84:狼煙

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84:狼煙

「ワシにはお前さんらがどういう生き方をしてきたかなど関係ないんだ」  静かな声で、三神さんは言う。「ワシにとって重要なのはともに生きた人間の来し方と行く末だけよ。特にこの新開のはワシの二番目の弟子で、何度も助けられてきたし、何度も頭を引っ叩いて来た。いや言葉の綾で実際に手を出してはおらんがね。その間、お前さんたちがこの村へ来て何をしていたかなどどうでもいいし、何とも思わぬ。真実はいつだってそこにあり、見るか見ないか、ただそれだけのことでしかないんだよ。そして、お前さんたちはそれを見なかった」 「だ、だって!」 「儀式を何だと思っているのかね」  引き下がらぬ鈍色襟紗を諭すように三神さんは続けた。「儀式というのは、おそらくお前さんが考えているような、万能なものではないよ。それに関しては、柾目殿にも考え方という面で過ちがあったのかもしれないね」  父は黙って俯き、言い返してはこなかった。 「儀式というのはそもそもが、ある一つの事象を引き起こす為の手段ではないのだ。言うなれば儀式とは、へ辿り着く為の筋道に過ぎない。分かり易く言えば、死者を蘇らせるのはあくまでも黒井七永の霊力であり、儀式そのものが蘇らせているのではない。儀式はこの場合、死者と七永の力を繋げる橋渡しに過ぎんのだよ」 「ほら!やっぱり儀式は必要じゃありませんか!」 「何を持って必要と言うのだ」 「な、何を……?」 「川の水はおおよそ放っておいても海へと流れ着く。そこへ他所から来た人間が川にダムを建て、水の流れをコントロールし始めた。そしてこう言うのだ、ダムがコントロールしているから川の水は増え過ぎず、減りもせず、しずしずと海へ流れゆくのだ、と。違う。ダムなどなくとも川の水は海へと辿り着く」 「し、しかし、川は時に嵐によって猛威を振るいます。やがて氾濫し、近隣に住まう者たちを呑み込むこどだってあるでしょう!」 「だから何なのだ」 「何なのだって、あなた」 「話のすり替えをして何になる。そうやって枝葉を広げていくから最も大事なことからどんどん意識が遠ざかっていくのだ。ワシが話しているのは、何故死者が甦るのか、その一点のみだ。後から取って付けた儀式が村にどんな功罪をもたらしているかなど論じてはおらん。何故、死者が、甦るのか……だ」  ――― もしや。  と、僕が焦りを感じ始めたのはほんの数分前だった。  一同の顔を見渡しても僕と同じことを考えている者はいない様子だった。皆三神さんの(まじな)いに呑まれてしまっている。もし、僕のこの恐ろしい直感、まさに嫌な予感が的中した場合、一体どんな未来が待ち受けているというのだろう、そう思うと震えが止まらなかった。 「何故、儀式ではなく黒井七永の力こそが真実だと、そう言い切れるのですか」  冷静さを取り繕ったような声色で鈍色襟紗は聞いた。 「決定的な死は与えられずとも毒素足り得る、と頷いたのはお前さんではないか、鈍色さん」  三神さんが答える。「つまりそれは、儀式とは無関係な部分にまで何某かの力が影響を及ぼしている証拠とは言えんかね。何某かの力、というのが七永の霊力だよ。よしんば百歩譲って、この村の野辺送りが死者の蘇りに必要不可欠な儀式だとしよう。ではその後、起き上がって来た死者たちがお互いの血肉によってダメージを受けたり再び死んだりするのは何故だと思う」 「それは、ですから、分かりません」 「柾目殿は、どう思う」 「……」  父は視線を下げたまま答えを探し、私は、と口を開いた。「やはり村の葬法にも意味はあると考えています。いえ、もとよりそこを下地にした上で調査を行って来たものですから、それ以外の答えを持ちません」 「それでも構いません、お聞かせ願おう」 「戻りびとにとって儀式は、やはり必要なものだと考えます。六度と呼ばれる箱によって生み出されるもう一人の自分は、いわゆるなわけです」 「……ふむ」 「本当の自分は既に死んでいる。その真実を受け入れることで、とこしえの生命を得て歩き出したもうひとりの自分も、再びの死を迎えることが出来る。そう考えるとやはり、儀式にも意味はあるのかと」 「成程、つまりそれは、暗示ということかね?」 「暗示……」 「本当の自分に出会い、取り込むことで、死を受け入れる。そういう呪いに似た自己暗示を持って消え去るのだ……というお話に聞こえる」 「違い、ますか」  一度は視線を上げた父の目が再び足元を向いた。 