弱き者に寄り添う

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弱き者に寄り添う

 ナディアはアンゼルマから目を逸らさぬまま、慎重に言葉を選んだ。 「もっとも弱き者のそばに立ち、寄り添うという態度が、聖女に求められる資質ではないかと、私は考えています」 「なるほど。それで?」  炯々と輝く青の瞳。射すくめられる。ナディアは眉を険しくしかめつつ、長身のアンゼルマを見上げて自分の胸に手をあて、続けた。 「私自身について言えば、聖女候補としての教育を施され、魔力を持ち、客観的に見て『弱き者』ではありません。実際に、たとえここで男に暴力を振るわれ、望まぬ形で純潔を散らされる被害があったとしても、泣き寝入りしないでしょう。そのことによって候補者として欠格となり、神殿を追われたとしても、命奪われない限り、必ず告発し、処罰が下るように動きます。その量刑は、私が失ったものに見合うだけのものを。それは即座に『死』を意味することはありません。ですが」  アンゼルマの口の端が、かすかに持ち上がったように見えた。 (笑っている?)  その意味をはかりかねたまま、ナディアは呼吸を整えてひといきに言った。 「そのように考えて行動できるのは、先程も申し上げた通り、私が『弱き者』ではないからです。もしこの男が襲ったのが、私よりか弱き存在であったのならば、体だけではなく心まで踏みにじられ、生きることすらままならないかもしれません。つまり、理由如何に寄らず、『女性を襲うことに躊躇いのない男』を野放しにしておけば、今後『死』に相当する深刻な被害を生む恐れがあることが、容易に想像できます。たまたま私に実害がなかったからといって、目こぼしは一切できません。私は死刑が妥当とは考えませんが、限りなくそれに近い罰があって然るべきだと思います」  黙って聞いていたアンゼルマは、「わかった」と言って小さくうなずき、肩越しに背後に視線を投げる。 「聞こえたな、ギルベルト。ひとまずこの男を懲罰房に入れておけ。ナディアの温情で『死刑』は免れる、かもしれない。ただし限りなくそれに近い罰を、とのことだ。私も同じ考えだ」  アンゼルマの護衛として控えていたらしい神殿兵が姿を見せて、短く返事をした。鍛え抜かれた体つきをした、銀髪の青年。ナディアに視線をすべらせて、軽く微笑んでくる。  ざっと空を切る音がして、ディルクが立ち上がり、藪の中へと逃走した。青年は無駄口を叩くことなく、ナディアの横を走り抜けてその背を追いかける。  瞬く間の出来事であった。  アンゼルマは、落ち着き払った態度で座り込んだままのナディアへと手を差し伸べた。 「立てるか」 「はい。先程の、ディルクは……」  手にすがることなく、慌てて立ち上がる。触れ合うほどに距離を詰めてきたアンゼルマを見上げて問うと、そっけない返答があった。 「逃げられはしない。私が連れてきたのはギルベルトだけではない。すでに他の者が回り込んでいる」 「さすがです、アンゼルマ姉さま。手回しが……んっ?」  顎を掴まれ、ぐいっとアンゼルマの方へと向けられ、ナディアは目を見開いた。食い込むほどに、強い指の力。  見下ろしてきたアンゼルマは、低い声で囁くように問いかけてきた。 「実害はなかった、と言ったな。私は間に合ったということで良いか」 「はい。本当に、危機一髪です。姉さまがきてくださったおかげで、助かりました。……えぇと、聖女候補として欠格になったのをごまかそうとはしているわけではなく。本当に、その……」  アンゼルマに助けてもらったのは間違いなく、素直に礼を述べてから、ふと不安になる。 (もし神官長の非公式談話をアンゼルマ姉さまも把握しているなら……。助けに入らずやり過ごせば、自分の手を汚さずに私を蹴落とせたはずなのに)  その戸惑いが表情に出てしまったのだろう。アンゼルマは目を細めてふきだし、「べつに私に裏はないよ」ときっぱりと言い切った。 「状況が状況だから、同じ聖女候補としてナディアが私を警戒するのはわかる。だが、私は何があろうと変わらずお前の姉だ。怪我は? 殴られたりはしていないか?」 「姉さまの指が痛いです」  正直に言うと、ふっと息を吐きだしてアンゼルマは手を離す。そのまま遠くへ視線を投げ、美しくも厳しい横顔をさらして「殺しても良かったんだ」と独り言のように呟いた。それから、再びナディアに向き直った。 「ナディアの考えはわかったが、卑劣な手段を取る人間に温情は必要ない。その甘さが命取りにならぬよう、今後はいっそう気をつけるように。今さら言うことでもないだろうが、聖女候補の育成には多大な資本が投入されている。ひとの、夢や希望もね。たとえ現状は聖女ではないとしても、お前の命は決して軽くない。自覚ある行動を願うよ」 「よく胸に留めておきます」  言葉少なく答えたナディアをじっと見下ろして、アンゼルマは「そんな簡単なこともわからないのかね、セレーネは」と声を低めて言った。  ナディアはわずかに首を傾げて、アンゼルマの目を見上げる。 「私は、わからなくはないんです。姉さまたちは、私が聖女に選ばれるという可能性について、これまで検討することはなかったと思います。それは、姉さまたちの慢心という簡単な話ではありません。なにせその背後で派閥を形成している大人たちとて同様だったわけですから。誰が見ても、私は相応しくないと。アンゼルマ姉さまは許せるんですか。突然、私の名前が、次期聖女の最有力候補者として挙がったこと」  真剣に耳を傾けている様子であったアンゼルマは、ナディアが言い終えたところで、目を逸らさないまま答えた。 「さてそれは、ナディア次第だ。ナディア自身、これまで『どうせ自分は聖女に選ばれない』と思い続けてきただろう。それで、修行や日々の奉仕活動で手を抜きまくっていたというのなら、今更誰がどんな権力でナディアを引き上げようとしても、同じ候補者として私はお前を絶対に認めない。そこのところはどうなんだ、ナディア。お前こそ、選ばれないと安心しきって、怠惰な日々を過ごしてはいなかったか?」    どんな嘘も見抜くであろう峻烈なまなざしを前に、ナディアは自分を偽らぬ言葉を探して告げた。 「どうせ私は選ばれないと考えていたのは否定しません。選ばれたいと願っても、姉さまたちより自分が優れているとは思えませんでしたし、聖女というのは優れた能力のある人間がなるべきだと信じていました。ですが、たとえば姉さまたちに不慮の事態があったときも含め、何らかのめぐり合わせで自分が聖女になる可能性まで全否定していたわけではありません。日々の生活のすべて、候補者として恥じぬように勤めてきました。その上で申し上げます」  勢い込んで乱れた呼吸を整え、断固として宣言する。 「候補者は、聖女となるべく、ひとに恥じぬ生き方をする、人間としても優れた性質の持ち主であるべきだと信じてきました。しかし、もし先程の暴挙がセレーネ姉さまの陰謀なのであれば、あまりに短絡的だと思います。事実関係を明らかにする必要があります。そして、疑いようがなくそうだと結論が出た場合、少なくともセレーネ姉さまが聖女になるよりは、自分がなるべきだと考えます」  アンゼルマは、面白そうに目を瞬かせ、「なるほど」と一言呟いてから言った。 「つまりナディアは、これから本気で私たちとぶつかると。そう考えておいて良いね?」
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