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消極的積極
台湾沖での武力衝突以後、特にこれと言った動きがあった訳でもない――世界も私も。
本当に惰性だけで生きて、気が付けば2か月の時間が飛ぶように過ぎ、私は中学2年生に進級した。
始業式の日の朝、いつも通りに家を出た。
玄関の扉を開くと朝日が少し眩しいくらいに照り、春のやわらかな風が優しく吹き抜ける。
「すーっ、はぁー」
1回大きく深呼吸をしてから、小走りで山の上の駅へと向かう。
私の通うのは隣町にある広域組合立の中学校だ。普通なら各自治体がそれぞれの公立学校を持つものだ。だけど人口が極端に少ないこの地区では、いくつかの町村が合同で出資して学校を作った。そのため学区が広く、自分を含め殆どの学生が通学には鉄道を使う。
最初のうちは「不便だなぁ」、「面倒だなぁ」なんて思っていたけれど、2年目になればさすがにもうそれも慣れた。むしろそんな億劫さよりも、人気の少ない朝の列車と一緒に深紅のシンボリックな鉄橋を渡りながら、1日の営みが始まる町を見下ろすのがひとつの楽しみになっていた。
舗装されていない坂道を登って駅に着くと、ホーム上に設置されているベンチに座って列車を待つ。
しばらく、待っていると反対方向に行く列車がやってきた。隣の駅がすれ違い駅になっているから、あと大体5分くらいで列車が来る。
私は立ち上がってホームに記されている列車の乗車位置の前まで移動した。
「おはよう、水上」
「おっはよー! 陽菜ちゃん!」
男声と女声、それぞれで苗字と名前を呼ばれる。
振り向くとそこには幼なじみの双子が立っていた。自分を「水上」と呼んだのが兄の新島一沁くんで、「陽菜ちゃん」と呼んだ方が妹の夏帆さん。そんなふたりに自分もニコッと笑って「おはよう」と返す。
「終業式以来だよね。陽菜ちゃんは春休み期間中何してた?」
夏帆さんの問いに唸りながら数秒考え、「部活と宿題くらいかな」と答える。
つまらない返し文句だ。
もっと他にこう、オシャレというか気の利いた回答がなかったものかと軽い後悔をした。それでも「部活と宿題くらい」というのは社交辞令でも何でもなく、まごうことなき事実に基づいた発言で。それ以上のものなんて何ひとつなかった。
こうやって考えるとやっぱりつまらないな。
そんな体たらくな春休みの過ごし方を聞いて双子はどう思っただろう。
ふたりで顔を見合わせて一瞬の沈黙。それから口をそろえて言った――「わたしらもおんなじ感じかな」……と。
さすが双子。始まりも終わりも息がぴったりだった。口には出さないもののちょっぴり感心してしまう。もちろんそれは今に始まったことではないのだけど。
たわいもないやりとりを交わしているうちに、2両編成のディーゼル列車がエンジンの轟音をとどろかせながら、ブレーキの甲高い音を響かせながらやってきた。
双子とは幼稚園のころからずっと一緒で、それも家族ぐるみのつき合いだった。ただ時が流れて成長するにつれ、ずっと一緒というのも難しくはなってきた。特に中学生になってからはそれぞれのクラス、部活があり、それぞれのつき合いもできて。でも機会があればこうやって3人揃って近況報告などをしている。だからこういう朝は特に幸せだった。
学校に着くと、もう下足室の前に新クラスの名簿が貼りだされていて、その周りを大勢の生徒が取り囲んでその結果に一喜一憂している様子が見て取れた。
1学年3クラスしかない田舎の中学校といっても、やっぱりクラス替えは一大行事だ。実際、クラス替えの編成次第でその年1年間の過ごし方が変わってくる訳だし。
「あ、わたしの名前あった! C組だ!!」
横で夏帆さんが自分の名前を見つけ声をあげる。
「俺もC組だ」
続けて一沁くんも。
「2人ともC組なら私もC組がいいなぁ」
なんてぼやきながら自分の名前を探す。
無意識のうちC組の名簿から自分のクラスを探そうとしていた。
そして――渡部、山口、森谷と下から見ていくこと4行目のところ。確かにそこには水上陽菜と書かれていた。
「あった! 私もC組だ」
反射的に声をあげると、夏帆さんが私の手を握って「やったね! これで今年は3人一緒のクラスだよ!」と少し大げさな声をあげる。それを見ていた一沁くんもまた笑顔で、私自身もずっと仲良しの双子と同じクラスで1年間を過ごせると思うと心底に嬉しかった。
始業式の翌日、早速クラスの役員決めがあった。
これから上半期のクラスの運勢を占う、ある意味大事な大事な役員決めだ。
やり方は挙手制で立候補者が複数いれば選挙、いなければクラスメイトと先生による推挙という方式だった。
