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男が最初に考えたのは首吊りであった。上手く首が締まれば苦しまずに逝けると聞くし、やはり首吊りが一番王道だろう、と考えたからである。
男は、事前に用意しておいたロープをくくりつけると、慎重に輪の中に首を通す。そして、勢いをつけて踏み台にしていた椅子を蹴った。
「ゔっ……!」
その途端、ロープが強く首に絡みつき、男は潰れたカエルのような声を洩らす。
「ぐ、ぁ……!」
苦しさに耐えられなくなったのだろう。ぎしぎしとロープの軋む音を立てながら、男は激しく暴れ出した。
ぎしぎし、ぎしぎし。
ロープの音は次第に激しさを増す。
「っ……!」
そして、ついにロープは千切れた。
「はぁ、はっ……」
苦しげに何度も酸素を吸い込みながら、男はロープのかけてあった場所を見上げる。
「……失敗か」
どうやら、首吊りは無理らしい。そう悟ると、男は次の計画を実行すべくキッチンへ駆け込んだ。
次に男が試したのは、睡眠薬の過剰摂取だ。コップにたっぷりの水を入れると、睡眠薬を手に取ってそれらを一気に喉奥へと流し込む。――だが、それがよくなかった。
「ゔっ……ごほっ……!」
口内に流し込まれた大量の睡眠薬が、喉に支えて逆流してしまったのである。
「う、ぇ……」
キッチンのシンクに向かって嘔吐きながら、男はがっくりと肩を落とした。
男の計画は、またしても失敗してしまったのだ。
「次こそは……」
頭の中で計画を練りながら、男は足早に家を出る。目指すは二百メートル先にある駅。そこで、男は今度こそ望む結果を得るつもりだった。
男が計画に失敗しているうちに、外はすっかり夜の帳が下りている。
男は、終電が終わっていないことを願いながら駅への道を急いだ。
『次は下り、逢坂駅行きが参ります』
駅のホームに響くアナウンスを聞きながら、男は笑みを深くする。
首吊りも睡眠薬も失敗に終わった男だったが、飛び込みこそは成功させる自信があった。
なんせ飛び込みは、その名の通り線路へと飛び込むだけなのだ。きっとこれなら自分にもできる。男はそう思い、ゆっくりとホームの端に近付いていく。
白線を踏み越え、後はタイミングを見計らって飛び込むだけ。気持ちが急いて、身体が前のめりになる。男は、今までで一番と言っていいほどに電車が来ることを待ち望んでいた。――そんな風に、目の前のことにのめり込んでしまったからだろうか。
「すみません、ちょっといいですか」
男が気が付いた時には、真後ろに駅員が一人立っていた。
「危ないですので、白線の内側までお下がりください」
男がしようとしていることに気付いたのか、駅員は男の腕を引いて強引に安全地帯へと連れ戻す。――その瞬間、男の中で何かがぶつりと音を立てて切れた。
「やめろ!!」
男は、吼えるようにそう叫ぶと駅員の手を振りほどく。そして、雄叫びのような声を上げながらホームの階段を駆け下りた。
「こら!待ちなさい!!」
男のただならぬ雰囲気を感じ取ったのだろう。駅員は、走る男の背を追いかけた。
「待て!待てと言っているでしょう!!止まりなさい!!」
駅員は、男を止めるべく必死に叫ぶ。けれど、男は決して走るスピードを緩めなかった。
自宅で二度も計画に失敗し、外に出たら他人に邪魔をされ、どうしようもないほどに苛立っていたのである。故に、男は止まらない。
次に男が目指すのは、駅の隣にそびえ立つ古びたビルだった。
「はぁ、はぁ、はっ……」
駅のホームの階段を駆け下り、ビルの非常階段を全速力で上った男の脚は、もう使いものにならないほどガクガクと震えている。
男を追いかけていた駅員も、さすがにビルまでは追って来られなかったのかいつの間にか姿を消していた。
「ついに……ついにだ……!」
男は、ビルの屋上から下を眺めると高揚の声を上げる。
「飛び込みが駄目なら飛び降りだ……!これでやっと俺の計画は成功する……!」
フェンスを乗り越えることに、男は一切の躊躇いがなかった。
「あははははは!!」
高笑いを響かせながら、男は最後の一歩を踏み出す。
――それは、男が異世界転生を果たす前夜の事だった。
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