37:罠

1/1
前へ
/109ページ
次へ

37:罠

 槌岡巡査部長は追い詰められていた。 「誰がいい。誰にする。この村に長年勤めるあんたに任せよう」  そう言って、近藤さんから残酷な判断を強いられたという。  近藤さんは正体不明の猟奇殺人犯に対し、今自分たちに出来ることは逃げの一手だと断言したそうだ。そして双蛇村にいる死人帰りの村人四名に、村から出てチョウジの保護下に入るよう説得した。その上で近藤さんは、犯人に対してと言った。その罠とは、 「誰かひとりだけ村に残す。犯人の目的が無差別殺人でなく野辺送りから戻って来た人間を殺すことなら、逃げた三人を追う前に必ず残ったひとりを殺しに来る。全員揃って逃げ出す手筈が、どうしても事情があって一日二日遅れてしまう、そういう人物をこちらで用意するんだ。……誰がいい」  指紋で汚れた眼鏡のレンズの向こうで、近藤さんの至極真剣な目が槌岡巡査部長を睨んでいた。 「そ、そう言われても」  選べるはずがなかった。犯人がどういう人物であるにせよ、罠を張って待ち構えるこちらだって五十を超えた中年男がたった二人いるだけなのだ。相手は殺した人間の身体をバラバラにする狂気と凶器を合わせ持っている。選んだが最後、残されたその村人も高確率で血祭りにあう。選べるはずがないではないか。 「私が残ります」  集会が解散となった後、古井家に戻って来た近藤さんと槌岡巡査部長のやりとりを小耳に挟んだ古井トキさんが、そう言って手をあげた。 「今から牛尾さんとこの慶介さん家に向かわれるんでしょう。なら私もついてって、おいおいと泣き崩れましょう。そうしてそのまま、私はどこへもいかん、そうやって居座るのはどうでしょうな」  しかし、 「いや、違うんだ」  と近藤さんは首を横に振った。「村人全員が出で行くわけじゃない。あくまでも避難してもらうのは野辺送りをして戻って来た者たちだけだ。古井さんが逃げ遅れた村人として一芝居打ったところで犯人も、じゃああんたを襲う、とはならないよ」  すると古井さんは、 「へえ、分かっとります」  と答えた。近藤さんは動揺したように、 「じゃあ何だ」  と聞いた。 「牛尾家に嫁いで慶介さんの嫁になったのは私の妹です。名前はサダ、私らは双子ですけえ。それに」  古井さんの答えに、近藤さんは驚いた様子で槌岡巡査部長を見た。頷き返す巡査部長から古井さんへと視線を戻した近藤さんは、 「……まさか、そのサダさんてのも」  と問いかけた。「じゃあ、牛尾ってのは」 「ご存知だと思ってました」  か細く呟いた古井さんの悲愴な告白に、近藤さんは眩暈を起こしたように苦し気な顔で、 「本当にいいのかよ」  と聞いたそうだ。「あんた、一度死んだ妹の身代わりになろうってのか」 「夫に先立たれました。この世にもう未練はありません」  古井さんはそう答え、近藤さんは頷いた。  車の運転が出来る人間にハンドルを握らせ、ボロボロの軽自動車に死人帰りの三人を乗せて双蛇村から出立したのはその日の夜遅く。にも関わらず村民総出で賑々しく見送ったのはこれも近藤さんの案で、村内に潜んでいると思われる殺人犯の気を引く目的があったという。よく見れば車内の人数が四人で、うち死人帰りの該当者が三人であることは見る者が見れば分かる。逃げ去る顔触れの中に死人帰りがひとり足りないと分かるや、殺人犯は残るひとりを村中探して回るだろうとの算段だった。  ただしこの計画にはひとつ問題があった。本来村に居残る筈の死人帰りは、当然殺人犯に狙われる囮の役目を担っている。その役目を古井トキさんが買って出た為、双蛇村の死人帰り最後のひとりである牛尾サダさんは、犯人に見つからぬよう村のどこかに身を顰める必要があった。 「別の車で、こっそり村を抜け出してもらうってのはどうだ」  近藤さんが提案すると、古井さんは頭を振って、 「無理です」  とあっさり否定した。「車の運転が出来ません」 「免許を持ってないのか、サダさんは」 「そうではなくて」  と古井さんは答えた。「アレらは、信号が判別出来ませんから」  近藤さんは答えず、真顔で、しばし黙った。  やがて、 「何だって?」  と聞いたそうだ。古井さんの言った言葉の意味を理解出来ない様子だったという。側で聞いていた槌岡巡査部長が、ああああ、と溜息に近い声を発すると、 「何だ」  と再度近藤さんが聞いた。 「これも、ご存知なかったですか」  と古井さんは言った。「野辺送りから戻って来たアレらは皆、と言われとります。つまり、色盲になるんです。