7:蝙蝠

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7:蝙蝠

 やたらと風の強い日の、早朝である。  僕とは十メートル近い距離を開けて、右側に山田信夫が立っている。つるんとした印象の綺麗な顔立ちは昔も今も変わらない。京町少年は僕を童顔だと言ったが、僕でそうなら信夫はきっと本物の少年に見えることだろう。警察官然としたごつさや迫力はないが、いかにも頭が切れそうな佇まいが彼の持ち味だと言える。内面は実に短気な男だが、仕事の出来る奴だと坂東さんも褒めていた。それは、僕もそう思う。  海の見える公園、その高台に設けられた鉄製の柵の前に並んで立ち、眼下に広がる荒波の飛沫を意味もなく見下ろす。  公園内には僕たち以外誰もいない。入口にスーツ姿の調査員が二人立って、他の利用者が入って来れないよう睨みを効かせている。いかにもそれは公安職員らしい強引なやり方で、僕などは見ていてあまりいい気持ちがしない。  長い間黙ったままでいた。  ――― 呼び出されたのは僕の方で、話があるのは僕じゃない。  そんな風に、昔のことをいつまでも根に持って、意固地になって心を閉ざし続ける自分にはいい加減嫌気もさして来る。しかしだからと言って、僕が下手に出る理由も今の所ない。……こう思っている時点で、本当は情けないのだけれど。 「新開くん」  信夫がようやく口を開いた。「いや、新開さん」 「……はい?」  驚きのあまり酷く緩慢な動きで見やると、信夫が僕に向き直り、ほとんど直角に頭を下げていた。 「過去の非礼をお詫びします。申し訳ありませんでした」 「よ」  よしてくれ、と叫んだ。  公園の入り口に立っている調査員が二人とも振り返った。 「や、やめてくれよノブ……山田、くん。山田さん、きちんと話をしよう、僕たちはいつまでも昔のままじゃないんだから。お互いの立場だってある。ほら、彼らの目だってある」  しかし、信夫は頭を下げたまま動かない。 「室田の件、聞いてます」 「む……室田ってヒデ……室田秀樹くんかい? 何で今になってそんな話」  室田くんというのは、二年前に起きた「終門事件」で命を落としたチョウジの調査員だ。信夫とは同期で、共に班を率いて霊障被害が絡んだ事件に果敢に挑み続けていた。終門事件において彼が亡くなった話は、僕の兄弟子である三神幻子から聞いた。 「随分と後になって柊木前室長から聞きました。死んだ室田の為に新開さんは葬儀の後、火葬前のヒデとわざわざ二人きりの時間をとって下さったそうですね。無惨な状態で突然この世を去ったヒデの為に、葬儀に参列したうちの連中がひっくり返るくらい馬鹿デカい声で、祭文を読んで下さったんだと……。別室にいてもなお響き渡る新開さんの歌祭文は、改めてこの業界の恐ろしさに打ちひしがれた部下たちの心まで奮い立たせたと聞いています。体調を崩したとは言えその場にいなかった自分が恥ずかしい」 「そんなんじゃないよ……」 「年齢的には一年と言えど、後輩にあたる自分やヒ……室田が、坂東さんと共に現場入りしていた新開さんに対してどれだけ失礼な態度で接していたのかを思うと、何故坂東さんはあの時自分たちを叱り飛ばさなかったのかを思うと、どれだけ自分が小さい人間だったのかを思うと……私は」 「違うよ。それは違う」 「申し訳ありませんでした」  ……大した話じゃない。  信夫が頭を下げて声を震わせる程のことを、僕はされたわけじゃない。僕はただ、どっちつかずのまま公安職員に混じって事件現場を走り回っていただけで、それについて少しばかり嫌味を言われただけだ。殴られたわけでも罵られたわけでもない。坂東さんが怒らなかったのは、全然大した話じゃなかったからだと思う。 「本当の事を言うと、僕がいつまでも根に持っているのは信夫やヒデに……山田さんや室田さんに腹を立てていたからではありません。だから顔を上げて下さい」  そこまで言ってようやく信夫は顔を上げた。 「僕はずっと昔から坂東さんを尊敬しています。出会った頃からそうです。だけど僕は大学生の時から、拝み屋三神三歳の背中を見つめ続けて来ました。坂東さんに誘われるがまま何も分からない振りをして現場を引っ掻き回していた僕は、当時のチョウジの仲間たちの懐の深さでギリギリ許されていたに過ぎません。本来、僕は山田さんたちの側にいるべきじゃなかった」 「いや、あ」 「それは最初から分かっていました。