中編

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中編

あれから11年の間、桃華(ももか)は、母の仕事の関係で、母子ともに世界中を飛びまわった。 そして、つい最近、母の職務上のスキルをこっそり借りて、月乃(つきの)のSNSをのぞき見する機会を得た。 良家の子女ばかりがつどう小等部から高等部まで一貫の全寮制の学び()では、ネットリテラシーの教育も万全なようで、いわゆる"オモテ"のアカウントで見るかぎり、月乃(つきの)は、他の上品なご学友と同様に、すこぶる品行方正かつ適度に明朗快活な、ステレオタイプの"お嬢様"にすぎなかった。 でも、彼女がコッソリと日記がわりにしるしている"ウラ"の(パスワード)付きアカウントのSNSには、思春期にある深窓(しんそう)の少女の初恋の想いがひたむきに、くりかえし吐露されていて、その初恋の相手とは桃華(ももか)の予想どおり、桃華(ももか)自身であった。 桃華(ももか)は、それを確かめたとき、ひとりでに足先から全身が空中に舞い上がりそうなほどに浮かれて、プルンとしたピンク色のクチビルからも勝手に歓喜の悲鳴があふれだしそうなのを小さな両手で必死におさえつけなくてはならなかった。 でも、その次の瞬間には、とほうもなくミジメな悲嘆と罪の意識で、ハシバミ色の大きな瞳がとろけだしそうにうるんだ。 おりしも、大好きなハロウィンの季節の母の赴任先が、今年は故郷の日本に決まった。 また、あの避暑地の高原の湖畔で過ごせるのだ。 花火大会の夜、年に一度の大イベントの準備に余念のない母の目を盗んでこっそり湖に走り出す。 あのころに比べて背は伸びた。けれど、やっぱり、同じ17才の女の子たちに比べると、ちょっぴり小柄で。 顔だちも子供じみた幼さが残り、そのくせ、胸とオシリだけは生意気に成長いちじるしい。 カラダのラインを恥ずかしがってダボッとしたチュニックなんかをはおると、小さな顔にアンバランスな服の大きさがかえって目立ってしまうので、仕方なくタイトなワンピースを身につける。 意図せずして自分の容姿が異性の目を引き付けていることを自覚させられた時の、途方もない不快感。 それ以来、桃華(ももか)の"男ギライ"は拍車がかかった。 それとも、それは、桃華(ももか)の遺伝子にハナから刻み込まれてきた性質なんだろうか。 男をトリコにせずにはおかない魅力を異端とののしられ蹂躙され、同性にも妬まれ迫害された、血族のいにしえの遺伝子に。 でも正直、そんなことはどうでもよくって。 ただただ桃華(ももか)は、月乃(つきの)が好きだった。 初めて会った時から、ずっとずっと好きだった。 だから、その理由を自分の遺伝子にでも求めたら、自分の罪悪感が少しは晴れるかな、なんて。 ちゃっかり思っただけにすぎない。 ――そもそも遺伝子って何よ? ……あたしは、あたしでしかないもの。 でも、とにかく、言えることは、いずれにしても、この想いは不可抗力。 ――だから、許してね、月乃(つきの)……。 対岸の夜空に、最初の花火が上がった。 少し遅れて、「パーン」と音が響く。 その音にまぎれて、カサリと枯れ葉を踏む足音が聞こえたと思ったら、フワリと柔らかく風が動いて。 月乃(つきの)が、当たり前のように隣に腰をかけた。仕立てのいいツイードのフレアスカートが、水辺の湿った砂に汚れるのもおかまいなしに。 咲き初めの薔薇の香りに誘われたみたいに、さりげない驚きをよそおって。 でも、小麦色のなめらかな頬が真っ赤に染まるのを隠しようがないまま、桃華(ももか)は、ハッと横を向く。 賢明な良家の子女は、当然、"オモテ"にも"ウラ"のアカウントにさえも自撮り(セルフィー)なんて1枚も公開していなかったから、それはまぎれもなく11年ぶりに見る彼女の姿で。 アンティークドールまがいの幼い少女は、美しい咲き初めの薔薇のままの少女に成長していて、桃華(ももか)に軽いメマイを覚えさせた。 輪郭のはっきりした細い柳眉も切れの長い目も、優雅な鼻スジと口角のキュッとしまった意志的な唇も、相変わらずできすぎたアンティークドールそのものに無機質に整って、そこに、見事に均整のとれた肢体のしなやかさが、女性らしい優雅な曲線をハッキリと示していた。 「ごきげんよう、桃華(ももか)」 まるで、ほんの数日ぶりの再会みたいに。月乃(つきの)は言った。 清らかな泉のままに涼やかでしっとりした美しい声。 青みがかったツヤヤカな黒髪がスルリと肩から背中にスベリ落ちると、彼女が細く長い首をわずかにかたむけた無作為のシグサさえ、計算づくのアプローチに思えてしまう。 それほどに、桃華(ももか)はノボセあがってしまっていた。 「ご、ごきげんよう……」 ぎこちなく語尾がかすむアイサツ。 ――だって、生まれて初めて口にする言葉だもの…… それに、少し鼻にかかったクセのある自分の甘ったるい高い声が、いたたまれないのだ、ムショーに。 子供の頃からかわりばえのない、この髪型(ツインテール)も。 