先生は「できるだけ経験がない人を」と言っていたけれど、そんなの無理だ。2年生にもなると誰がどの委員会をやるかなんて粗方決まっているんだから。去年1年間でスクールカーストが完成した。その上位者がだいたい立候補するし、中位者、下位者は選挙……というか人気投票で勝負にならないのをわかっているからよっぽどのもの好きでない限りあえて立候補する者などいない。席が空いていればそこに座るだけだ。だから本当にいろんな人に役員を経験させたいのなら先生が無条件で決めれば良いのにと思う。
それでも一応は民主主義(のつもり?)で立候補制、選挙制の体裁でなければならないのだろう。
まぁ、1年の下半期の時点で役員の顔触れはほとんど変わらなかったのだから、クラス替えによる若干の変動はあったとしても大幅に変わることなんてないはず。
ちなみに私は去年、下半期に保健委員会をやった。理由は誰も立候補者がいなかったから何となく。今年もそんな感じで席があるなら出るし、なければそれで良いと考えてる。消極的積極……これがバランスが取れて居心地が良いんだ。
「じゃあ、男子学級委員から決めていくぞ」
黒板に全ての委員会を書き終えると、先生はくるっとこちらを振り返り、立候補者する人はいないかクラス全体に問う。
一瞬クラスがシーンと静まり返ってから、ひとりの男子生徒が「はい」と手を挙げる。その声にどよめきも何もなく、誰も彼もが「だよね」といった表情を浮かべていた。私自身も例に漏れずそんな表情をしていたと思う。
その生徒というのが一沁くんだ。
「お、新島……一沁か。他にやりたい人はいるか? いないなら無条件で一沁が学級委員で決まりになるが?」
そんな確認をいまさらとったって無駄でしょうに。
そもそも「我こそは新島一沁にとって代わって」という野心家がいればその人物はすでに立候補しているはずだ。かといって「じゃあ」と後出しで来る消極さんなら勝負にならない。
なぜなら一沁くんはこの学年のカーストで断トツの1位を誇る人間だからだ。努力家で成績優秀、スポーツ万能、みんなに好かれる明るさと優しさを持ち、加えて端正な顔つき。これで人気にならないならむしろその学年はどこか狂ってる。
そんな彼の背中を見て純粋に凄いなと憧れを覚えたのは今に始まった訳じゃないけど、1年間を別クラスで過ごしてから改めて目の当たりにして、何だかずいぶんと手の届かないところに行ってしまったような感じがしてちょっぴり寂しかったし……憧れはより強くなった気がする。
そんなことをボーっと考えているうちに、役員決めの方は順調に進み、ほとんどの委員会が決まった……学級委員女子を残して。
どうもこのクラスには去年学級委員を経験した女子がいないみたいだった。幸か不幸か問われれば先生的には間違いなく幸だろう。ただ、そこまで積極的でない人種からすれば誰かに押しつけたい役職――間違いなく不幸だ。
「本当に誰もやりたい人はいないのか?」
先生がため息交じりに尋ねる。それでも手を挙がらない。
「しょうがない、もう休み時間になるし、次で決めようか」
とうとうあきらめて先生はホームルームを一旦打ち切る。
「陽菜ちゃん、学級委員やればいいじゃん」
「え、私?」
休み時間、夏帆さんが私の席のところにやってきて学級委員に立候補することを勧めてきた。その夏帆さんの名札には文化委員のバッチがすでに取りつけられていた。去年に引き続きだそうだ。
「私はそんなガラじゃないよ」
そう言ってやんわりと断る。去年やった保健委員ならまだしも、クラスのまとめ役っていうのはちょっと。空いてる席に座ろうと考えてたけども、さすがに学級委員ってほど積極的じゃない。
「そんなことないよ!」
「水上は人当たりがいいから、俺も向いてるんじゃないかと思うぞ」
「もぉ、一沁くんまで……」
夏帆さんは勧めることをやめないし、それに一沁くんまで加わるものだから、私はついに断ることができなかった。
次のホームルームで改めて担任に恐る恐る手を挙げた。
「水上、やってくれるか!」
先生はやっと現れた立候補者に安堵の笑みをこぼしていた。あれだけ立候補を渋っていたみんなだ。せっかく生贄が決まったのだからと対立候補が出てくることもなく、そのまますんなりと学級委員・水上陽菜が誕生した。
この日の授業は午前中のホームルームだけで、午後は部活動や入学式の準備などの時間が割り当てられていた。
夏帆さんは卓球部、一沁くんは野球部、私は剣道部。それぞれが全く違う部活に所属していることもあって、今日はそのままお開きとなった。
私は武道場に行こうと校舎を出ると、満開の桜の花が4月の優しい風に揺られていた。
この時、私には恐れるものなんてなかったような気がする。
背中を押してくれる幼なじみがいて、それだけでどこか前向きになれる部分があった。だからこの先どんな困難が来ても3人一緒ならきっとどこまでも行けると、そんな何の確証もないことをひたすら妄信していた。
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