「だがそれだと、全く何も与り知らぬ人間が血肉を喰らっても絶命することの根拠にはならない」  三神さんは蟹江彩子のことを言っているのだと分かった。だが、と僕は思う。 「三神さん。蟹江彩子は自分が死ぬかもしれないということを知っていた節があります。彼女の姉も、その父親も」  僕が口を挟むと、三神さんは鈍色襟紗たちの方に顔を向けたまま、 「……小泉芳治さんからの忠告、か?」  と聞いた。 「はい。姉は最初から、妹に成りすますことで敵の目を攪乱しようと考えていました。つまり」 「血肉をねじ込まれると分かっていたのか?」 「……そこまでは」 「狙われていることには何となく察しがついていたのかもしれん。だが何をされ、どんな結果を招くかまでは知らなかった筈だ。村に住んでいなかった一家なら、そもそも古井家と接触が無い以上再びの死について知り様がないからな」 「確かに」  ――― 宗兵衛は知ってるぞ。  ぎょっとして、一同の目がそちらを振り向いた。  高木さんだった。 「もともと宗兵衛は村の出だ。だからちゃんと分かってた。芳治から忠告を受けた後、古井の家に話を聞きに来たんだ。娘には黙っていたのか知らんが、再びの死についての話を古井から聞いた上で、『六度』も持って帰ってる」 「誠か?」  三神さんが低く喉を鳴らすように言い、凄むように問うた。 「な、何だよさっきから。ワシが何で噓を言うんだ」 「そうか」  すると三神さんはニカっと笑って、こりゃ失敬、と明るい声を出した。「同じ村の人間とは言えやたらと詳しいもので驚いた。他所ん家のこととは言うても、さすがに狭い村だ、お互い目を光らせとるという事なのかなあ」  失敬だ、と責められても仕方のない言い様ではあったが、確かに高木さんの持っている情報量は多すぎると感じた。ましてや地曳宗兵衛がオダブツナンマイダの脅威を把握していた、などいった話はこの僕さえ今の今まで知らなかったのだ。  そこへ、 「三神さん」  と父が呼んだ。「私が申し上げた推論と言いますか、何となくスピリチュアルな方面に頼ったような話ではありますが、それでもなくはないと信じて、これまで調査を続けて参りました」 「うむ」 「土台がこの世の理を無視した超常現象です。誰にでも再現可能な儀式によって村の死者が呼び戻されるなど、私たちもそこのみを信じて調査を続けてきたわけではありません。しかし、やはりどう見ても、受け継がれて来た儀式にこそ多くの秘密が隠されていると思えてならないのです。三神さんは何故、そこまで黒井七永の力が全てであると、強く言い切れるのですか?」 「それは、柾目殿が独自で辿り着いた見解かね?」 「独自と言うか、こちらの鈍色さんと一緒に、時間をかけて行った調査の上で、出した答えです」 「だろうな」  父の隣では、鈍色襟紗が不機嫌な表情で三神さんを睨んでいた。三神さんは再び静かな表情で彼女をを見つめ返し、 「何だね」  と尋ねた。そして、、と聞いたのだ。  父は首を傾げ、そこで僕と目が合った。  呪縛を解かれたように、信夫と柊木さんが凝り固まっていた身体を解しながら目をパチパチと瞬かせた。両者とも、「何だ?」、という現状を把握しきれぬ表情で辺りに視線を巡らせている。どうやら二人とも、ようやくこの場の異変に気付き始めたらしい。 「鈍色さん」  と三神さんは言う。 「……」 「あんたはずっと不思議がっているね」 「……」  鈍色襟紗は答えない。 「いつからそこにいる」  父が驚いて鈍色襟紗を見、そして三神さんを見た。 「三神さん、何のことですか、いつからというのは」 「柾目殿は下がっていなさい」 「さ? 下がっていろとは」  父さん、と僕は声を上げて頭を振った。  ――― 言うことを聞いた方がいい。  僕の意志を汲んだのか、父よりも先に信夫と柊木さんが後退った。 「いつからそうやって、そこから見ていたんだね」  と尚も三神さんは言う。  鈍色襟紗は小さく溜息を吐き出し、「もはや何のことだか」 「さぞ不思議だろうな。いつでも操れると踏んでいたはずが、いつまでたってもこのワシに入り込めんのだから」 「え」  と柊木さんは目を見開き、 「まさか」  と信夫は記憶を辿った。「そういや」  信夫の報告では、三神さんは黒衣の女として現れたもうひとりの木虎祥子から五寸釘によって刺されている。肩口に打ち込まれた釘から侵入する穢れを三神さんは即座に打ち返して反撃に転じた、だが、攻撃を受けた事実が覆るわけではない。つまり、あの瞬間から三神さんは、住友周が憑依出来る手駒のひとつに加えられていた可能性が高かったのだ。 