2人が本棚に入れています
本棚に追加
車内はなんだか暖房が効きすぎていて、彼女はたちまち荷物が心配になった。
自分の個室にたどり着くなり、本来は教科書やノートが収まっているはずの鞄の中身を、ベッドの上に次々と並べる。
二泊分の着替え、タオルや歯磨きセットといった洗面用具、ハンドクリーム、予備の厚手の靴下、愛読書一冊、旧式の音楽プレイヤー、ポケットティッシュ──そして、まるで隠すように底に入れておいた、リボンでラッピングしたハート型の箱。
市販品を固めただけの、なんちゃって手作りチョコレート。
こんなものを届けにいくためだけに、わざわざ片道二万円を下らない運賃を支払った自分の向こう見ずさ加減に、あらためて呆れと誇らしさがないまぜになった感慨を覚える。
これといった用途を見出せず、手付かずにしていたお年玉。まさかこんな形で使うとは思ってもみなかった。
部屋には冷蔵庫などない。考えた末に、彼女は箱を窓辺に置いた。外からの冷気が、多少の保冷効果をもたらしてくれることを期待して。
ちょうどその時、列車が静かに動き始めた。慣れ親しんだ東京の夜景が、向かい側の線路を行く通勤電車の乗客たちが、ゆっくりと、だが着実に後ろへ流れてゆく。
箱を窓辺に置いてしまうと、もう他にするべきことは何も思いつけなかった。勉強道具の一つも持ってこなかったことを彼女は悔い、そしてそんな己を自嘲した。
こんな家出同然のやり口で旅に出たのに、今更何を。
押し寄せる不安をごまかすように、彼女は荷物を一つひとつ丁寧に鞄へ戻していった。
読みかけのハードカバーを取り上げた時、中からひらりと白いものが落ちた。港町の夜景が描かれた切手の貼られた、白い封筒。
もう幾度となく読み返した便箋を取り出し、そっと開く。そして胸にかき抱くようにする。
手紙をくれた男の子は、中学校に上がる前に引っ越していってしまった。切手に描かれた風景のある、遠い北国の港町へ。
彼はいつだって親切だった。中学受験のストレスで荒んでいた彼女の愚痴を、いつも親身になって聞いてくれた。
それだけに、卒業式を迎える前にお別れを告げられた時には、なんだか裏切られたような心地がしたものだ。何通も手紙を受け取っていながら、一度たりとも返信を書いたことはないのは、そういうわけだ。
けど、意地を張るのはもう終わりにするんだ。
封筒に書かれた差出人住所を睨むようにしながら、彼女が今一度両手にぐっと力を入れた時。
コツコツ、とノックの音がした。
弾けるように飛び上がり、必要もないのに箱と手紙を枕の下に隠す。ローファーを履き直す彼女の頭の中を、さまざまな考えや妄想が暴風の如く駆け抜けていった。
まさか、もう親や先生に居所がバレた? それとも誰か大人に通報された? 私はこれからつまみ出されて、親元へ送還されるのだろうか?
鉄道警察ではなかった。車掌だった。
「乗車券と特急券、寝台券を拝見いたします」
身構える彼女をよそに、車掌は事務的な声で切符の提示を求めた。
せめて着替えを済ませておくんだった──車掌が切符を検めている間、未だ制服姿の彼女は自分がひどい間抜けのように思えてならなかった。
彼女の学校は都内有数の私立のお嬢様校で、特徴的な校章や三本線入りのセーラー服で、わかる人にはたちまちどこの学校か見抜かれてしまうのだ。
……まったく、学校ときたら。第二外国語の教育には熱心なくせに、こういう場面での身元の隠し方は教えてくれないのだから!
だが幸い、車掌は何も言わなかった。
「結構です、ありがとうございます。どうぞ良い旅を」
車掌が去った後、彼女は安堵のあまり思わずへたへたとベッドに腰を落としてしまった。
長々とため息を吐く彼女の耳に、車内放送のメロディが聞こえてきた。乗務員が車内設備と、到着予定時刻の案内をする。
「──郡山、二十一時五十五分。福島、二十二時三十一分。仙台、二十三時三十一分。仙台の次は函館でございます、函館は明朝の──」
地理や歴史の授業でしか聞いたことのない地名が、にわかに実態ある“世界”として彼女の前に現前した。
最初のコメントを投稿しよう!