気をつけてね

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気をつけてね

 気象庁が近畿(きんき)地方の梅雨明け発表をしてから1週間が過ぎた頃。あれほど降り続けていた雨はパタリと止み、その間雲の影に隠れていた太陽が今日も元気に顔を出している。気温も一気に上がり、いよいよ夏本番といった雰囲気が世の中に漂っていた。  夏の前半と言えば特に明るさを連想させるものだ。夏休みの始まりの様な行事的なものもあるし、単純に日が長いというのがある。けれども私自身の心情はその逆……むしろ暗くなっていた。  慣れない学級委員に疲れた、部活が上手くいかない――そんなんじゃない。幼馴染みの、あのいつもの3人の関係に亀裂が入ったような気がしていたからだ。  このところ一沁(いっしん)くんと夏帆(かほ)さんが話している姿をめっきりと見なくなった。私は両方ともと話す機会があるにも関わらずだ。しかしながら3人揃うことは5月の連休を最後に無くなってしまった。  そういえば最近揃わないなと初めて感じたときは喧嘩でもしたのかなと軽く考えていた。ところがどうにもそういう訳ではなさそうだった。次に異変を感じたのは6月。一沁くんが週に何度か学校を休むようになった。そして7月に入った今週に限って言えばまだ1回も学校に来ていない。  そんなある日の部活帰り、偶然にも駅で夏帆さんに会った。 「あ、あの……夏帆さん。少し訊きたいことがあるんだけど……」 「どうしたの、陽菜(ひな)ちゃん?」  声をかけたときの夏帆さんはあの、いつもと変わらない笑顔だった。その表情を見て私は一瞬後ろめたさを覚える。もしかしたら――いや、ほぼ確実にその不変的な笑顔を奪うことを訊こうとしていたからだ。 「あのさ……えっと……一沁くんのこと……なんだけど――」  気まずさ故に言葉が詰まる。 「あ……」  そして訊きたいことを察した夏帆さんの表情が案の定陰った。  やっぱり訊かなければよかったと瞬間的に後悔する私の横でため息を吐きながら「やっぱり気づいてたんだね」と続ける。 「一沁がね、軍に志願したんだ」  ちょっぴり諦めたような笑みを浮かべながらそう言い放った。 「えっ、軍?」  考えるより先、反射的に訊き返してしまう。  だって軍だよ。それも中学2年生だよ。  ずっと遠くの世界のはずの言葉がこんな間近の人間から発せられるなんて予想だにしていなかった。 「そうだよ。何でも今の軍の制度だと14歳になる年度から志願できるんだってね。前々からちょくちょく訓練は受けてたみたいで、誕生日を迎える来月、正式に沖縄(おきなわ)防衛本部の配属になるんだって」  何て返したらいいのか言葉が見つからなくて、まるで時が止まったかのように立ち尽くしながら彼女の言っていることを呑み込むしかなかった。 「バカみたいだよね。今から軍だなんて」 「えっと……そうかな?」  何とか言葉を絞り出す。  バカみたいと言われれば間違いなくそうだろう。だって志願制を採用している軍隊に、わざわざ中学のうちから学業を停止してまで志願して。確かに一沁くんは成績も良いし運動もできるけれども、それにしたって軍だよ。殺し合いをする機関だよ。やっぱり……バカみたいな話だ。 「ずっと決めてたんだって。この歳になったら軍に行くんだって。もちろん家族みんな大反対。でも決心は揺るがなかった。残留孤児2世が国に忠誠を示すのはこれしかないって。日本はEPICでもなければ新連合でもない。もっとその先を目指す国だと思うのにどうしてそこまでっていうのはあるんだけど」 「残留孤児? その話……初めてなんだけど」  そう言いながらも内心、そういえばこの双子母親を私は今まで見たことがない。参観日とか地域の行事とか全部父親が参加していた。だからつじつまは合う。だけどそうじゃない。忠誠心――本当にそんなくだらないものが彼の軍志願の動機なのだろうか。 「まぁ、ね。家庭の事情を吹聴してまわる趣味はないから。だからこの話もこの場限りね」  いつかは知ることだったのだろうけど、なんだか知ってはいけないことを知ってしまった気がしてこれ以上は何も訊けなかった。ただ黙って俯いていることくらいしかできなかった。 「列車、来たから乗ろっか」 「えっ? あ……うん」  声をかけられるまで気づかなかった。  入線してきた列車も視界に入っていなかったし、全身を揺さぶるようなエンジン音すら耳に入ってきてなかった。  今の自分は考えれば考えるほど袋小路に迷い込んで、ぐちゃぐちゃになって収拾がつかなくなっていく。それでも考えずにはいられなくて、どうしようもない子の感情をどこかに吐き出したくてたまらなかった。  