5:謎

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5:謎

「どういう意味だい?」  問うと、制服少女は伊達眼鏡のフレームをくいと持ち上げ、目を細めて僕を見つめた。睨んでいるのかとも思ったが、敵意のようなものは感じられなかった。 「君は僕を知ってるのかい?」  答えないマスク少女に向かって問うと、 「知らないっしょ、ねー?」  と、制服少女がおどけた口調でマスク少女へと同意を促した。口調がやけに軽い。制服少女はいかにも今風の女の子で、僕としては些か苦手な部類に入る。そして何となく、ヘッドホンをしたマスク少女とはこの場に居合わせる事の重みが違う気がした。友達同士ではあるのだろうが、単なる付き添い以上の意味はないのかもしれない。やはり、何か問題を抱えているのはマスク少女の方であるらしいと、僕の目にもそう感じられた。  大して美味しくもない珈琲をひと口飲んで、 「話を聞こう」  と切り出した。「名前は?」 「……」  マスク少女は答えない。 「えー、別に名前とかよくない? 個人情報保護ホー」  制服少女が割って入る。  僕はそちらを見やり、 「僕は別にどっちだって構わない。目障りなら帰るよ。今すぐそう言ってくれ」  なるべくソフトな口調でそう告げた。すると制服少女はポテトを銜えたまま口を閉じ、ゆっくりと背筋を伸ばしながらマスク少女の顔色を窺った。フー、という吐息の音がマスク少女の方から聞こえた。 「……じゃあ、帰るよ」  僕が立ち上がると、 「へ、変な男に会ったの!」  慌てた様子で制服少女が答えた。「私も一緒にいたから知ってる。私が話、するから」 「どうして。依頼人はこっちの女の子なんだろ。僕は依頼人から話も聞かずに仕事を受けたりしないよ」 「わーかってる、分かってるから落ち着いてって!」 「そもそも君たち学校はどうしたんだ。こんな人目につく場所で僕と一緒にいる所を学校関係者に見られたら誤解を招くじゃないか」 「ウザ」  マスク越しにそう聞こえた。  僕が飲みかけの珈琲を手に取った瞬間、 「キョウマチヤスト」  と制服少女が言った。 「……何?」 「京町泰人。私の名前」 「……君、男なのか?」 「悪い?」 「い、や」  良い悪いの話ではない。名前を聞いても彼女が男であることを信じられなかった。声だって完全に女の子だ。 「この子は蟹江彩子(かにえさいこ)」  驚いて言葉を返せない僕に、京町少年は友人の名前まで紹介してくれた。さらには、「ねえ、座ってくれない。いつまでもそこに立ってるとかなり目立つんだぁ」と追撃され、僕は動揺を抑え切れぬまま再び着席した。 「じゃあ、言うね」  京町少年の話はこうだ。  女物の制服を着た京町泰人少年は、都内の公立校に通う十八歳の高校三年生。隣のマスク少女、蟹江彩子さんは同い年の十八歳だが高校には進学せず、現在「Nkr」という名のアパレルブランドでデザイナーの仕事をしているそうだ。女性をじろじろ見るのは憚れるが、言われて見れば蟹江さんの着ている服装は制服に見えて異なるものだった。黒のジャケットを着ているせいで勘違いしたが、中に着込んでいるのもベストではなく黒のニットセーターのようだ。 「気持ち悪いんで私の友だちのカラダあんま見ないで下さい」  鋭い指摘が飛び、 「……す」  すまない、と言おうとして止めた。  「それでね、この子基本自分のデザイン出してるお店とかには立たないんだけど、たまに新作を発表する時なんかにSNSで自分で服着てモデルやってるわけ」  京町少年の話について行けず、 「ごめん意味が分からない」  と正直に打ち明けると、明らかに馬鹿にした音で、 「ふん」  と蟹江さんが鼻を鳴らした。 「君はもう帰っていい」  言うと、蟹江さんは目を見開いて僕を睨んだ。「やっぱり話を聞くだけなら京町くんだけで十分のようだ。依頼を受けるか受けないかも彼に返事をするよ。そんなに僕がいやならどうぞ帰ってくれ、頼むよ」  大人げないとは思ったが、言わずにはいられなかった。こういう人間的な幼さが、自分の駄目な部分だと昔から分かっている。