干からびたブロッコリー

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干からびたブロッコリー

 pppp.......  目覚まし時計の無機質な音で目を覚ます。  私は布団の中から右手を突き上げて枕もとを探る。2、3回空気を掴んでからようやく目覚まし時計を掴んだ。そしてそのまま顔の前まで手繰り寄せてアラームを止める。  6時40分――寝ぼけまなこを擦りながらデジタル画面を見るとそう表示されていた。  身体を持ち上げようと腹筋に力を入れる。けれどまだ完全に目覚めていない分身体がどうにも重たい。少し時間をかけてようやく起き上がると、薄いカーテン越しに朝日が差し込んでいた。  清々しい朝にもかかわらず気分はあんまりよくない。  それは多分、アラームで無理やり目を覚ましたことと、仕事の疲れが十分に取れていないからだろう。  とはいっても今日は火曜日……1週間なんて始まったばかりだ。  まだくつろいでいたい気分だったけど、そろそろ準備をしないと出勤時間に余裕がなくなる。  大きく背伸びをしてベッドから降り、何か食べるものはないかとのそのそ冷蔵庫の方へ向かう。  ひとり暮らし仕様の小さめの冷蔵庫。そのドアをゆっくりと開いて中を漁る。出てきたのは未開封の6枚入り食パンと、いつ買ったのかすら覚えていない干からびたブロッコリーの切れ端、口が開いた牛乳パックが1本。自分でもびっくりするくらい何もない。 ――あぁ、一体私はどれくらい買い物に行ってないんだっけ? ここのところ目が回るくらい忙しかったから、えっと――  冷蔵庫の惨状を目の前にそんなことを考える。  ふと、「このまま何も食べずに行ってもいいかな」なんて考えが脳裏を過った。それでもさすがに何か食べておかないと午前中の仕事がキツイし……。  とりあえずと牛乳をコップの3分の2くらいに注いで、残り半分くらいになったパックは冷蔵庫に戻す。食パンは封を破って1枚だけ取り出し皿の上に置いた。  トーストにしようか……と一瞬トースターを見たけどやっぱりやめた。ジャムとかあればなぁ……いや、関係ないか。今はこのパンに何か手を加えることそのものが億劫だ。焼く、塗る――そんな単純なことでさえ。  そのまま部屋まで持っていき、テーブルに置く。少し雑に置いたものだから「ドンッ」と鈍いを立てパンが跳ねる。牛乳も波立って危うく越水するところだった。  その瞬間、頬をツーッと液体が流れていく感覚がした。  ハッと電源のついていないテレビの方を見ると、そこに映る私は確かに泣いていた。 「泣いてる……どうして?」  ただ真っ黒な画面にかすかに映る自分の姿を、まるで時が止まったかのように呆然と眺めている私。  感覚にして永遠。  随分と長く続いたように感じられた静寂を打ち破ったのは、二度寝対策にセットしたアラームの第2陣だった。  それでようやく我に返ると急いでパンを口に運び、牛乳と一緒に飲み干す。皿とコップは流し台まで運び軽く水でゆすぎ、ついでに歯磨きも終わらせる。その後は三度(みたび)部屋に戻って鏡とにらめっこしながら髪を整え、化粧をして、ハンガーにかけていたスーツに袖を通し――。  様々な準備をこなし、最後に出勤用のリュックを背負って玄関に行くと、ドアに備え付けてある郵便受けの中にハガキが投函されているのが目に留まる。靴を履く傍らハガキを手に取りスーツのポケットに入れた。中身は一切見ていない。  そして玄関に鍵をかけ、小走りで駅へと急いだ。  通勤通学ラッシュの三鷹(みたか)駅は人で埋め尽くされていた。その人ごみの最前列で、ボーっとチャイナマフィア映画の広告を眺める。  そういえばあの子が好きだったっけ……こういう映画――ふと脳裏を過ったのは中学の頃の友達のことだった。今はもう、どこで何をしているのかわからない、そんな友達の。 「陽菜(ひな)ッ!」  どこからかその友達に名前を呼ばれた気がした。  だけど周囲を見回してもその友達の姿はなく。  当たり前だ。  あくまで呼ばれた気がしただけであって、本当に呼ばれた訳じゃない。ほんのかすかに残る当時の記憶の破片……残渣と言えばいいか。そんなのがたまたま耳に作用して幻聴が聞こえただけだ。  理由もわからず涙が出たりだとか、昔の友達の声が聞こえたりだとか。最近こういうことが本当によくある。  最初のうちは社会人生活に馴染めずに起きる軽い精神疾患に起因するものだと思っていた。  しかし、どうにもそういうものでもないんじゃないかと疑い始めた。  もう社会人になって2年ちょっと。さすがに生活に慣れないじゃ説明がつかない。かといって、職場の環境には恵まれていて辞めようと考えたことはただの一度もないし、つきあって3年になる恋人だっている。加えて両親はともに健在で親子関係も良好。このれだけの条件がそろっていて鬱になるものだろうか?  25歳の私は14歳の頃の私より、戦争を経験する前の私よりも賢く、しっかりと生きている。  それは自信をもって断言できるのだけど。  どうにも心にぽっかりと大きな穴が開いてしまったような感覚がいつもどこかに残る。  ホームの屋根と、駅前の大きなビルの間に覗く空を見上げると、ちょうど空の真ん中を一筋の飛行機雲が流れていた。 ――空はあの頃と比べてすっかり変わってしまった――
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