左右にそれぞれクルンと揺れる毛先がお気に入りだったけど、なんだか急に子供っぽくて。バカみたいに思えてきた。 月乃(つきの)は、でも、桃華(ももか)の胸の内など知る由もなく、見かけによらないアケスケさで、 「やっと、会えた」 と、無邪気に微笑みながら、透けるような白い綺麗な手をのばして、桃華(ももか)の小さな手をやわらかく握りしめた。 汗ばむくらいに熱を帯びていた桃華(ももか)の肌に、ひんやりとした月乃(つきの)の体温が、ひどく心地よくて。 桃華(ももか)の心は、一瞬で凪いでいく。 月乃(つきの)の硬質な闇色の瞳の奥に揺れる光の焦点をのぞきこめば、なおさら。 暗く切ない罪の意識も、その光に吸い込まれて消えてしまう気がした。 11年の時間なんて一瞬で超えて、2人は、あの幼い日のままに2人で笑いあった。 「ねえ。あれから、どうしてた? 桃華(ももか)」 「あたし、ママの仕事のつごうで、世界中を旅してまわってたの」 「あら、ステキね。うらやましい」 「月乃(つきの)は?」 「わたしは、全寮制の学び舎に閉じこめられて、ひたすら学業に専念いたしましてよ。おかげさまで進学の悩みもさしてないから、お父様におねだりして11年ぶりにこの別荘に連れてきてもらったの」 と、おどけたように言ってから、月乃(つきの)は、 「アナタに会えるって。信じてたから」 青白いくらいに透き通った顔に、不意に熱っぽい愁いをのぞかせた。 桃華(ももか)は、カラダの奥がカアッと熱くなるような悦びを味わうとともに、ふたたび痛いほどの罪の意識にさいなまれた。 やがて、滝のような仕掛け花火が流れおちたあと、スターマインが次々と連発して空をいっそう明るく輝かせる。 もうすぐ、祭りのフィナーレだ。 「また来年、ここにくるわ」 月乃(つきの)は、握りしめた手にギュッと力をこめて、意を決したみたいにつぶやいた。 桃華(ももか)は、ふっくらしたクチビルをカミしめてから、しょんぼりとうなだれた。 「どうかな。……そうだと、いいな」 「それ、どういう意味?」 「だって……11年前、アタシが月乃(つきの)にあげたキャンディー。ナメてくれたでしょ?」 「……? え、ええ……まあね」 脈絡のない問いに困惑しながら、月乃(つきの)は、アイマイな視線を空中に泳がせた。 桃華(ももか)は、繊細な柳眉を悲しくしかめながら、月乃(つきの)の手をほどいた。 それから、白いワンピースのポケットを探って、真っ赤な飴玉(あめだま)を1つ取り出すと、手のひらに乗せて、無言で突き出した。 幼かった、あの日と同じに。 どちらも、とびっきり有能な魔女である母のお手製の、魔法の飴玉(あめだま)には違いない。 でも、11年前のあの日、月乃(つきの)にあげた琥珀色(こはくいろ)飴玉(あめだま)には、『相手を自分のトリコにさせる恋の魔法』がかかっていた。 この真っ赤な飴玉(あめだま)には、かけた魔法を『無効にする魔法』がかかっている。 月乃(つきの)は、キョトンとしながら、飴玉(あめだま)を受け取りざまセロファン紙をはがすと、真っ赤な飴玉(あめだま)を綺麗な指先につまみあげるなり、桃華(ももか)のクチビルにムリヤリ押し込んだ。 「んむ……っ!?」 桃華(ももか)は、ハシバミ色の明るい目をギョッと見開いた。 小動物めいた愛くるしい小さな顔が赤くなったり青くなったり。 面白いように色を変える。 それがあまりに可憐で微笑ましくて。月乃(つきの)は、思わずクスリと鼻を鳴らした。 桃華(ももか)は、今にも泣きそうだった。 魔女謹製の飴玉(あめだま)は、はかなく、もろいから。 恋の熱にノボセた少女の舌の上に転がされたら、あっという間に溶けてしまう。 その前に、どうしても、この飴玉(あめだま)月乃(つきの)にナメさせなきゃならない。 月乃(つきの)を恋の魔法から目覚めさせてあげなきゃ。 ――そしたら、きっと、月乃(つきの)は、あたしのことなんか、すぐに忘れちゃうだろうけど…… でも、それは当然の罰だ。 魔法なんかでムリヤリ初恋を成就させようとした、世間知らずで身勝手な、半人前の魔女への罰。 だから、あまんじて受けなきゃならない。 魔法なんかでガンジガラメにした恋から、月乃(つきの)をすぐに、解放してあげなきゃけいけない。 だから、 ――どうしよう、早くしないと(あめ)が溶けちゃう……! と、桃華(ももか)は、あわてふためいて。 あげくに、桃華(ももか)は、月乃(つきの)の端正な淡桜色のクチビルに、いきなり自分のクチビルをぶつけるなり、小さくなった飴玉(あめだま)を舌の先で押し込んだ。 「んん……っ!?」 今度は、月乃(つきの)が目を白黒させる番だった。 対岸のお祭りは、とっくに終わっていた。 湖面は漆黒に凪いで、銀色の三日月を浮かべていた。 かすかにさざめいていた秋の風も、ぴたりとやんで。 つかの間、夜の鳥や虫の声もとだえて、完全なる静寂が湖畔の森を包み込んだ気がした。
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