一章 すずこ

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 私は美味しそうなものを食べるためなら、行列に並ぶことなんて余裕だし、楽しいことをするためなら多少の遠出も厭わない。自分が運動音痴だからか、スポーツ観戦なんかも結構好きだったりする。まあ、どの競技にしてもルールは曖昧だけれど。  空気を悪くしないためにずっと気を遣ってきたものの、こうした我慢が自分の社会経験のなさに多少なりとも繋がっているのではないか、とふと考えてしまった。  もちろん、二人のせいにするつもりはない。  なんだかんだ言っても、私自身、誰かと会わない限りはそもそも家から出ようとすらしないのだから。今は自宅でなんでも出来る時代だ。動画配信サービス、フードデリバリー、ネット通販。本当に生きやすい世の中になったと思うけれど、それに甘えすぎた人間の末路こそが、今の私なのかもしれない。  少しずつ、テレビの音が遠ざかっていく。  なんだか、無性に寂しくなってきた。  私は、親友たちが思っているよりずっと強い。  すぐに泣かないし、嫌なことがあっても決して愚痴ったりしない。  なにかに困ったとしても、人には相談せず一人で解決する術を考える。  言葉を紡いでいく仕事をしているというのに、リアルで人と向き合うと、自分の気持ちをうまく言語化することが出来なくなってしまう。そんな自分の弱点を理解しているからこそ、自分に見合った今の生き方を選んだ。そこに悔いはない。  恋人なんかいなくても毎日そこそこ楽しく生きていける自信はあるし、友達だってそう多くなくても構わない。  人見知りで恋愛にもあまり興味がなくって。ふらふらしたりもせず、慎ましいところが自分の良いところだとばかり、ずっと思っていたけれど……。 「そもそも、三十を目前にした良い大人が〝人見知り〟を言い訳になにもしないって、めちゃめちゃダサいのでは?」  今更気付いてしまった孤独の最大の原因は、間違いなくこれだろう。  だから小説だって一辺倒な仕上がりになってしまうのかもしれない。  いや、もう、そうとしか思えない。  やはり私はもっと自分の世界を広げなければならないのだ。多少無理をしてでも、やりたいと思ったことはもっとやっていったほうが良い。それは小説を書いていくうえで、きっと大事なことに違いないから。 「でも、一人では出来ないからこそ、こうなってしまったわけで」  うーんと腕を組む。もう男も女も関係ないので、なにかないだろうか。  トントンと机を小突きながら考えていると、前回の打ち合わせで担当編集の口から出た〝それ〟を思い出す。 「あ、マッチングアプリ」  恋をしたいわけではないけれど、趣味が合う人を探すという点では良いのかもしれない。  前のめりになっている私の行動は、とても早かった。  早速人気のアプリをダウンロードして、初期設定をしていく。プロフィールの入力や、好きなものへのチェック入れ。データフォルダから良い感じに写っている自分の写真を引っ張り出してきたりもした。  そして最後に、プロフィール欄にはきちんと〈にわかだけど野球観戦がしたい〉〈美味しいもの巡りをしてみたい〉等の願望もぶちまけておく。  すると瞬く間に数人の男性が反応をくれ、早速メッセージのやりとりをすることになった。すっかり失念していたが、私の周りにいないだけで、世の中には野球が好きな人も美味しいもの巡りが好きな人も、数えきれないほど存在しているのだ。  しかし行動が早い私は、打ちのめされることもまた早かった。  メッセージから透けて見える〝性的ななにか〟に、強い拒絶反応が出てしまったのである。  マッチングアプリだから当然といえば当然だけれど、そこには人間の生々しい部分がオブラートで丁寧に包み込まれた状態で広がっているような気がして、たまらなかった。  気が合いそうな相手を見つけ出して、仲良くなって、会って。  その先にあるのは?  それに気付いたとき、私は怖くなって、ここを利用するのはもうやめようと思った。  求めるものの趣旨が違っているのだから、悪いのは完全に自分である。  メッセージのやりとりをしていた男性たちに心の中で謝罪をしながら、私はアプリを消した。  僅か一時間の利用だった。
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