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生麩
1
僕はまた、新たな煙草に火をつけた。テーブルに置かれた大学生協で買った校章入りの灰皿には、今日、何度目かの吸殻の山ができている。
この灰皿を入学式の日に見つけた時は、前途は光に満ちあふれているような高揚感の中にいた。あれから三年、自分なりに卒業後のことをいろいろ考えて行動してきたが、結局、これと言う具体像を見いだせないまま、ここまで来てしまった焦りがあった。
後期試験に備えて、正月休みもほどほどに東京八王子のアパートに戻って来ていたが、とにかく、試験勉強をするにしても全く気持ちが落ち着かなかった。
不安だった。
差し迫った恐怖と言うようなものではなかったが、じわじわと迫ってくる底知れない闇に押し潰されそうな重苦しさが四六時中、僕を悩ませていた。
心がバラバラに乱れて思考の焦点が合わなかった。それでも、帰って来て三日間くらいは何とかテキストを読むことができた。しかし、頭の中がこれから先どうしようという漠然とした思いでいっぱいになって、同時に胸が重く息苦しく掌にじっとりと汗をかくようになってしまっていた。
こんなに卒業後のことが気にかかるのは、父の影響があるのだと思う。
父は、僕と同じ大学の法学部出身で学徒出陣で満州から帰って来てから夢であった法律家目指して司法試験を何度か受けたが、戦後の苦しい、食べるにも困る時代で合格できず、一時、検察事務官をしていた。父は次男だったが、長男というのが道楽者で親の面倒を見ず女郎屋通いばかりするような人だったため、代わりに父が給料の安い公務員を辞めて大学の先輩の引きで給料の少しは高い百貨店に転職することになった。総務課や配送課等の仕事をしていた間は、根が真面目だったのでそつなくこなしていたらしいが、外商という営業職に回されてからは、体調を崩して入退院を繰り返すようになってしまった。
僕と父はどこか似ているところがあって、あまり人と話すのは上手くない。その部署で父は軽く神経を病み、そこから来るストレスで胃を壊して、42歳から四回も開腹手術をして胃と十二指腸と小腸の一部を失ってしまった。
父の記憶と言えば、洗面器を枕元に置いてその前でエビのように丸く身を屈めて焦げ茶色の胆汁液を喉から絞り出すようにして吐いている姿や手術の前日、お見舞いに行ったら骨と皮だけになってまるで老爺に見えた姿だったりである。
母方の祖父母など回りの大人が
「真面目過ぎてな、人に冗談も言えんような人がお金持ちに高い商品売るなんて、所詮、無理やて。お堅い公務員続けてはったらよかったのにな」
と言っていたのを僕は聞きながら大きくなった。
「僕も下手に就職すると父のように体を壊して一晩中、洗面器の前で苦しむことになってしまう」
そういった「恐怖」がいつしか僕の心の中に深く潜んでしまった。
僕の心は千々に乱れていた。卒業後の進路だけでなく、その事に四六時中囚われているうちに、今までの辛かったことや上手くいかなかったことまでもが無秩序に大挙して押し寄せては荒れ狂い、もう自分ではどうにも制御できなくなっていった。それでも無理やり試験勉強に意識を戻してそんな次から次へと沸き起こる想念に囚われまいとするのだが、ものの五分もたたないうちに、また様々な思いに負けてしまい、胸が潰れそうな重苦しさに耐えかねて、新たな煙草に火をつけていた。
さらに、面倒なことに半年前に別れた彼女への想いも執拗に僕を苦しめた。初めて付き合った女性だっただけにその喪失感は飢餓感というに相応しいものだった。
彼女と別れて以来、力が抜けたような感じで心はずっと沈みがちだったが、この後期試験のためにアパートに帰って来てからはなぜだか試験も上手く行く気が全くしなくなって、留年するのではないかという思いに強く囚われていた。
意識がある限り彼女のことやこの先の漠然とした不安等が際限なく頭の中で回転した。本来、今、しなければならない試験勉強には全く集中できなくて、漠然とした不安から拡がって行くさまざまな想念に僕は翻弄されていた。そして僕はその苦しみに耐えきれなくなって、ついに昼間からアルコールを口にするようになっていた。ただただ、アルコールが含まれていますというだけの廉価なウイスキーを、頭に苦しい思いが沸き上がるたびに僕は何杯も何杯もあおった。しかし、アルコールも素直に僕を助けてくれることはなく、アルコールが入ると余計に想念が激しく大きくなって悲しみや苦しみが増大した。それで僕はその意識自体を消すために飲み続け、煙草も途切れると余計に不安が増すような感じがしたので切れ目なく吸い続けた。締め切った部屋の中では煙草の煙がガスのように充満していたが、僕はその中で酔いつぶれ意識を無くしては、昼夜なく眠りこけた。