二足の草鞋を履いた蝙蝠野郎。その言葉は確かに痛かった、だけどそれ以上に悔しかったのは、僕が自分の言葉で自分の歩むべき道が何であるかを言い返せなかったことです。グラグラと日々迷いながら生きていた、だから、現時点での僕への評価を全て受け入れるしかなかったんです」 「……」 「羨ましかった。怒りを覚える程、自分の仕事に誇りを持っている山田さんや室田さんが羨ましかったです」  何を思ったのか、再び信夫が頭を下げた。 「亡くなった室田さんに対面した時、僕が何を考えたか分かりますか?」 「……」 「僕はこう思ったんです。もしも……もしも僕があのままチョウジとして仕事を続けていたら、室田さんを救うことが出来たんだろうか?」 「……」 「僕はいまだにそんな傲慢な思い上りを……」 「……」 「僕は今でも、何故自分がここにいるのか分かりません。何故僕みたいな男が天正堂の階位第三なんだろうか。辛うじて人型に並べられた室田さんの亡骸を前に、ただひたすら後悔するしかなかった思い上がりの塊みたいな男が。あの時、誇りを持って僕に怒りを感じていた男の死を前にしてさえ自分の居場所を見失う程度のこの僕が……ッ!」  公園の入り口に立っていた職員たちがこちらに向かって駆けて来るのが足音で分かった。信夫が上体を起こして片手を上げ、部下たちの接近を拒んだ。 「僕は今でも、蝙蝠野郎なんです」 「……」  部下たちに向かって翳していた信夫の左手が、そのまま弧を描いて僕の首を刈るような動きを見せた。僕はヘッドロックされたようになって、信夫と二人して鉄柵に身体の前面を押し当てた。眼下には荒波、その向こうには銀色の水平線が見えた。ヘッドロックの力は弱かったが、僕の胸は違った意味で痛みを感じていた。  ズズ、と信夫が鼻をすする。 「黒井七永が戻って来たそうですね」  言われ、 「……何が起きるか分かりません」  と僕は答えた。 「私が死んだら、ヒデん時よりもデカい声で祭文読んで下さい」  信夫が言い、僕は頷き、じゃあ僕は、と返した。 「僕が死んだら、妻と娘をよろしくお願いします」  信夫は空を見上げて震えるような声を出し、奥歯を噛み締め、 「自分の命に代えてでも」  そう約束してくれた。  公安の秘密部署であるチョウジの内部事情について詳細を明らかにすることは出来ないが、「実働隊」として現場に出られる調査員の数は、現在六名であるという。室長、山田信夫。室長補佐、高品春樹(たかしなはるき)北城省吾(きたしろしょうご)近藤護(こんどうまもる)陣之内萌(じんのうちもえ)。パン・(はな)。この六名の中で、室長である信夫よりも現場経験が長いのは近藤さんただ一人。後の五名は全員信夫よりも年下の若手であるという。今はこの六名に加え、二年前に起きた「六文銭事件」以降、山田信夫預かりとして曽我部家の霊能者、青南(せいなん)が臨時職員として在籍している。この曽我部青南に関する詳細は、後述のこととする。  実働隊は単に現場に出て調査をするというだけでなく、超常現象が関与していると思われる事件現場でそれぞれが捜査指揮をとれる、という意味だ。つまり彼ら六人の下には他にも一般職員(あくまでもチョウジ)が補佐につき、事務処理手続きや現場関係者との交渉などを担当している。各現場につき指揮をとる人間が一名、補佐役が二名という少数のチームで調査に臨むのが最も基本とされているが、事件発生のタイミングが重なった時などはもちろんこの限りではない。補佐役が付かないこともあれば、同じ現場に実働隊が二チーム赴くこともある。だがこれまで、全チームが同時に現場に駆り出されることなど一度もなかったそうだ。臨時職員である曽我部青南を除いても、現場で指揮をとれる人間が六名いて、全員が一度に外へ出ていく事態など普通は起こり得ない。同時に六つの現場で超常現象が確認されることなど、少数精鋭の部署にとっては完全に想定外なのだ。 「特殊なケースなどがあって、ひとつの事件が長引くことはこれまでにもありました。最長で三年半、事件を解決に導くまでに時間を費やしたケースがあります。ですが今回同時に六件、いやもっとです。こんなこと坂東さん時代から考えても経験したことないですよ」  信夫の溜息を聞いたのはいつぶりだろう。弱っているとは聞いていたが、どうやら僕が思っていた以上に参っている様子だった。  