ですから信号の色が判別出来ず、車で街へ出た途端事故を起こしてしまうでしょう」      柊木さんが到着した時、双蛇村はとても静かだった。  時刻は正午過ぎ。  この頃には近藤さんと槌岡巡査部長指導のもと、とっくに村人たちは皆家の戸締りを済ませて身を潜めていたものと思われる。もともと静かな村である。最初の犠牲者である小泉鳩子さんが殺害された時も普段と変わらぬ静けさを保っていたくらいだから、この時の廃村のごとき静寂にも何の疑いもなく古井家に向かったそうだ。その間、村人の姿を一度も見なかったという。車は街の駅前で借りたレンタカーで、見慣れない車が乗り入れて来たことで皆警戒しているのかな、くらいに思っていたそうだ。  柊木さんにとって想定外だったのは、近藤さんと連絡がつかないことだった。事前に行くと知らせてあったわけではないが、現在も双蛇村に逗留していることは分かっていた。昼間のこの時間、何度電話を鳴らしても出ないなんてことがあるだろうか。そこだけが唯一の気がかりだった。  そしてさらに困った事には、今回の来訪目的でもあった古井トキさんまでもがお留守だった。駐車スペースに車を停めて、玄関の呼び鈴を鳴らしても無応答で、家の横手に回って割れた窓ガラスを塞いだ段ボールの隙間から覗き込むも、人影は見つけられなかった。 「……何で?」  柊木さんは試しに、東京の信夫へ電話をかけてみた。まだ入院中だった信夫こそ電話には出られないかもと思ったが、こちらは3コールくらいで呆気なく出た。 「山田」 「柊木です」 「あ、室長」 「最近近藤さんから連絡あった?」 「最近ていつですか」 「この一日二日」 「私にはないです」 「どういう意味?」 「本部に直接掛け合ったそうです。双蛇村の人間を数名保護してほしいって」 「いつ」 「昨日です」 「あなたには報告もなく?」 「それが近藤護でしょ」 「分かった」 「何故で」  すか、と信夫が言い終える前に柊木さんは電話を切った。この段階で柊木さんは、近藤さんの身に何かが起きたものと想定した対応へと思考を切り替えた。長年の経験から来る直感が働いた。もともと近藤さんはホウレンソウを事細かに実践する人ではなかった。だから信夫が何も知らされていなくても不思議はない。だが公安の上層部へと依頼要請を出しているからには、双蛇村で何かが起きたことは間違いないのだ。小泉鳩子さんの件もある。 「きっと近藤さんは、連絡を取りたくても取れない状況下にあるんだ」  柊木さんは考え、次に取るべき行動に移った。  それは近藤さんの捜索ではなく、古井家への侵入だった。  家の横手の割れた窓から腕を入れて鍵を開け、縁側から家の中に入った。申し訳ないと思いながらも靴は履いたままで、息を殺して探索を開始した。人がいるとは思っていなかったが、念には念を入れて、近接格闘にも急な逃走にも対応できる状態を保持しておきたかったのだ。ただし柊木さんには、近藤さんのことだから、きっとこの家に何かしらのヒントを残している筈だ、という確信めいた思いもあった。あくまでも勘である。しかし何もない所から情報を得るには、まずは勘に頼るしかない。 「……これ」  僕や柊木さん、近藤さんや飯綱さんたちと食卓を囲んだ古井家の居間にて、柊木さんはあるものを見つけたそうだ。柊木さんは手に取り、スマホの明かりを近づけてよく観察した。  それは写真立てだった。木枠のついた二つ折りのフォトフレームで、右側にはこの春亡くなった旦那様と古井トキさんのツーショット写真。そして左側には、古井さんともう一人の女性が並んで立つ写真が納まっていた。 「……サングラス?」  左に立っているのが古井トキさんだった。そして彼女の右横に立っているのが、まったく同じ背格好、同じ髪形をした女性だった。その女性は、写真撮影の場にも関わらずサングラスをかけていた。 「サングラス……サングラス……サングラス……」  柊木さんはこの時、名前の分からないその女性がかけていたサングラスに酷い胸騒ぎを覚えたという。どこかで、別の誰かからそんな話を聞いた気がする、と思ったそうだ。サングラスをかけていた、謎の人物……。  柊木さんは辺りを見回し、食卓の上にポツンと置かれていたこの写真立てこそが、近藤さんからメッセージではないかと思った。この間来た時にはなかったものだ。あえて今、綺麗に片付けられた食卓の上に古井さんたちの思い出の写真を置いておくことに、近藤さんの意志が感じられる気がしたという。  ただし、 「これが」  何だというのか。確かに得体の知れない胸騒ぎを感じた。