これでもう、目が覚めなければいいと思いながらも体内のアルコールが切れてくるとまた、仕方なく目が覚めた。意識が戻ればまた、止めどない不安と寂しさで奈落の底に向かって気持ちが落ち込んで行った。彼女のことなんか去って行ったんだから思慕を断ち切り、また新しい恋でもすれば済む話だと頭ではわかっていても、どうしても彼女の残像が心の中から消えてくれない。そして何よりも僕を執拗に苦しめたのはあと一年後に迫った卒業後のことだった。どこに向かって行けばいいのか?今、何をすればいいのか?何も具体化されないまま、漠然とした不安となって僕をずっと苦しめた。
胆汁液は、独特の苦い臭いがする。トイレに流してもその不快な臭いは塩素系の薬品で掃除でもしない限りずっとトイレに籠り続ける。
アルコールでぐるぐるに回った頭で僕は僕自身が洗面器の前で臭い胆汁液を喉の奥から絞り出している夢にうなされて目覚め、実際にはアルコールと胃液の混じった液体を掛け布団の上にぶちまけていた。
僕は社会に出るのが怖いんだ。
とどの詰まりはそういうことだと、吐瀉物でヌラヌラした唇を手で拭いながら僕は情けなく感じていた。
僕はもっと「明るく社交的な青年」だったらよかったのにと思う。そうすれば営業職でも何でもこなして楽にやっていけたんじやないか。就職活動する前からこんなにぐずぐずといろいろ引きずって不安に押し潰れされることもなかったと思う。ところが実際の僕はもちろんひとりぼっちは寂しいけれど、かといって人とずっと一緒にいるのは好きじゃない。初対面や苦手なタイプの人とは上手く話すことさえできない。さらに、中学2年生の頃からだったと思うが、初対面や苦手な人と向き合って話さなければならない時なんかで相手の視線を感じてしまうと、急に右頬がピクピクピクピク、ひきつるようにもなっていた。
大学生になって抑圧された受験勉強から解放されたら少しはマシになるかもしれないと期待したが、関西出身の僕にとって慣れない言葉のアクセントなんかで余計にストレスを感じてしまって、一向に頬のひきつりは良くならなかった。
だけど彼女と会っている時もいつも僕は緊張していたが、その緊張はまたちょっと意味が違っていて、どこか心地よいところさえあり、露骨に頬がひきつるようなことはなかった。
ああ、やっぱり社会に出るのが怖い。
結局、そういうことなんだと僕はまた思った。
第一、こんなちょっと人と話すだけで最高に緊張して、頬をひきつらせてしまうような人間にできる仕事なんかあるのだろうか?
以前、大学のカウンセリング室に相談に行ったこともあった。片足を引きずらせた小柄でやせぎすな四十歳台半ばくらいの男が表情ひとつ変えずに対応してくれて、
「営業なんて僕には無理だと思うので、公務員がいいと思うのですが」
と手短に言ったらしつこく、しつこく、
「どうして公務員なのか、君はどうして公務員志望なのか」
と僕が満足の行く答えを出すまでは絶対に許さないって感じでその男は同じセリフを繰り返すだけで、僕の不安も何も聞いてくれる訳でもなく、僕はひどくけなされた気分で、その男の決して笑顔なんか他人に見せてたまるもんかといった雰囲気をそのまま引きずって帰って来ただけだった。
カウンセラーなんて金輪際、信用できないと思った。
そう言えば、最寄りの職安で「職業適性検査」などというのを受けたこともあった。マークシートでいっぱい答えてから、担当者が
「工場で部品を組み立てる作業だとちょっと能力が余りますかねえ」
等と言っていた。
そういう「悪あがき」をすればするほど、僕はますます社会に出ることは恐ろしいことに思えてきた。
もちろん、ずっとこのまま大学生でいられる訳はないのはわかっていた。わかっているだけに今のうちに何とかしなければならないと切実に思っていた。老いた両親にこの先も経済的な負担をかけ続けられないことももちろんわかっている。でも、どっちに向かっていいのかがついぞわからない。それが本当に辛くて不安の闇に包まれてしまうのだ。
思えば今に始まった訳じゃなく大学に入った時からずっと卒業後のことは心に引っ掛かってきた。
