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今、あなたはどこにいますか?
僕に両親はいなかった。
そう思うしかなかった。
五歳の時、初めて、男と寝るように言われた。
それは借金のある両親が返済の為にしたこと。
初めての男は、幸い美しかったけど、両親から僕を買って、家の地下に閉じ込めた。
「君はずっとここにいて、私を愛しなさい」
それが男がくれた、初めての言葉だった。
男は僕に手を出さず、親まがいのことをした。
食事を作り、お風呂に入れ、怯える僕の体を、抱きしめて隣で眠る。
背中をトントン叩いて、眠るまで寄り添ってくれた。
唯一つ禁じられたのは、胸を二度叩くこと。
「けして、誰にも、胸を二度叩いてはいけない」
それには期限があって、成人したらいいそうだ。
どんな意味があるのか、やってみたくはあったけど、意味も知らないのに、やって追い出されるのは嫌で、僕はそれを守り続けた。
十歳になった。
小柄だった僕の背が少しだけ伸びた。
家の中にずっといるから、肌は異常なほど白い。
右手の爪は齧る癖があり、その所為でガタガタだった。
「爪を噛むのはやめなさい。君の美しい体が傷を作ってしまうから」
男は僕を美化した。
親に売られた僕を。
十歳になるまで、僕は自分の顔を知らず、男の顔しか知らなかった。
男は優しい眼差しで、いつも僕を見ていた。
慈愛のある眼は、僕が笑う度、切なげに細められた。
男は身長が高く、華奢に見えて実は鍛えていて、以前寝ぼけて抱きついた時、酷く安心したものだ。
しっかりとついた筋肉と、抱きついている僕を、そのまま受け入れるぬくもり、それがいつしか僕の中で、知らず知らず恋のような錯覚を覚えさせた。
例えそれが錯覚でも、僕にとってはそれでよかった筈だった。
十五歳になった日、男によく似た青年が、部屋のドアを開けた。
「アンタ、もう自由だぜ? 親父は死んだんだ。親父の遺産も残ってる。それで、アンタは自由だ」
今更自由になったって、僕にはなにもなかった。
「待っています。彼を」
「……アンタさ、あんなに長くいて、親父の名前も知らねぇの?」
「す、みません」
「ま、いいけど? じゃあ、どうする?」
青年は僕に選択肢をくれた。
でも僕はそれがなぜか、とても哀しかった。
「彼を待っています。この世界でずっと」
「……アンタ、それマジで言ってんの? 親父は死んだんだよ? もういないんだよ?」
僕にはもう普通の生き方がないし、出来なかったんだ。
暫く沈黙した青年が、僕の胸を二度叩いて、僕を乱暴に抱き寄せた。
「アンタみたいな奴、放っておけない。オレのもんにしていい?」
「……僕は彼のものです。一生、彼の」
だけど、なぜなんだろう。
とても懐かしい、安堵する匂いがした。
「同じ匂いがします」
「……あー、親父と同じボディーソープのせい?」
言葉では拒絶したのに、抱き返したいような衝動にかられる。
青年はきっと男に似て、凄くいい人なんだと……そう、思えたから。
「オレさ」
「?」
「……親父に抱きしめられたことねぇんだ。アンタはあんだろ?」
「……はい」
青年が受けるべき愛情を、僕が奪ってしまっていた。
それに罪悪感を覚える。
何か返したいと思った。
だけど僕には、この身一つしかなかった。
「胸を二度叩く意味を、結局聞けませんでした」
「!」
すると青年は笑って、「愛してる」だよと囁いた。
僕は頑なに部屋を出ようとしなかった。
痺れをきらした青年は、僕の食事に薬を混ぜ、担ぎ上げて、無理やり外に連れ出した。
目が覚めた僕は、男を裏切った気がした。
その後、両親の顔。
お金に目がくらんで、僕を売った家族の事。
最後に青年に、胸を二度叩かれたこと。
それらが順に溢れ出す。
「もう十分、生きました」
青年が僕を大地に降ろし、自身の胸を二度叩く。
「自分を愛せない奴は、誰も信じられない。人はいつか死ぬんだ。どんな宝物も、いつか壊れるんだよ。オレは親父を失くした。オレを愛さなかった奴を。ひとりきりになったオレを、またひとりにする気か? オレはアンタを、愛してるって言ったのに」
何も言えなかった。
何も返せなかった。
抱かれることも、抱くことも、頷くことも、反論することも。
「僕には……」
「僕にはなんだよ?」
「……親に、五歳の時に捨てられた。お金の為に、あの部屋に。彼は愛してくれたけど、親代わりだった。注がれた分の愛情を、僕は何一つ返せない。会えなくなって思ったんだ。僕は彼を愛……」
「抱かれるだけが愛だなんて、そんな風に思ってんの? 親父は親父なりに、アンタを愛していたよ。大事すぎて何もできずに、アンタを頼むって言った! オレに、アンタを頼むって! 親父がオレにくれた。初めての命令だ。初めてのお願いだ。オレは叶えたい! オレはアンタを……親父以上に愛したい!」
なぜこんなにも胸が苦しいんだろう。
失くしたものは帰らず、なのに溢れ出してくる。
喜びと哀しみと、モヤモヤする、この感情の、名前を教えてほしい。
「僕の……」
「なんだよ……?」
「僕がもしずっと彼が好きでも、君は愛してくれるの? それを受け取っていいの?」
「君じゃねぇよ。オレは、オレには駆って名前がある」
その時、初めて思った。
僕に今、返せるものは。
「駆」
「……な、なんだよ」
駆の名を呼ぶ事だけだ。
「僕は二十になるまで、誰の胸も叩かないけど、それでも傍にいてくれる?」
駆は顔をクシャリとして、「アンタ、バカだな」って笑った。
「待ってるよ。ずっと、二十になったって、その先になったって、親父の分まで、親父以上に、オレがアンタを愛する」
だから、と手を差し伸べられて、一瞬躊躇したけど、まずは初めの一歩。
ギュッと、その手を握り、立ち上がる。
「宜しくな」
「はい」
その時、駆がくれた笑顔が、その先へと進ませた。
「いつか二人で、親父の墓参り行けるくらい、胸を張って生きようぜ」
ふと夜空を見上げると、星がキラキラ綺麗だった。
(外の世界は綺麗なんだ)
男がくれた世界と、青年がくれる明日が、今の僕を生かす、これからを選ばせる。
生きてきてよかった。
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