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5
ギセイは頻繁に僕の部屋に泊まりにきた。法川と3人で近くの銭湯で「渚のシンドバット」を踊って以来、サンチカのたまり場で顔を合わせたりすると二回に一回はやってきた。
法川がいればまた3人で「渚のシンドバッド」を踊ったり、酒盛りを始めて
「良江さん好きだ!」
とギセイと2人で 叫んで階下の住人から
「うるせえ!静かにしろ」
などと言われながらも一向に気にせず騒いでいたが、夜も遅くなると打って変わって急に神妙な面持ちにギセイはなることがあった。先輩たちの間を麻雀だパチンコだと言ってひらひらと蝶のように舞っている昼間のギセイとは180度違った印象を与えるものだった。
「こんなふうにね」
とギセイが、三井くん風な標準語アクセントで言った。近頃、話し言葉が岐阜と東京の間をうろうろしている。僕は気恥ずかしくてまだ東京の言葉は特に意識しないと使えない。
「友達の家を泊まり歩くことなんてできなかったからね」
とギセイが、続けた。
「何で?」
と尋ねた僕に
「母親がとにかくうるさくてね」
と眉をひそめた。
「小さい頃からやれ、ピアノだ水泳だって習わされてきたんだけど、中学生になったら高校受験だし、高校に入ったら大学受験だろ」
ギセイの話を聞きながらふと、僕は僕の母のことを思っていた。病弱だった父を支えていろいろなパートをしながら僕を育ててくれた人だった。もちろん僕の家には息子に習い事などさせる余裕はなかった。大学の入学式が終わった後、東京駅で新幹線に乗り込む母を見送ったとき、母はワッと泣き出した。新幹線の扉がしまっても涙で歪んだ顔でずっと僕に手を振っていた。
「東京に来てさ、俺はせいせいした訳よ。」
と言うギセイの強い口調で僕は現実に戻った。
「確かに僕も高校の時は受験勉強以外には特にできなかったけど、親からとやかく言われたことはなかったな」
と言う僕に
「うちはな、なんかにつけて口出ししてくるで」
と岐阜弁に近くなって
「大学落ちて一浪したときなんてな、俺よりも母親の方がが落ち込んでしもてな、もう、大変やったで。飯も喉、通らんようになってな、そのときから、なんかもう、鬱陶しさを通り越して諦めてもたちゅうかな」
ギセイは、一気に話すと、ピースに火を着けた。僕は日頃セブンスターを吸っていたが、さすがにピースはきつすぎて手を出そうとは思わなかった。そんなピースをギセイはいつもひっきりなしに吸っている。
「今でもしょっちゅう手紙が来るし電話も部屋に引けってうるさいんやが、引いたら最後、日に何度も掛けて来そうでな。まあ、それ以外はお母さんのやりたいようにさせとるんよ。これで頻繁に上京されたらたまらんからな」
とギセイは少し顔を歪めて笑った。
「で、母親の言う通りにここまで来たらな、気がついたら俺は自分で何かやったことがないんだなあ。こんな夜遅くまで話せる友達もいなかったしな。そいで、やっと母親からも離れられたし、俺に何ができるか試してみたいんだわ。」
と言うと明るく笑って見せた。
その点は僕も同じだと思った。僕も何ができるかわからないけど今までの僕と違って何かをやってみたいと思っている。中学生の頃からずっと僕を悩ませ続けた対人恐怖症的な頬のひきつりも、上京以来、すっかり影を潜めている。現に、ギセイや法川や三井くんらと話しても頬のひきつりは出てこない。
「そうだよね、何か僕達にもできること、あるかも知れんしね」
と僕が言うとギセイは僕の空になっていたグラスにビールを注いでから
「頑張ろうぜ」
と言って自分のグラスを高くかかげた。
僕たちは乾杯した。
それからの二人はいつものようにどちらがより良江さんに相応しいか、愛しているかなどとたわいのないことを言いながら、酔いで頭がくるくる回って来るまで飲み続けた。
そしてその後はいつも、僕の一人用の布団で一緒にくるまって眠るのだが、どういう訳かギセイはしっかり寝付いてしまうといつも僕に体を摺り寄せてきた。ギセイの寝息は、ピースのきつい匂いがアルコールと混じり合って何とも言えず鼻をつく強烈なものだったが、頭の中を駆け巡る酔いの勢いでやがて僕も深い眠りに落ちていった。ギセイの肉の薄い華奢な骨ばった体の感触だけが翌朝まで残っていた。
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