司法試験を何度も受けた父の影響で法律家になろうと考えた時もあった。父は現在の仕事のことより夢だった法律家というものを小さい頃からずっと僕に聞かせてくれた。父は結局、夢かなわずに百貨店の外商課長になっていたが、父が少しだけいた検察庁の話をよくしてくれた。検察庁の話をする時の父は日頃のどちらかと言えば表情の乏しい父とはうってかわって表情豊かに笑顔で話してくれたものだ。そんな父の影響だろうと思う。
その次は公務員。これもなぜなろうとしたのかよくわからないが、人に頭を下げてものを売るわけじゃないし、役所の窓口の奴等を見てたら慇懃無礼にその実、市民を小バカにしてるんだから、あれくらいだったら僕にもできるんじゃないかと漠然と思っただけかも知れない。
その次はマスコミだった。テレビなんかの影響でちょっとかっこいいと思ったからなんだろうけど、結局、この三つは、僕の通っている大学の卒業生の進路として行く人の数が多かったので、周りがそういう方向へ行くから僕もということだったのだろう。
また、ある時は、大真面目で劇団に入ろうとして有名な所に入団願書を出したことさえあった。書類選考は受かったけど、面接の日には行かなかった。これも、小学校六年生の時に出た「演劇コンクール」でまぐれの準優勝をして、なりやまない拍手の「快感」をふと、思い出しただけのことだったが。
大学に入って三年間、こういった感じでフワフワフワフワ迷うだけ迷って、でも、結局、どれも続かなくてわからなくなってまた、振り出しに戻って法律家を目指して専門書を読んだりしていた。
僕は、毎日を、止めどなく、ぐだぐた、ぐだぐだと終わることない思考のリングに引っ掛かってしまって、その結果、襲ってくる不安に胸を覆いつくされた挙げ句、その不安に耐えきれなくなってウイスキーを胃に流し込み、その間、煙草をひっきりなしに吸い続ける。そしてやがて意識が朦朧として眠りに入るとしばしの安らぎを得る。その繰り返しの中で僕は何とか生きていた。
もう、何日も風呂に入っていないので、髪の毛がベタついて頭皮に張り付いたようになっていた。ずっと引きっぱなしの布団は、厚みをすっかり失って、枕は皮脂で黒ずんでいる。さらに布団のあちこちには、泥酔中に戻されたゲロが乾く暇もなく気持ち悪く大小の染みになって残っていた。
新年早々に東京に戻ってきて後期試験の勉強をするはずだったのに、飲み潰れているうちにもう、二月になっていた。一月末の行政法の試験はついにパスしてしまった。
もう、何度、飲んでは潰れ飲んでは潰れといったことを繰り返したのかわからなくなっていたが、何度目かに目覚めた時に
「そうだ、美容師になろう」
と訳のわからないことが頭によぎった。何で「美容師」なのかはわからなかったが、大学受験の頃、受験に失敗したら手に職をつけよう等と思っていたことが、アルコールでぐずぐずになった頭に甦ったのかも知れない。理由はどうあれ、僕はそれを「天啓」のように思い込みたくなった。何も答えを出せなくてずっと立ち止まっているこの状態を抜け出したかったのだ。
「神の啓示」が欲しかったのだ。
いつかドラマで観た、著名な芸術家が街頭で偶然、彫刻という芸術分野に出会い、一生の仕事にしたというようなシーンを僕は思い出していた。これが僕の運命の出会い、閃きならばありがたい!
それで、僕は郷里である大阪の美容専門学校を電話帳で二、三校探し出して電話をかけて、真面目なしっかりした声を作って入学希望者として話を聞いたりした。
受話器を置いてから、
「ようし、郷里に帰って美容師になる!」
と思った尻からそれがまた、へなへなとわからなくなって、それがさらに不安材料になってしまって
「本当にこれでいいのか、大学はどうするんだ」
等とへたりこんでしまってまた、ウイスキーをラッパ飲みして、止めどなく煙草を吸い続けていた。
この堂々巡りから抜け出せないまま酔いが回って来ると、別れた彼女とのセックスが甦って来ることもあった。彼女の絶頂の痙攣や吸い付くような肌の感触が思い出されて、泥酔の中で何度も射精していた。
アルコール漬けの胃袋でもお腹は空いてしまうので、食事は冷蔵庫の中の納豆をカビたような食パンにぶっかけて牛乳で流し込んで済ませた。それがなくなると近くの小さな食料品店にフラフラと買い出しに出かけて、また部屋に籠って酒と煙草と不安の中で過ごした。