しかし無理なものは無理なのだ。社交性皆無の僕に女子高生の相手が務まるわけがない。 「いや、あの、あの、それでね」  京町少年が無理やり話し続けようとするのを、蟹江さんが止めた。右手でスマホを弄り、腕を伸ばして画面を僕に見せる。どうやらインスタグラムのようだった。どれも黒マスクにヘッドホン。表情は全く読み取れないが、自分でデザインを手がけているだけあって、奇抜な衣装に身を包んだ蟹江さんが躍動感のあるポーズで写真に納まっている。デザイン自体は若すぎて僕に良し悪しなど分かる筈もないが、娘の成留(なる)なら喜んで飛びつくのだろうか。 「これがその、蟹江さんが携わってるブランドの商品ということ? ……じゃあ、変な男というのはこのSNSで君を好きになったストーカーとか、そういう話?」  問うと、 「いや、よく分かんない」  と京町少年が答えた。大きく首を傾げ、心から困惑している様子が見て取れた。 「少なくとも知り合いじゃないってことだよね」 「それはそう。でも向こうがサイコを知ってる感じだったのよ」  と京町少年が言う。「いきなり私らの前に現れてね、言うわけ」  ……舐めて欲しいんだって? 了解したよ。 「って」  その男の口調を真似たのだろう。あまりの気持ち悪さに思わず僕の眉間に力が入った。 「……それは幾つくらいの男なの? 若いの? それとも」 「新開さんくらい」 「四十前か」 「え!」  京町少年と蟹江さんが顔を見合わせる。オッサンじゃん、という身も蓋もない感想が続く。 「その男は違うの?」 「新開さん童顔だねー! あいつは多分二十五、六だと思う。何か若い、チャラついた感じ?」  繁華街の裏通りを二人で歩いていた所、突然その男に話しかけられたのだという。最初から男の視線は蟹江さんに向けられており、京町少年はナンパかと思ったそうだ。だが、男は開口一番、先程の台詞を口にした。 「舐めて欲しいんだって? っていうその言い方がさー、なんか誰かにそういう話を聞いて来たみたいなニュアンスない? 気持ち悪くない? それって」  京町少年の言う事はもっともだと思えた。 「人違いってことはないの?」  問うと、 「名前を知られてたからさぁ」  と京町少年が答えた。彼の隣では、テーブルの上の冷めたフライドポテトを見つめるブルーの瞳が、僅かに震えている。  ――― 蟹江彩子って君だよね、待っててね、もうすぐ君の望みを叶えてあげるよ。 「それだけ言ってどっか行っちゃった」  どう思う?  改めて京町少年に問われ、僕は正直な感想を述べるべきか悩んだ。どう思うも何も、何故そんな話を僕にするのか、という疑問しか浮かんでこないのだ。どう考えてもこれは警察に相談すべき事案だ。拝み屋である僕に名指しで依頼する理由がどこにあるというんだ。 「サイコさー、もうこれ、マスクから溢れ落ちる可愛さ全然隠せてないしさ、出るとこ出て引っ込むとこ引っ込んだ見てこれ、このスタイルじゃん。それなのに結構ビッタビタな服着てこやってインスタアップしてるからさー、何か前々から変なウザ絡みしてくる奴らとかいて超ヤバイって思ってたのお」  京町少年の絶賛に、ヘッドホンがずり落ち造な勢いで蟹江さんが下を向いた。僕は手元の珈琲を見つめながら、どこに落とし所を設けるかを思案していた。やはりどう考えても僕の出番じゃない。親の伝手を頼りに新開水留の名を聞いて来たらしいが、これ以上僕が首を突っ込んだ所で良いことは何もなさそうだと感じた。 「警察に知り合いがいる」  言うと、何やら言い争いをしていたらしい二人が口を閉じて僕を見た。「信用の置ける人物を知ってる。僕が口添えすれば、まだ事件として表面化していない現段階であってもそれなりの対応を取ってくれるはずだ。だからここから先はそっちを頼ってくれ」 「え、何で?」  と、目を丸くして京町少年が聞いた。「何で新開さんは受けてくんないの?」 「僕は警察じゃないよ」 「知ってるよ、拝み屋さんでしょ?」  正解を言われ、思わずあんぐりと口が開いた。 「……君は、一体何なんだ? どうしてそんなに僕のことを知ってるんだ?」 