北城くんから相談を受けた八巻家の怪については、黒井七永の出現をもって一旦解決したものと判断した。だが即座に今度は柊木夜行が駆り出された。しかも宗教法人が絡んだ厄介な失踪事件である。聞けば、室長である信夫自身も面倒な事案を抱えているそうだ。 「最初は単なる自殺事件の筈でした」  と信夫は言う。 「……自殺、事件? いじめか何かかい?」 「いや、本人は精神的な病だと言ってます」 「本人、は?」 「自殺体が戻って来るんです」 「……え?」 「自殺の方法は様々なんですけどね、死んだガイシャが時間をおいて、これまで通りの日常生活に戻って来るんですよ。でもって、また死ぬ」 「生き返るってこと?」 「遠目に見ればそうなんですが、を目撃した人間はいません。私も含めてですが」 「何だよそれ。どこから戻って来るのさ、墓場かい?」 「多分」 「え?」 「いや、分かりません。誰も見ていないし、本人もそこの記憶は曖昧なんです。死んだことは覚えていても、いつ、どこから、どうやって戻って来るのかは思い出せないそうです。いつのまにか、元の生活に戻ってる」 「本人がそう言ってるの? それ、理由は分かんないけど多分死んでないんだよ。医者の判断が狂う程の仮死状態にあるとか」 「いや、死んでますよ。心停止して呼吸がないんですから」 「見たのかい?」 「はい」 「そんな」 「東京には身寄りがなくて、一度は身元不明の無縁仏として供養されてもいます」 「それでも戻ってくるの?」 「はい」 「で、でも何度も死ぬって何なのさ。どういう原理か分からないけど生き延びてるんだろ? それなのに、自殺を繰り返すだなんて」 「肉体だけじゃなく、心まで人としての基本軸が他とはズレてるんでしょう。理由はまだ、深い所まで追い切れてませんが」 「なら、まずは入院措置を取るべきなんじゃないかい?」 「他人に害をなすわけじゃない。強制措置は取れませんよ」 「いやでも、放っておいたら死んじゃうんだろ?」 「本人にも自責の念はあるんです。だからそれも、自殺の理由としてひとつの要因になってしまっているみたいです」 「参ったな……」 「だから解決出来ないんですよ。仮に今日自殺を思い留まらせても、隙をついてでもマルガイは死んでしまうんです。その後、いつの間にか社会復帰して、んで、また死ぬ」 「社会復帰だって!? その人は普段何をしてる人? 会社員なの?」 「保育士です、マルガイは女です」  信夫は今、目を離せば自殺するというその保育士に時間を忙殺され、部下たちの各現場を全く見れていないことを嘆いた。 「待ってよ、組織に属してる人間が死んで荼毘に付されてだよ? その後しれっと戻って来たからって職場がそれを受け入れるわけないじゃないか」  すると信夫の目が厭らしく光り、 「興味持ってもらえました?」  問われ、僕は思わず目を背けた。 「……いや?」 「で、相談なんですけど」 「嫌な予感しかしないよ」 「近藤さんや高品なんかはまあ良いとして、正直北城や陣之内、華なんかの現場は怖くて放っておけません。そりゃ、そこいらの警察官よりはよっぽど適正あるんでしょうが、何せまだ若いもんで」 「はあ……」 「手伝ってもらえたりなんかしちゃったらなーと思っちゃったりするわけなんですがねぇぇぇ」 「もちろんさ」  僕は二つ返事で答えた。あまりに即答過ぎた為か、信夫は目を丸くして口を噤み、何も言い返して来なかった。 「坂東さんが同じことを言って来て、僕が断るだろうか。柊木さんが同じことを言って来て、僕が断るだろうか。山田信夫が言って来て……」 「いや比べものになんないでしょそれ」 「断らないさ」 「……」 「どうして僕が断るのさ。断らないよ。僕は拝み屋だもの」 「新開さん」 「くんでいいよ。やっぱり昔のままで行こう。その方が胃が痛まなくて済みそうだ」 「新開くん。じゃあ新開くんには自分が受け持ってる自殺事件を押しつけるとして……!」 「ごめん信夫。僕は僕で忙しいんだ」 「はあ!?」 「だけど大丈夫。柊木さんはもう既にそっちに参加したようだけど、うちには動ける人間がまだまだいるからね」 「……新開くんあんた、ちょっと見ない間に厭らしい顔するようになったな」 「ふふん、何とでも言うがいいさ」 「いや、それぐらいで丁度いいんすよ……バットマン」 「もう変なあだ名をつけるのはやめてくれ!」
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