「やっぱりか」  思わず僕はそう呻いた。「そういうことか……」 「し」  新開くん、と信夫が僕の名を呼ぶより先に、 「新開の」  と三神さんが口を開いた。「いや新開。あんたはちょっとだけ早くに気が付いていたね?」  突如変貌した三神さんの口調に、信夫も柊木さんも顔面を蒼白にして仰け反った。 「鈍色襟紗。このワシが何故自信たっぷりにこの村の土葬について断言出来るか教えてしんぜよう。何故がワシに憑りつくことが出来ないのかもね」 「あなた!」  鈍色襟紗も気が付いた。だが開いた口は塞がらず、全身がわなわなと震えていた。突如として目の前で、ぐにゃりと現実が溶けて歪んだ。そして、 「私が」  三神さんの肉体がたちどころに少女へと姿を変えた。「黒井七永だからだ」  それが反撃の狼煙だなどとは思わなかった。  僕たちはただ純粋な驚きと恐怖によってのみ身体が動いたに過ぎない。天正堂の拝み屋として、チョウジを束ねる者として、命をかけて職務に取り組んで来た人間だからこそ反応出来たのだ。  黒井七永と鈍色襟紗の中にいる住友周が、真正面からぶつかりあった。  互いの両手を掴み合い、七永は笑い、住友周は憎々し気に相手を睨んでいた。  信夫が傍らの木を蹴って軽々と跳躍し、距離を取った。柊木さんは気配を殺して音もなくその場から離れ、僕は……僕はじっと父の姿を見つめていた。父は意外にも取り乱す事なく目の前の現実を受け入れ、ただ、とても悲しい表情を浮かべていた。  きっと、これが初めてではなかったはずだ。長年父と行動を共にしていた鈍色襟紗にこれまでも住友周が憑依可能だったなら、である筈はない。何故なら、彼女を初めて見た瞬間、僕の背後には母が現れた。あれは母が誤認したからではなかったのだ。鈍色襟紗の中に、住友周の確かな存在を感じ取っていたのである。 「父さん」 「……水留」  僕を見つめ返した父の声を掻き消すように、 「新開」  七永が僕を呼んだ。「術を解くよ」 「……え?」  七永は鈍色襟紗と掴み合ったまま、赤い唇の端を持ち上げた。  その時だった。 「た、高木さん!」  叫んで、柊木さんが彼に駆け寄った。  見ると、槌岡巡査部長に手渡された水筒の飲み口から、水でもお茶でもない真っ赤な液体がチョロチョロと垂れ落ちているではないか。高木さんは濡れた口元を手で拭いながら、 「な、何だよ」  そう言って己の手の甲を凝視した。彼が拭ったのは水ではない。口の周りにべとついていた何者かの血液だったのだ。彼は手渡された水筒から血液を飲んでいたのである。七永が術を解くと言ったのはこのことだった。七永は初めから何が起きているかを知りながら、頃合いを見計らいその時が来るまで僕たちに幻覚を見せていたのだ。  柊木さんが高木さんの手から水筒を叩き落とした。だがそんな彼女の背中目掛けて、槌岡巡査部長が右手を振り上げた。手には銃弾の装填されてりない拳銃が握られていた。 「ヒー様!」  信夫が木陰から現れ、特殊警棒で槌岡巡査部長の右手を叩いた。 「たか……!」  柊木さんが顔を上げると同時に、高木さんが後方へ飛び退いた。山の斜面である。老人と言っていい彼はしかし猿のように軽々と飛び退り、一瞬で十メートル程の距離を取った。 「……はぁ」  七永と両手を合わせ、押し合う態勢だった鈍色襟紗の口から、吐息のような音が出た。七永は力任せに鈍色襟紗の身体を脇に投げ、父の足元へと転がした。どうやら鈍色襟紗の身体から住友周が抜け出たらしい。七永はゆっくりと振り返り、高木さんが飛び退った山の斜面を見上げた。 「……嵌められたってのか」  信夫が嘆いた。  暴かれた墓を確認しに行ったという高木さんは、死体はひとつも残されていなかったと証言した。だが、僕らが見上げた視線の先には、いつの間にか複数の人影が立っていた。 「住友、周」  東京の垂水団地から姿を眩ませていた住友周と、黒衣の女と化したもう一人の蟹江彩子、住友綾子、住友徳重がいる。そして、西田怜菜と武市くんの姿もあった。高木さんがそこに加わり、今新たに槌岡巡査部長が歩いて一団に加わった。 「新開」  と七永が僕を呼んだ。「……答えは見つかった?」 「な、何を言ってるんだこんな時に。それに、三神さんはどうしたんだ」 「まだ見つかってないの? トロいなあ。早くしてよね」 「僕の質問に答えろ。三神さんはどうした!」  住友周を見上げていた七永は僕を見返して、こう囁いた。  ……だから、早く答えを見つけなって。  
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