場へとやって来た。本来ならば、彼女が自由の身としてチョウジの現場を歩ける筈がない。ただ、実際その瞬間を目の当たりにしたわけではないものの、同現場にはこの僕もいた。そして、チョウジ前室長である柊木夜行も同席していたのである。このことが、曽我部青南の行く末を決定付けたと言えるだろう。何より、殺された村瀬甘利自身が己の最期を予見し、 「私はここで死ななければならないのです。そうせねばならないのです。理由はいずれあなた方にも分かる時がくる」  そう語り、青南さんに殺される未来を受け入れていた。これが最善の手である、とも言っていた。  「六文銭事件」終幕後、青南さんは自らの罪を受け入れてチョウジに出頭した。だが、肉親の命を天秤にかけられた上での凶行という事実を鑑み、法を司る側であるチョウジとしても、大上段に構えて断罪執行に打って出ることは出来なかった。そこで前に進み出たのが、現室長・山田信夫だった。信夫は万年人手不足の秘密部署で青南さんを預かろうと進言し、上役には、 「うちも危険な仕事ですから……ねえ。ある意味、こいつは懲役なんぞよりもよっぽど」  そう声を潜めたという。この話を柊木さんから聞いた時、僕は憤慨した。だが青南さん自身が強くチョウジ入り(臨時職員だが)を希望しているとも聞いたし、なんならその後実際に彼女が現場へ赴いたのはこの二年間でたった四回だという話も聞いた。半年に一度のペースで現場に立つことが刑罰たり得るかどうかは考え方次第だと思うが、今にして思えば確実にこの計らいは信夫なりの優しさだったのだろう。  ただ、本当は、チョウジの誰もが曽我部青南の持つ霊能者としての力量に一目置いていた。もっとたくさん現場に入ってくれ、そうも思っていたようである。僕は直接は高品くんとしか話をしていないが、 「室長が裁量権を持たせないんですよ」  そう彼が愚痴っているのを聞いている。「彼女の人格を信じてないとかじゃないと思います。もちろん危うさはありますけどね。法と正義よりも家族の命を取る人間だと分かってるわけなんで、また同じ場面が起きた時、結果は火を見るより明らかです。でも……人間なんて最後は皆そうじゃありません? うちに合ってるかどうかは分かりませんけど、使える逸材を放置しておくのは、私は勿体ないと思っちゃいますね」  その後室長補佐となる男がここまで言うのだから、彼より下の人間はほぼ全員同じように考えていてもおかしくはない。そうなるとやはり、柊木さんや信夫の判断は青南さんに対する優しさと見て間違いないだろう。だがここへ来てついに、不世出の霊能者・曽我部青南が乞われる形で現場へと降り立ったのである。 「新開さんはどのように?」  廊下を歩きながら、青南さんは北城くんに聞いたそうだ。一度現場を訪れた僕が、その時どんな判断を下していたのかを。 「答えを急く人じゃないからねえ、そう言う意味ではまだ答えとしては何も」  と北城くんは正直に答えた。「ただ、警察と共同で捜査を進めていながらほとんど進展らしい進展はないからねえ、おそらく自分は、人ならざる者の関与が疑わしいと思うんだよねえ」  すると青南さんは足を止め、 「何を根拠にそう仰いますの?」  と北城くんを見上げたそうだ。北城くんは気圧されながらも、 「いや、だって下(フロント)で警官がエレベーターの使用をずっと監視しててだよ、それでもいきなりこの階のあれ、今さっき君が下りてきたかごから出て来る所をカメラに押さえられてるんだよ。普通の人間にそんな真似出来るかい? むろん、例の女がこのマンションに住んでないことは調査済みだ」 「やりようはあると思います。つい先日北城さんのスマホでその女の写真撮影に成功したと聞いていますわ。それでも人ではないと言い張るんですの?」 「い、言い張るって何だよその言い方。別に決めつけてなんかいないってば。疑わしいと言ってるんだよ」  北城くんは、真っすぐな目で自分を見上げる曽我部家出身の高位霊能者に対し、 「……じゃあ君は、違うと思ってるの?」  と意見を求めた。  青南さんは前に向き直り、 「それは今日、これから自分で判断しますわ」  と答えたそうだ。  北城くんは後にこの時の青南さんとの会話を振り返り、僕に本音を漏らした。…… 本気でおっかないと思いました。自分、あの人超怖いんですよね、と。  僕も何度か青南さんとは話をしたことがある。確かに、やや浮世離れした雰囲気がある。いかにもお嬢様然とした口調に持ち前の美貌が重なり、近付きがたい女性であることは認める。だがそのことにはきちんとした理由があって、青南さん本来の人格はとても穏やかで優しい人である。ただ、生まれ付いた家の特性もあってか、自己犠牲の精神が強く感も鋭い(参考資料、『骨落』)。時に気持ちが爆発するような興奮状態に陥る事もあると言うし、見た目に反して意外と物静かな北城くんの腰が引けてしまうのも、致し方ないことなのかもしれない。  依頼人である矢沢誠二さんなどは、突如現れた青南さんを見て二つの意味で驚いた、という。 「一瞬、あの女が入って来たのかと思った」  だそうだ。だが青南さんの髪が真っ白いのを見て別人であると理解し、安堵しつつも、見えないバリアによって他者との隔たりを設けているかのような彼女の態度に、余計と好奇心をそそられたようだ。  同世代の、美しい女性の来訪が単純に嬉しかったのかもしれない。しかし、眉間に皺を寄せた男たちが寄ってたかって事件を解決できないのだ。矢沢さんにとってみれば青南さんは、新たな光明に見えたのだろうと僕にはそう思えた。 「音楽、良ければ止めてもらえます?」  その夜、玄関前の廊下にて正座した青南さんは、何かと自分の世話を焼こうとする矢沢さんに向かってそう言ったそうだ。この時、室内にはBGMとしてジャズが流れていたという。 「おい、何言ってる」  と北城君は苦言を呈した。依頼人が自分の家でどんな風に過ごそうが自由である。仮にその場にいたなら、僕のような拝み屋は依頼人の自由を妨げるような発言はほぼしない。だが青南さんの立場は、臨時とは言え警視庁公安部、広域超事象諜報課の職員である。彼女にしてみればおそらく、 「捜査にご協力を」  ということだったのだろう。だが北城くんがそれを許さなかった。彼は、矢沢さんが抱く恐怖と不安、その根深さを嫌というほど知っていたからだ。部屋に流れるBGMにしたって、何も青南さんがやって来たからかけているわけではないのだ。 「曽我部さん、君ねえ」  だが、青南さんは北城くんの忠告を最後まで聞こうともしなかった。 「静かにしてくださいまし、と言っているだけですわ」 「だから」  ……。 「え?」  矢沢さんの手から空のワイングラスが落ちた。 「音を消してくださいまし。例の女が、階段を登ってまいります」  
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