一章 すずこ

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「でも結婚とか考えると、年齢的にもそろそろ真剣に恋愛しなくちゃ」  さゆちゃんの言葉に「うーん」と腕を組む。 「私って、親が四十のときの子なんだけど」 「え、じゃあすっちの親ってもう七十近いってこと?」  驚いた様子のりっちゃんに、私もうなずいた。 「だから子どもの頃はどうしても若いママっていうのに憧れててさ。自分は二十三で結婚して、二十五で子どもを産みたいとか友達によく話してたくらいだし」  そう、幼少期は辛うじて結婚願望を抱いていたのだ。しかし、執拗なまでに自分のことを客観視してしまう性分の私は、成人を迎えたあたりでふと気付いてしまったのである。 「でも、結婚は一生無理だなーって」  すると、りっちゃんが「はああ⁉」と怒気の含んだ声で叫んだ。 「いやいや、いくらなんでも話が飛躍しすぎでしょ。どうして結婚に憧れてた子が突然、一生独身を覚悟するのよ。あんた小説家なんだから、きちんと順序を立てて話しなさい!」  こう見えて、彼女は三人の中で一際結婚願望が強いのだ。その迫力に怯みつつ私は言われるがままに伝えたいことを必死に頭の中で組み立てていく。 「昔から人と生活リズムを合わせるのがめちゃめちゃ苦手なんだよね。それが今の仕事をし始めて、さらに顕著になったというか。寝たいときに寝て、起きたいときに起きる。書くことだって気分が乗ったときにぐわーっとやるし、締め切り前になるともう必死すぎて周りが全く見えない。この年までそうやって生きてきたわけだから、今さら相手に合わせて暮らすなんて、絶対に無理」  りっちゃんとさゆちゃんとは別のベクトルで、私もまた自分勝手なのだ。自分の短所をよく理解している私は、小説家という職業を目指し始めた時点で、自ら結婚しない人生を選んだような気がする。  しかし、 「いや、別に合わせなくていいじゃん」  さゆちゃんの鋭い指摘に、そりゃそうだわな、と反射的に同意しかけてしまう。 「……でも結婚するなら旦那さんにご飯とか作ってあげたいんだよね。会社員だったとしたら、朝晩はちゃんと玄関で送り迎えしたいしさ」 「別にそこまで献身的にならなくていいんだよ? すっちってふわふわしたところがあるし、なんか見てると心配になっちゃうんだよね。早くしっかり支えてくれそうな人と一緒になってほしいって、私ずっと思ってるんだから。一生独身とか悲しいこと言わないでよ」 「そうだよ。すっち、その気になれば絶対すぐに良い人見つかるって」  一生独身が悲しいことなのかどうかは判断しかねるものの、りっちゃんとさゆちゃんの優しさは痛いほど伝わってきたので、私もとりあえず笑ってうなずいておく。 「でも早く結婚するのに憧れてたってのは分かるな。すっちのところと逆で、私の親はめちゃめちゃ若いんだよね。今のうちらの年齢のときって、お母さんはもう私まで産んでたんだよ」 「りっちゃん、お兄ちゃんいるもんね」 「私も三十までに結婚したいと思ってたんだけど……」  おや、三十までまだ一年の猶予があるというのに過去形だ。  しかも、りっちゃんの声はどこか沈んでいるような気がする。彼氏が結婚に尻込みでもしているのだろうか、と心配しかけたとき、空気をぶち壊すようにさゆちゃんがテーブルをバン! と叩いた。 「私は三十半ばまでなら我慢出来る。その代わり、相手に妥協は絶対したくない。婚約指輪と結婚指輪はパリーで、結婚式はイッツかアニぺルセルってのがずっと夢なの」  呆気にとられた私は、りっちゃんを見る。 「パリーの指輪って五十万くらい?」  首を傾げると、さすが結婚に恋焦がれる女というべきか、すぐさま「ばか、そんな安いわけないでしょ」と冷たく言い放たれてしまった。 「シンプルなのでも百万超え。良いやつになると五百万近いよ」 「五百万!」  前々から思っていたが、さゆちゃんは理想が高すぎるような気がする。  顔が美しく整っていて、贅沢な生活を出来るだけの財力を誇っていて、そこに優しさまで兼ね備えておかなくてはならない。 「まあ最悪、お金はそこそこだとしても、顔と優しさは重要よ」  気持ちは分からなくもないが、それでも私は思わずにいられないのだ。 「でも本当に良い人なんて、同じく良い人と若いうちに大体結婚してるよ」  軽い気持ちで放った言葉は、タフな親友たちをも傷付けてしまったらしい。今にも死にそうな表情をして肩を落とす二人の姿を目の当たりにし、私は慌ててフォローを入れなければならなくなってしまうのだった。  それからは恋愛だけでなく、仕事や家族のことでも話は盛り上がり、食事を終えても「まだ喋り足りない」と私たちはさらにお茶をしに行くこととなった。 『だいすけ』を後にし、駅の方角へと戻る。  多くの人で賑わう大通りを歩きながら再び店探しをしていると、地元球団のレプリカユニフォームを着た人々とすれ違う。その晴れやかな表情に、私は足を止めてしまった。 「アウルス、勝ったんだねぇ」  三年連続日本一という記録を打ち立てているアウルスは〝常勝軍団〟と呼ばれており、私もそこそこ真面目に応援しているファンの一人だったりする。……まあ野球のルールは曖昧だし、選手も一軍で活躍している人たちのことくらいしか把握出来ていない、超にわかではあるのだけれど。  とにかく勝ったことの喜びは分かち合いたい。そう思ったものの、自分より少し前を歩く二人から返ってきた言葉は、予想通りの味気ないもので。 「野球とかどうでもいいわー」 「だよね。まあアウルスが優勝したらセールやるから、店の売上は上がるけどさ」  親友二人の性格は既に痛いほど理解しているので、傷ついたりはしない。  こういうときは、これ以上話を広げないに限る。  アウルスの話はもう終わり、と私は自分に言い聞かせて再び歩き出す。 「あっ。それよりさ、すっちから会いたいって言うの珍しいよね」  さゆちゃんが思い出したようにこちらを見て言うと、りっちゃんも同調するようにうなずいた。 「私も思ってた。なんかあったの?」  確かに私たちが会うのは、さゆちゃんの呼びかけがきっかけとなることがほとんどだ。  好奇に満ちた二人の視線を一身に受け、焦ってしまった。 「うーん。なんとなく、会いたいなって思ったんだよね」 「あー、そういうことあるよね」 「分かる分かる」  理解した、と笑う親友たちの姿を見て、ほっとした。  本当は仕事での話を聞いてほしかった。社会経験のなさを指摘されたことを、自著にコロッケパンのブックカバーをされてしまったことを、笑い話に変えてしまいたかった。  なのに、充実した日々を過ごしている二人の姿を目の当たりにすると、心が激しくざわついてしまった。空気を壊したくなったし、なにより弱い自分を見せたくなくて、結局話すことが出来なかったのである。  我ながら、なんとも情けない。
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