「パパに聞いたもん」 「僕に政治家の知り合いはいないよ」 「そんなこと言ったって聞いたもんは聞いた……ッ」  夢を、見たの。 「ゆめ……?」  僕と京町少年の小競り合いに蟹江さんが割って入って来た。初めてまともな声を聞いた。低く掠れた声で、夢を見た、と彼女は確かにそう言った。 「僕の事をかい?」  問うと、蟹江さんは自信がないのか、伏し目がちになって首を傾げた。 「顔は見ていない。でも、夢で見た……の」  の、と言いつつ上目遣いで僕の顔を確認する蟹江さんに、経験上噓を言っている人間特有の匂いは感じられなかった。しかし夢の内容を尋ねると、蟹江さんはさらに首を傾げたままこう言うのだ。 「物凄く焦ってる。何かに追われているような感じで。私は、一緒にいた男の人を置いてひとりで逃げた。私は戻ろうとするんだけど、その人が……」  僕を探してくれ、僕を探してくれ!  新開水留を探し出せッ! 「夢から覚めるまでそう繰り返すの。何度も同じ夢を見た。そして、あの気色の悪い男が現れた。その時感じた恐怖感が、夢の中で感じた恐怖感と全く同じな気がして……だから」  僕を探した、ということらしい。  不思議な話だとは思う。  蟹江さんが夢に見た段階では、まだ新開水留が誰であるかを知らなかったわけだから、そう考えると彼女の友人である京町少年がいとも容易く僕を探し当てたことにまず驚く。実際には彼女の父親が丸子直路の店「(かば)」を利用していた事から繋がった人脈ではあるが、それにしたって偶然と呼ぶには出来すぎである。 「確認しておきたいのは」  言いながら僕は、珈琲の入った紙コップを目の前に置いた。コップをクルリと回転させ、店名のロゴが入った部分を僕の方へ向ける。 「この紙コップが僕だとして、蟹江さんは夢の中で僕を見てもいないし、そもそも僕が誰であるかを知らなかったということなんだ」 「……」  蟹江さんが頷くのを待って、紙コップに印字されたロゴを彼女の方へ向ける。 「ここに新開水留と書いてある。京町くんが僕を探し当て、今二人はこの紙コップを見ている」 「……うん」 「君たち二人はこの紙コップに書いてある新開水留という名前を見て、夢の中のお告げ通りに僕を探し当てたと思うだろう。だけど問題がある」  何、と京町少年が怯えた声で聞いた。 「君たちはこの紙コップに入っている飲み物が何なのかを知らない。つまりまだ、夢の中に出て来た顔の見えない男が新開水留であるという証拠はどこにもない。分かるかい? 紙コップの中を見ていない以上、コーラかもしれないし珈琲かもしれない。夢の中の男と僕が同一人物だと、現段階では断言出来ないんだ」  でも、と京町少年は言う。 「サイコは夢で、僕を探せって言われたよ?」 「それが?」 「それが、て」 「京町泰人を探せ、僕を探してくれ。……僕がそう言ったら、蟹江さんは僕を京町くんだと思うのかい?」  僕の問いに二人は黙り、顔を見合わせた。答えを見い出せず、何も言い返すことが出来ない様子だった。 「少なくとも、僕は新開水留だよ」 「じゃ、じゃあ」 「蟹江さんが探している新開水留は僕だ。どういう経緯で僕がここにいるのかまだ分からないけど、それだけは間違いない。ただ、君が夢で見た男が本当に僕なのか分からない以上……」  僕はそこまで言って鼻から息を吸い込んだ。  二人の少女は不安げな目で言葉の続きを待っている。  嫌な予感がした。  嫌な予感しかしなかった。  今は一刻でも早く、黒井七永の脅威に対して万全の対策を練るのが先決だ。本当はそんなものどこにもありはしないが、少なくともこんな所で若い女の子相手に鼻の下を伸ばしている場合じゃない。だが、のだ。 「この仕事を引き受けるよ」  答えた瞬間京町少年の目から涙が零れ、蟹江さんはブルブルと震えながら大きな溜息を吐き出した。勿体ぶったつもりなどなかったが、この僅かな沈黙さえも二人にとっては耐えがたいストレスだったのだ。 「今後の詳しい話がしたい、場所を変えよう」  そう言って立ち上がると、 「ごめん」  と京町少年が泣きながら謝った。「……腰抜けた」  
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