隣人に光の射すとき

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 冬は嫌いだ。  寒いし空気は乾燥するしウイルスはここぞとばかりに蔓延するし。  なにより、親友の黒瀬梓の表情が曇ることが増えるから。  理久は、冬が嫌いだった。  寒さに体を震わせて、毛布を手繰り寄せる。 「理久?」  囁き程の音量で呼ばれて、理久は瞼を持ち上げた。癖のない黒髪をさらりと揺らして、梓がこちらを覗き込んでくる。 「寒い?」  問われて、頷く。寒い。寒くて、歯の根が合わない。  梓が顔を振り向けて、 「ストーブ、もう少し強くしてくれますか」  と言った。  バリトンのやたらといい声がそれに「おう」と応じるのが聞こえた。  理久はそれで、いまこの部屋には梓だけでなく、彼の恋人(というか籍を入れているから伴侶か)が来ていることを知る。  エアコンは空気が乾燥するから使わず、代わりにつけているガスストーブの設定温度を上げた男が、長身を屈めるようにして梓の肩越しに理久を見下ろしてきた。 「大丈夫か」  声とともに大きな手が降りてきて、理久のひたいにてのひらを乗せた。すこしひんやりとした体温に、理久は首を竦めた。  フル稼働している加湿器から吹き出される霧が、理久の視界を不安定にしている。  寒くて、頭が痛くて、体の震えに体力を持って行かれてつらい。  つらいけれど、男のてのひらは心地良くて。  もう少し、触れていてほしいと、思ってしまう。  理久は唇を噛んだ。  乾燥した皮が引き攣れたけれど、いま力をゆるめてしまうと言ってはならないことを言ってしまいそうで恐ろしかった。  毛布を鼻先まで被ったまま、寝返りをうつふりで理久は梓たちから顔を背け、反対の壁の方を向く。  それだけの動作で息切れがして、ぜぇぜぇと肩を喘がせていると、布団越しに背中をゆっくり撫でられた。  この手は、梓だ。  理久の介抱に慣れている梓の、やさしい手の感触は、理久の体に馴染んでいた。 「熱が上がりきったら、今度は暑くなって汗をかくから……」  梓が小声で、黒瀬へといまからしておく準備を伝えている。  梓の仕草を真似たのだろうか。黒瀬の手まで理久の背を撫でだしたから、理久は壁へと向けている顔を思いきりくしゃりと歪めてしまった。  なんだろうなぁ、と思う。  オレって、こいつらの子どもかよ。  梓ママと、黒瀬パパ。  想像したら思いのほかしっくりときていて、理久は小さく笑った。  体が揺れたのを、寒さからの震えと勘違いされて、梓が、 「湯たんぽ持ってくるね」  と言って立ち上がった。 「いい、梓。俺が行くから」 「僕がやります」 「いや、俺がするって。おまえは理久についててやれ」 「でも、お仕事から帰って来たばっかりなのに」 「疲れてねぇって」  バリトンの声に、笑いが滲んだ。  どんな顔でこんなやさしい声を出してるんだろうかと気になって、理久はまた寝返りをして、瞼を少しだけ持ち上げる。  そうしてから、後悔した。  梓のことがいとしくてたまらない、というような男の笑顔なんて、見なければよかった。  カーテンの隙間から差し込んでいる光の筋が、寄り添うように立っている二人へと当たっている。  陽光に照らされた彼らは、きれいだった。  それはまるでスポットライトのようで、ベッドで芋虫のように丸まっている理久と、梓と黒瀬はべつの生き物なのだ、と、厳然と隔てる壁のようにも見えた。  あ~あ、と理久は吐息する。  いまさら己の虚弱体質を嘆いてもなにも変わらないから、これまではあまり深刻に考えないようにしていたのに。  いまは二人を見ているのが、少し、つらい。
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