一章 すずこ

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 カフェでの時間を満喫した私たちは、いよいよ球場へと向かう。  その道中、彼は私にいくつかの質問をしてきた。 「……すずこさんって、キャッチボールしたことありますか?」 「いや、グローブを触ったことすらないですね」 「じゃあ反射神経は?」  力なく首を横に振る。 「ちなみに、昔から運動もからっきしです」 「そっか……」  すると博臣さんは思案気な表情を浮かべ、顎に手をあてた。  なにか都合が悪いのだろうか。不安に思ってその顔を窺っていると、私からの視線に気付いた博臣さんは「試合楽しみですね」と笑った。これは絶対になにかを誤魔化している。あまりにも怪しい。  その後も彼の質問の意図についてずっと考えていた私だったが、球場に隣接された球団のオフィシャルショップに足を踏み入れたことで、それも瞬く間にどうでも良くなったしまう。 「うわぁ」  天井が高く、開放感のある店内。  右を見ても左を見ても、置いてあるのはもちろんアウルスのグッズばかり。 「あ、ユニフォームっ!」  夢見ていた代物を前に、私は飛び上がってしまった。  ずらりと並べられたユニフォームはデザインも様々で、見ているだけで心が躍る。 「誰のにするか決めてるんですか?」 「はい。私は……あ、あった! これにします!」  それチームの選手会長をしている、 「おお、光田とかではなくマコトとは。なかなか渋いですね」 「あのストイックな感じが好きなんですよねぇ。博臣さんは誰のにしますか?」  博臣さんが持ってくれているカゴの中にユニフォームをいそいそと入れながら、私は聞いてみる。 「え、いいですよ。結構いい値段するし」 「なにを今さら。一緒に着て応援しましょう」  我慢しないと決めている手前、ここは豪快に買っていきたいところだった。  申し訳なさそうにしていた博臣さんも、さすがというべきか、すぐにこちらの気持ちを汲み取ってくれたらしい。彼はすっとそれを手に取って、私に見せてくれた。 「実は俺もマコト好きなんですよねぇ」 「わあ、お揃いだ」  嬉しくなって、私も手を叩く。  楽しさに拍車がかかってきた。  それからはショップ内を回りながら、私は様々な応援グッズを躊躇うことなくカゴに突っ込んでいった。メガホン、キャップ、タオル……もちろん、全てを二つずつ。  こちらの買いっぷりに対し、一切口を挟むことなく、常に彼氏として寄り添ってくれていた博臣さんだったが、途中からきょろきょろと店内を見回す行為が目立つようになってきた。なにか欲しいものがあるのかもしれない。  いよいよか、と鞄を持つ私の手にも力が入る。  そして、 「……あっ。さっきすずこさんと話をしたところだし、俺これ買おう」  そう言って博臣さんが手に取ったのは、なんと球団ロゴが入ったグローブだった。  なるほど、こんなものまで売っているのか。  彼の手の中にあると、何故だかそれはとても魅力的なものに思えてくる。記念に私も買おうかと悩んでると、その心の揺らぎに気付いたのか、博臣さんは意地悪な笑みを見せた。 「すずこさん、キャッチボール出来ないなら買わないほうがいいですよ」 「……博臣さんだって、一緒にキャッチボールするお友達いないじゃないですか」 「俺は今日の試合で使うんですよ。外野席での観戦だから、ホームランボールが飛んできたらこれでキャッチしたいなと思って」 「メガホンも買うのに?」 「そこは臨機応変に」  そんな奇跡のようなことを、と言いかけたものの、絶対にないと言い切れないのは確かだ。それはそれでなんだか面白そうなので、私ももうなにも言わない。 「よし、じゃあそろそお会計してきます」  そう言って、私は博臣さんからカゴを受け取る。 「それも入れてください」  グローブを指差すと、彼は拒むようにそっぽを向いた。 「いや、これは自分で買います」 「え、でもデートで使うお金は全てこっちで持つのがルールじゃ」 「別にそういうのきっちり守らなくていいですよ。それに、これ安くないし」 「……」  グローブの値段は約六千円。  まあ確かに安くはない。 「その分、フードを色々買ってもらいます。試合を観ながら一緒に食べましょう」  そうして博臣さんはそれ以上の言葉は受け取らないと言わんばかりに、さっさとレジへと向かってしまうのだった。
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