一沁くんが学校に来なくなってからそれなりに時間が経ち、クラスの中でも話題になり始めた。それは期末テスト直前に担任が「新島(にいじま)一沁は諸般の事情により当面学校を休む」とだけ告げ、学級委員男子の臨時選出を行ったことでさらに過熱する。  私のように直接何があったか夏帆さんに訊く人も数人現れた。でも彼女は困った顔をして話をはぐらかすくらいで、決してその真相を語ろうとしていなかった。やっぱり自分だから話してくれたところはあるようだ。  そうやって真実を知っている人が口を割ろうとしないからいろいろな噂がささやかれた。親の離婚だとか、病気だとか――ゴシップ好きな女子たちが思い当たる限りのことを想像しては好き勝手話しているのを何度か耳にしたことがある。そんな噂を耳にする度に私は聞いていないふりをしていた。別に好き勝手噂されていることが耐えられないとかそんなのじゃない。ただ、一沁くんの軍隊入りのことをできる限り考えないようにしたかったかのだ。  もちろん、幼馴染みだからと私に質問の矛先が向くこともあった。けど、私だって人の家庭事情を吹聴してまわる趣味はない。ましてや親友となればなおさらだ。そこはうまくやり過ごしたつもりだ。  とはいえ、やっぱり私だって知りたい。  そんな複雑な気持ちを内に秘めたまま時間だけが流れ、期末テストが終わり、全中(ぜんちゅう)の県大会が終わり、もう終業式の前日というところまで時が進んでいた。それに気づいた私は少し焦った。そして、その1日ももう終礼だから終わったも同然だ。  終礼が終わって学級日誌を書いていると、夏帆さんがやってきて。 「じゃあ陽菜ちゃん、今日は先に帰るね」 「うん、おつかれ」  ほんの短いやりとりを交わしただけで終わる会話。そしてそのまま無理矢理作った笑顔を残して教室を去っていく。 「あれ以来、夏帆さんと一緒に帰ってなかったっけ」  誰も居ない教室でひとり呟く。  窓から差し込む日差しはだいぶ西に傾いていて、空は少しオレンジがかっていた。グラウンドから聞こえる野球部やサッカー部の掛け声や蜩の鳴き声が残酷なほどに私の気持ちを暗くさせる。 「はぁ……」  ひと際大きなため息を吐いたそのとき、不意に教室の扉が開く音がして無意識に扉の方を見る。するとそこには一沁くんが軍服姿で立っていて、私は驚きのあまりに息が止まりそうになった。 「水上(みずかみ)……先生から聞いたよ。教室で日誌を書いてるって。あと夏帆が言ったらしいな、俺のこと」 「やっぱり、軍隊に行くんだね」  軍服に身を包んでいる辺り、どうあがいても否定はしてくれないとわかっていたけれど。それでも心のどこかでは否定して欲しいと願っていた。 「あぁ」  無情にも彼は頷く。  惰性の私なんかよりよっぽど、この先の未来があるはずの一沁くんが軍に行く――夏帆さんから聞いたあの日から、その事実がどうしてもバカみたいに思えて仕方がなかったから。だから例え今後の関係に遺恨を残すことになっても私は訊くんだ……その真意を。 「夏帆が伝えてくれた通りだよ。親が残留孤児だから、いつ家族にスパイ容疑をかけられるかわからない。そうならないためにどういう形であれ国に忠誠心を見せておく必要があると思ったんだ」  夏帆さんが教えてくれたことと寸分も違わない答え。でも私が知りたいのはそんな建前じゃない。もっとその先にあるものだ。 「本当にそれだけが理由なの?」 「あとはお金と情報のためだ」 「お金と情報?」 「いつか母さんを本当のばあちゃんに会わせてあげるのが俺の夢なんだ。だから今はばあちゃんを探すためにお金も情報も必要なんだ。本当はいつ死ぬかわからない軍隊なんて行きたくないよ……でも、夢を叶えるために避けて通れないなら、俺はその道を選ぶ」 「だからってどうして軍隊なの? 今は勉強して高校行って、大学行ってそこから仕事を頑張ったって――」  警察の尋問みたいに次から次へと質問を彼へ投げかける私。 「それじゃあ、遅いんだよ!」  一沁くんが怒鳴った。 「戦中に生まれた母さんは今年40歳。だとしたら、ばあちゃんが仮に20歳で産んだとしても今年60歳。だから5年後、10年後なんて言ってたらもう間に合わないかもしれないんだよ!」  夕暮れの教室に響く彼の声。  どれだけ言ってもやっぱり彼の意志は変わらないだろうし、もとよりそれを拒む権利は私にはない。 「わかった……気をつけてね」 「あぁ、心配する必要はないさ」  その時彼の言葉とは裏腹に、なぜだかもう二度と彼には会えないような気がした。
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