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攻略を考える
聖女候補に選出されてから、早三年。
義姉たちと日々の生活では友好的に接してきたつもりのナディアであったが、個人的な部屋の行き来というのは初めてだった。
「アンゼルマ姉さま、部屋のセンスに王族感がありますね……!」
一歩足を踏み入れたところで、ナディアは感嘆の吐息をもらして辺りを見回す。
天井から吊るされたクリスタルのシャンデリアの真下には、大輪の花を活けた一つ足テーブル。
優美な幾何学模様の描かれた青系の壁紙が、部屋の印象を柔らかいものにしている。窓には、濃い群青の厚いカーテン。大理石の暖炉の上には、金の燭台や陶器の置き時計が並べられ、空と草原を描いた風景画がかけられていた。
テーブルやソファといった調度品も瀟洒で高級感があり、さりげなく置かれたクッションの一つ一つまで趣向の凝らされたファブリックがかけられている。
「王宮暮らしが長かったから、雰囲気は似るかも。座って」
促されて、ナディアはソファに腰を下ろす。品よく整えられた空間を改めて憧憬のまなざしで眺めた。
(部屋の作りは同じはずなんだけど……。私は初期状態からほとんど物を買い足していないから、地味。必要とも思わなかったし、贅沢に慣れたくなかったから……)
神殿は度を超えた奢侈に流れるのを良しとしないが、聖女候補者たちに清貧を強いているわけでもない。なにしろいざ聖女に選ばれたとなれば、国王と並ぶ国の頂点。聖女として庶民に寄り添う感覚はもちろん重要だが、同じかそれ以上に、王侯貴族並に物を見る目や広範囲の知識を備えていることが大切なのも、間違いない。ある程度の贅沢品や身を飾ることは推奨されている。
ナディアは生家が裕福ではなかったために、贅沢に対しては気後れがあった。聖女になる見通しもなかったことから、元の生活に戻れなくなることを警戒して、これまで自由になるお金にもほとんど手を付けていない。
生まれ育ちは候補者に選ばれた段階で不問にされているとはいえ、こうした端々に少なからず影響として残っているのを強く実感した。今まで都合よく目を逸らしてきた、出だしからの出遅れである。
「それで。具体的に何を望んでここに来た? 本来なら聖女の座を争う敵同士なわけだが、話があるみたいだから聞こう」
アンゼルマは、向かい合ったソファではなく、ナディアと肩がぶつかるほどの近さで隣に腰を下ろした。
ちらりと見上げる位置から視線を流される。目が合ったナディアは、体ごと向き直って、思い切って言った。
「私の中で、一番聖女に近い候補者は、アンゼルマ姉さまなんです」
「敗北宣言か?」
腕を組んで、人が悪そうに笑うアンゼルマ。ナディアはすかさず「いいえ!」と答える。その勢いのまま、光を湛えた青の瞳を真っ直ぐに見上げて言い募った。
「姉さま、近々北部の魔物頻出地帯の戦線に向かわれる予定がありましたよね。私も、同行します」
「あそこはいま激戦区だ。ナディアの『浄化』で戦えるつもりか?」
「はい。私の『浄化』はアンゼルマ姉さまよりは弱いですが、セレーネ姉さまとサンドラ姉さまよりは若干強いです。実質、二番手です。つまり、そこだけ見れば私は聖女にかなり近い」
真剣に話したのに、妙な間が空いた。
沈黙の後、アンゼルマがクスッとふきだした。
「大きく出ることにしたみたいだな」
低く柔らかい声で混ぜっ返されてしまったが、ナディアはなんとか強気を保とうとする。
「大きくも何も……、今までも、候補者としては振り落とされずに来たことを思い出しまして……! 自分で自分を信じることから始めます。『出来ない』『無理』『向いてない』そういうネガティブなことは禁止にしました。自分に」
言いながら、段々声が小さくなってしまう。笑いをおさめたアンゼルマの表情が、凛々しく険しい。
逃げ出したくなるほどの迫力。
いつしか、体が緊張でガチガチになっていたが、そのせいでかえって目を逸らせぬまま、ナディアはなおも続けた。
「今までの私は、せめて人から嫌われないように『身の程をわきまえた振る舞い』を意識してきました。だけどそれは、嫌われないだけで、好かれもしないんです。いてもいなくても変わらない。それが私でした。でも、それで良いのだと思おうと……。私ごときが姉さまたちより目立ちたいとか、周りから、必要とされたいとか。あ、愛されたいとか……」
「愛? 愛されたいの、ナディアは。そういう欲が出てきた?」
(欲……なんだろうか)
「いまの私は、特に誰にも愛されてはいないので……。自分で自分を信じ、愛さないと。好かれる人間になりたい。その手始めに、私自身が憧れる人を徹底的に観察して、その魅力を分析しようと思い立ちました。そう! いま目の前にいるアンゼルマ姉さまです!」
鋭いまなざしが幾分和らぐ。口元には微笑を浮かべながら、アンゼルマが楽しげに言った。
「ずいぶんと調子が良いことを言うものだ。それで私がほだされるとでも?」
「ほだされるかどうかはわかりませんけど、今までよりは私を気にするようになるとは思うんです。アンゼルマ姉さまの視界に入って、候補者だと認識してもらい、できれば敵とみなされたい。アンゼルマ姉さまからして『無視できない存在』になったら、周りの皆さんが私を見る目も変わってくるわけで」
がつん、と腕を組んだまま肩をぶつけてきたアンゼルマは、目を輝かせながらキッパリと言い切った。
「遅いんだよ。それはここに来て最初にすべきことだ。三年も適当にやり過ごしてからその方法で人望を得ようと気づくなんて、人の上に立つセンスなさすぎだろ。聖女になるなんて絶望的だ。諦めろ」
「諦めません!」
「勢いで言い返せば良いってもんじゃない。今さらお前が一人できゃんきゃん喚いたところで『おもしれー女』なんて誰も思わないさ。本気になってももう遅い」
(正論です、姉さま)
頷いて認めて引き下がりそうになる。自分の一番楽な状態、「無欲なふりをして諦める」に。だめだ。
「まだ遅くありません。本選まではまだ時間があります。もし万が一今のままの私が聖女に選ばれたら、その時は何というか……その時こそ、取り返しがつかないわけで」
最終的には自信のなさに押し流されかけて声が小さくなる。そのナディアの俯き加減の顔を、少しだけ身を屈めてのぞきこみながら、アンゼルマが明るい声で言った。
「あまりいじめるのは良くないね。ひとまずナディアがこの一日で一人で猛烈に考えたことは評価しよう。ただし戦場に出る出ない以前に、ナディア、お前の周りには味方がいなさすぎる。また危ない目に合わないよう、うちからはギルベルトを護衛に貸すよ。何かあればあれがお前を必ず守る。私は、聖女候補者としての真っ向勝負以外での候補者の脱落は望まない。私の期待を裏切らないように」
落ち込んでなるものかと、歯をくいしばっていたナディアは、アンゼルマの提案に目を瞬いた。
理解は遅れてやってきて、かなり良心的な申し出をされていることに気づく。
距離の近いアンゼルマに、思わず手を差し伸べて腕に掴みかかりながら、ナディアはほっと息を吐き出した。
「一番最初にアンゼルマ姉さまの攻略を選択して正解でした。姉さま、ありがとうございます」
とても頭が素直になっていたせいで、思ったままのことを口にしてしまった。
攻略……? と、アンゼルマが低い声で呟いた。
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