一章 すずこ

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「このお仕事って、忙しいんですか?」  不躾だと分かっているが、なんとなく博臣さんなら答えてくれるような気がした。  そしてその読みはどうやら正しかったらしい。 「まあ時期によりますね。あと彼氏とは言いつつ、なんでも屋に近いところがあるので楽なデートと楽じゃないデートがあります。気持ちの部分では、数より内容で忙しさは変わる感じかな」 「なんでも屋?」  あっさりと話してくれる博臣さんに、私も思わず前のめりになる。 「引っ越しの手伝いをしてほしいとか、限定ものを買いたいから一緒に行列に並んでほしいとか。あと、本物の彼氏のふりをして親に会ってほしいっていうのも結構あるんですけど、ああいうのは気を遣うので後から結構きますね」 「なるほど。お客さんの年齢層はどんな感じですか?」 「幅広いですよ。若い子からマダムまで」 「マダム……」  彼のように見目麗しい男を従えるというのは、ある種の女の夢であるのかもしれない。  博臣さんと合流してから、ここに来るまでに受けた視線の数々を思い返す。私は緊張してしまったけれど、あれに快感を覚える人だって少なからず存在するはずだ。 「博臣さん、格好良いからお客さんから迫られたりしそう」 「まあ少なくないですね。報酬をくれるならなんでもしますけど」  あっさりと飛び出した爆弾発言に、私は目を丸くする。 「なんでもって……ちゅーとか?」  アラサーの女が「ちゅー」はないだろう、と自分に突っ込みつつ、その顔を窺う。 「それ以上のこともしますよ」 「えええっ。でもそういうの、お店にバレるとヤバいんじゃないですか?」 「今までバレたことはないんですけど、まぁヤバいですよね。だから、もしそんなことがあったらバックレます」  バックレる、とは。  美しい見た目とは裏腹に、意外とぶっ飛んだ人なのかもしれない。なんだかめちゃめちゃだけれど、変に取り繕ったりしていないからか、むしろ清々しささえ感じた。 「あとやたらと物を貢ぎたがるお客様とかもいますね」 「ほほう。じゃあそこで貰ったものも売ってお金にすると?」  思わず記者のような話し方をしてしまう。今日初めて顔を合わせたというのに、どうやら私は博臣さんとなら楽しく会話をすることが出来るらしい。 「はい。最初は断ってたんですけど、ああいう人たちって、あげることで満たされる部分があるみたいで。あまり拒みすぎると落ち込まれたり、機嫌が悪くなられたりするんですよね。だから最近は欲しいものを聞かれると、全員に同じブランドの同じものを欲しいって言うんです。そしたらひとつだけ手元に残しておいて、他のものは売ってしまえばいいから」 「なんかホストのやり方に似てますね」 「まさにその通りで、テレビでホストが言ってたのを参考にしました」 「あ、そうなんだ」  決して褒められた行為ではないものの、これまで自分とは縁のなかった世界を垣間見ることが出来て、私は感動した。世の中には色んな職業があって、色んな人がいる。そんなの今に分かったことでもないのに、心はこんなに湧き立つのだから不思議だ。  嬉しくてにやにやしていると、博臣さんの視線に気付き、慌てて姿勢を正す。 「あああ、質問ばかりしてすみません。私、小説家をしているからか色んなことが気になってしまうタチでして……」 「へえ。俺、この仕事をやってて色んな職業の方にお会いしてきましたけど、小説家さんは初めてです。すごいですね」 「いやいや。全然すごくなんかないですよ」  へらへらと笑いながら私は言う。  筆名や著書名を聞かれたらどうしようかと冷や汗が出たが、そこは大丈夫だった。  しかし、安心したのも束の間。 「仕事、上手くいってないんですか?」 「えっ」 「なんか笑い方がさっきまでと違ったから」 「……違いました?」  博臣さんはこくりとうなずいた。 「すずこさん、すごく目敏いでしょ。多分、俺も一緒です」  やはりそうだったか。目が似てると思ったのだ。  きっと私たちは物事を敏感に察し、色んなことが〝視えすぎて〟しまうのだろう。 「目敏い人間のよしみで、俺でよかったらいくらでも話聞きます。気の利いたアドバイスは出来ないけど」 「でも」 「気にしなくていいですよ。話せば楽になることって、少なからずあると思うし」  その真剣な眼差しに、私は何故かこれまでと一転し泣きそうになってしまった。  慌てて歯を食いしばり、気持ちを落ち着かせる。
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