だがそれだけだった。今現在近藤さんがどんな状況下にいて、家主である古井トキさんがどこにいるのか、そのヒントになっているようには思えなかった。  その時である。  ――― 出て来い!  前庭から怒声が上がりぎょっとした。  柊木さんは家の奥へと身を隠し、そろりそろりと炊事場の窓から外を確認してみた。庭の、丁度割れた窓がある縁側の前に、ひとりの男が立っていた。上下作業着の男で頭にキャップを被っている。面倒なことに、手には草刈り用の鎌を持っていた。 「どうするか」  柊木さんは一瞬考え、護身用にと台所から果物ナイフを拝借し、静かに音をたてぬよう家の外へ出た。 「あなたは誰?」  家の裏手側から出て庭の男に声をかけると、 「お前か!」  とその男は叫んだ。「お前が古井ん家に石投げてんのかぁッ!」 「……は?」  柊木さんは狼狽えた。「わ、私石なんか投げてません! そこの窓はもともと割れてました!」  男は鎌を振り上げて凄んだ。 「いーやシラを切るんじゃねえ、この村の人間で古井に石投げる奴なんかいるわけねえんだ! お前に違いない! お前どっから来た!」 「どこからって、東京ですよ」 「何の為に石なんか投げやがる!」 「投げてませんってば!」 「石投げるだけに飽き足らず今度は小泉や牛尾まで襲いやがったな! お前ただじゃ済まさねえぞ!」  物凄い剣幕だったそうだ。もちろん柊木さんには身に覚えのない言いがかりである。だがしかし、突如現れたこの男の話はすぐに理解出来た。古井さんが旦那様を、双蛇村流の正式な野辺送りを行わなかったせいで村の人間から石を投げられていることも、そして小泉鳩子さんが四肢をバラバラにされて殺されたことも柊木さんは知っていた。早い話が、この作業着の男はそれらの犯人を柊木さんだと決めつけているのだ。 「近藤さんはどこ」  柊木さんは尋ねた。「あなた名前は?」 「お前こそ誰なんだッ!」 「私の名前は柊木夜行。この村にいる近藤護の元同僚よ。彼の居場所を教えて」  男の目の色に変化が現れた。血走っていた眼に正気が戻り、顔の横に振り上げていた鎌の位置が少し下がった。 「俺ぁ……高木ってもんだ」 「高木さん、今この村に近藤さんはいる?」 「……いる」 「何度電話をかけても出ないの。理由を知ってる?」 「……」  高木さんの視線が下がった。思い当たる節があるんだ……柊木さんはすぐに悟った。 「良ければ案内してくれない?」  柊木さんが優しく言うと、 「出来ねえ!」  激しさを取り戻した口調で高木さんは答えた。 「何故?」 「……誰にも知られちゃいけねえからだ」 「何を?」 「居場所さ」 「どうして?」 「どうしてもこうしたもあるかッ!」  追い詰めている気など柊木さんにはなかった。だが彼女と親子以上に年が離れているであろうその高木さんは、烈火のごとく怒りながらも子どものような泣顔をしていたという。  柊木さんは焦った。 「まさか……また誰か死んだの? ウシオさんという人がそうなのね? 近藤さんは今どこにいるの。何故電話に出ないの!」 「この村に」  高木さんは答えた。「この村ん中に犯人がいると言ってる。あんたの元同僚は」 「近藤さんがそう言ったの!?」  高木さんは頷き、振り上げていた鎌を降ろした。 「居場所を教えてくれないのは何故? 私なら近藤さんのバックアップに回れる。今すぐ応援に向かった方がいいとは思わない?」  柊木さんがそう問うと、高木さんはそれでも首を横に振った。 「誰にも言うなと言われてる」 「近藤さんに?」 「そうだ。こいつは罠なんだ。罠を張ってんだ。犯人は必ずあの近藤って刑事と、その場所に一緒に匿ってる囮ん所へやって来っからって。だから誰にも言っちゃ駄目なんだ」 「囮」  柊木さんは独り言ち、古井家から持ち出したフォトフレームを高木さんに見せた。「この写真に写ってる人と何か関係があるの?」  古井トキさん、亡くなられた旦那様、そしてサングラスをかけた女性。 「それは」  高木さんが言い淀むと、 「……おおよそのことは分かりました」  と言って柊木さんは歩き出した。 「や、やっぱりお前! お前が犯人だったんだなぁ!」  高木さんが再び鎌を振り上げると、柊木さんは溜息をついてこう言った。 「もしそうならあなたに声なんかかけませんよ高木さん。とにかく早く案内してください。大丈夫、近藤さんには私がきつく言ってきかせますよ。こう見えて私、彼の元上司ですから」  
/109ページ

最初のコメントを投稿しよう!

611人が本棚に入れています
本棚に追加