コール・フロム・バアチャン

2/5
10人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
「おばあちゃんのお汁粉かぁ……」  この家に(とつ)いできた頃、すでに最初の子を身ごもっていた私は心身共に不安定だった。  不運なことに結婚してすぐ夫がリストラにあい、次の就職先も決まらず私達夫婦は生活に困ってしまった。夫は実家に住まわせて欲しいとご両親に頭を下げに行き、安心して子供を産むためにはそれが一番良いと私を説得した。  私は早くに母を亡くしており、父は再婚して新しい家庭を築いていた。他に頼れる人もおらず、住み慣れた街を離れ夫の故郷に移住するしか選択肢はなかったが、内心では戸惑いと不安でいっぱいだった。  友達も知り合いもいない田舎での新生活。幸いご両親は温かく迎え入れてくれた。しかし夫は新聞配達のアルバイトをしながら、車で遠方まで就職面接に向かう毎日。私は新しい暮らしに馴染もうと努力しつつも、先行きの見えない心細さと寂しさを抱えていた。  ある時、緊張とストレスがピークに達していた私は夜中に号泣してしまった。なにごとかと慌てて様子を見にきた義母に、泣きながら「お汁粉が食べたい!」と駄々をこねた。それまでつわりがひどくて全然ご飯がのどを通らなかったのに、なぜか突然お汁粉が食べたくなってしまったのだ。  おばあちゃんは隣りに座って背中をさすり、手を握って慰めてくれた。そして深夜にもかかわらず、超特急でお汁粉を作ってくれた。  お餅はすぐに用意できないので、上新粉をお湯で練って蒸してついて、まるでお餅のように弾力のある団子をこさえて白玉汁粉にしてくれた。  甘く煮た温かい小豆汁に、もっちり柔らかい白玉団子。「おいしい、おいしい」と、おかわりして食べる私におばあちゃんは「もづ(もち)うるかすとく(水に浸しておく)がら、(もづ)っこは明日(あすた)作るべな」と言ってくれた。もち米は白米と違い、半日水に()けておかないと蒸した際に芯が残ってしまうのだと教えてくれた。  そうこうしている内に、朝刊配達のバイトに行くため夫が起きてきた。私と一緒になって「うまい、うまい」とコタツでお汁粉を食べながら「由美(ゆみ)ちゃん、良かったなぁ、飯食えるようになって」とホッとした顔で笑って……あの時、「ああ、私はこの家できっとうまくやっていける」と思ったのを覚えている。おばあちゃんのお汁粉は、そんな思い出の味だ。  そういえば、あのお汁粉のレシピはなぜか教えてもらえなかった。その後もおばあちゃんは何度も小豆を煮て白玉汁粉や餅ぜんざいを作ってくれたのだが、最初に食べたあんこの味とはどうも違ったのだ。  「すっごくおいしかったので、私に伝授して下さい!」とお願いしたら、苦笑いして「おらがいつでもこしぇで(作って)やっがら」と秘密にされてしまった。他の料理はなんでも快く教えてくれたのに、どうしてなんだろう?
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!