四章 博臣

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 俺がその異変に気付いたのは、紗由美さんと立夏さんが仕事の話をしていたときのことだった。話を聞いていたすずちゃんの表情が翳っていたのだ。それはきっと、俺くらい目敏い人間じゃないと気付かないくらい、僅かに。  この表情には見覚えがあった。 「……すずちゃん、仕事でなにかあったの?」  俺が聞くと、ぎゃーぎゃー騒いでいた紗由美さんと立夏さんがぴたりと黙った。  三人からの視線を受け、すずちゃんは慌てて「大したことないよ」と言う。 「すっち、話しなよ」  紗由美さんが言うと、立夏さんも神妙にうなずいた。 「そうだよ。あんた自分のこと全然話さないんだから、たまには私たちを頼りなさい」  てめぇらが自分のことばっか話してるからだろ、と突っ込みたくなったが、さすがにすずちゃんの前なので我慢しておく。  最初は困ったように口を噤んでいたすずちゃんだったが、最終的に観念したのか、とても小さな声で「実はさ……」と語り始めた。  今、売れているすずちゃんの小説——OLとレンタル彼氏による例の物語。あれの続編を書かないかと担当さんから提案されて、悩んでいるのだという。 「それって良いことじゃないの?」  紗由美さんが言うと、すずちゃんは困ったように笑う。 「良いことというか、嬉しいことだとは思う。ただ、私はあれで書ききった感があるというか……続きを書くことなんて全く念頭に置いてなかったんだよね」 「確かにあの終わり方、私は好きだった」  立夏さんの言葉に、俺も同意だった。  あの物語では、結局最後まで二人が結ばれることはなかった。  ただそれは二人の未来に希望をもつことが出来る、良い終わり方でもあったのだ。 「続編で、あの二人の関係にきちんと決着をつけろってことか」  俺が言うと、すずちゃんも「そうだね」とうなずいた。 「担当さんはくっつけてほしいみたい。私もあの二人には最終的に結ばれてほしいとは思ってるんだけど、ただ全部を書くのは野暮かなって思ってて」  すずちゃんが溜息を漏らすと、それにつられるように俺たち三人も腕を組んで「うーん」と唸ってしまう。 「まあ売れはするだろうね」  金が好きだという紗由美さんは堂々と、 「でも前作の評価が高いと、それだけ読者の期待値も上がるだろうから、出来次第では叩かれる可能性だって無きにしも非ずだよ」  現実主義の立夏さんは心配そうに、それぞれが言った。 「でもりっちゃん。売れたらまた映画とかになるんじゃない?」 「別に無理に続編書かなくても、今出してるやつが人気なことには変わりないんだし、なるときはなるでしょ」  頼りなさいと言っていたくせに、結局はただ好き勝手に話す紗由美さんと立夏さんに俺は呆れるばかりだ。ところが、すずちゃん自身はそんな二人の話にもしっかりと耳を傾けているようで「そうなんだよねぇ」とたまに相槌まで入れているのだから、なんだか心配になってくる。  彼女はどうして、こんな二人と仲良くしているのだろうか。
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