大転落~丸の内から第三世界へ

12/41
前へ
/204ページ
次へ
身を乗り出した私を彼はゆったりと眺め、一呼吸おいて告げた。 「仁科紺子さん。あなたは菱沼グループ傘下のタママートへ出向していただきます」 「…………」  ──今、何て?  前のめりになった姿勢のまま、ポカンと口を開けて正面の美麗な顔を眺めた。フランス語ではないし、イタリアの地名でもなさそうだ。 ていうか語尾の〝マート〟って何。 「タ……タマ……?」 「マート」 覚えの悪い生徒の英会話レッスンのような私の復唱を、北条怜二が馬鹿丁寧な口調で繋いだ。 「タママートは埼玉県に本社を置くスーパーマーケットチェーンです。資本金等の企業情報の詳細はあとでこちらをご参照ください」 テーブルの上に数枚の紙が差し出される。それには構わず、私は立ち上がった。 「ちょっと待ってください」 埼玉って何。スーパーマーケットって何。意味がわからない。 「何かの間違いではないですか? 私はずっとファッションビジネス部門で経験を積んできました。それが、スーパーって……」 ファッションに何の関係もない。日本を代表する総合商社に入社したのに、なぜ零細企業で大根を叩き売らなければならないのか。 「タママートは零細企業ではありません」 北条怜二がぴしゃりと言った。私は声に出していないのに、彼にはこうして心の声まで透かして読むようなところがある。
/204ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6762人が本棚に入れています
本棚に追加