机の前には以前、彼女がくれた小さなキャラクター人形が飾られていたが、彼女にふられてからは悲しくなるので机の引き出しの中にしまい込んでいた。僕は彼女を思って射精した後、アルコールでフラフラする頭でふとそれを思い出して、机の引き出しの奥を右手でごそごそと探った。キャラクター人形らしいものは右手の感触ですぐに見つかったが、それを引き出す時に一緒にいくつかのボールペンや鉛筆等といったものが僕の右手に掴まれて出てきた。僕はキャラクター人形だけをしっかり取り上げると、他の物は机の上に放り投げた。僕はキャラクター人形に頬擦りをしながら目を瞑った。柔らかい布の感触が頬に伝わり、それをプレゼントされた日の彼女の顔、仕草が蘇った。僕は人形を頬に当てたまま目を開けると、机の上に放り出された物のなかに薄い棒状のものがあることに気が付いた。
カッターナイフだった。
僕は人形を頬から離してからカッターナイフを取り上げて手に取ると、親指でスライドを前につきだして刃を出した。それは刃物というにはあまりにも貧弱なものだったが、それでも鈍い光を放ちながら鋭利さは伝わってくる。僕は人形に代えてそれを頬にあててみた。ひんやりとした冷たさが僕の酔いを一瞬覚ましたようだった。僕は刃をしばらく眺めた後でそれを左手首に持っていった。青い静脈が浮き出ていた。刃を垂直に立てて目を瞑った。刃を持った右手に力を込めれば楽になれるんだと思った。
僕は刃を薄く引いてみた。
うっすらと血が滲んだ。じわじわと浮き出てくる血液は締め切った暗い部屋の中でも、黒い帯となって見えた。僕は右手にカッターナイフを握りしめたまま眠りに落ちていった。
何時間眠ったのか、僕が目覚めた時、カーテン越しの窓にも透明の光が差し込んでいるのがわかった。
左手首には薄いかさぶたのようになった黒い血のあとがこびりついていた。僕はそれを朦朧とした頭で眺め続けた。浮き出た静脈には刃が絶妙にかからないようにして少しはずれた部分の表皮より少し入ったところが切れていた。
でも、あの時の気持ちは何だったのだろう?
薄暗い部屋の中でカッターナイフを手首に押しあてていたあの僕は?カッターナイフを頬に当てた冷たさが蘇った。
僕は少し頭が働くようになると今までとは違ったより具体的な恐怖を覚えた。焦点の定まらない目で青く浮き出た静脈をずっと見ていた記憶がある。
「ええい、もう、いいや」
と投げやりな気持ちで刃を持つ右手を確かに水平に動かしたまでは覚えている。そのままごろりと横になって意識を失った。静脈にかからない絶妙な傷痕をさらに眺め続けた後で、僕はやおら立ち上がると、長く閉ざされたままだった部屋の窓を開けた。二月の冷たい大気が部屋を通り抜けた。僕はそのまま、電話帳を部屋の片隅から探し出すと廃品業者を探し出して電話をかけた。どこの業者が高いとか安いとかそんなことはどうでもよかった。ただ、僕は僕の部屋の中にある冷蔵庫やテレビといった家電品から椅子や机等の家具まで、あるものすべてを売っぱらって、ここを一刻も早く脱出しなければという思いでいっぱいだったのだ。
僕は電話に出てきたちょっとしゃがれたような声を出す男に
「郷里に帰るからすべてを売ります」
と伝えて訪問してもらう日時を決めた。
ゆっくり何もしないで立ち止まっていると、不安が追いかけて来るようで、また心臓が高鳴り掌から汗がしたたり落ちてくるようだった。そこで僕は速やかに東京電力や東京ガス、電電公社に電話をして最短の日でその供給を止めてもらった。もっとも電話だけは手続きに時間がかかるので、移動手続きにした。それから憑かれたように、久しぶりに身支度を整えて外に出た。市役所の出張所に転出届けを出すためだった。市役所に向かうバスの中でも僕は具体的なことだけを考えた。
「ああ、そうだ、新聞も止めないと」
より本質的なことを考えてしまうと、僕はまた、パニックに陥った。胸が苦しくなって、鼓動が早くなった。頭の中でも脳味噌がぐるぐる回転するみたいだった。
役所から帰ってからも、一息つく間もなく部屋の片付けを始めた。家具や電化製品を引き上げてもらった後でも残る細々とした物の処分だった。僕は何でもかんでも手当たり次第に黒いビニールのゴミ袋に放り込んでいった。そう、大学の校章入り灰皿も何故かもう関係がないような気がして吸殻が一杯に詰まったままビニール袋に放り込んだ。
そう、もう、大学には戻らないかもしれないんだし。
そう思った時には心臓が恐怖でピクンと蠢いた。
十数個のゴミ袋をアパートの共同のゴミ捨て場に出したとき、大家さんが怪訝そうな顔をして出て来て
「ご卒業ですか?」
と僕に声をかけてきた。
「そんなもんです」
とだけ僕はかろうじて答えると、そそくさと部屋に戻った。
タンスや冷蔵庫等はまだあるがその中身はすでになく、入れ物だけになっていた。今日、目覚めて、左手首を見つめてから、とにかくこの部屋を脱け出すことだけに一日中走り回っていた。明日、業者が来て残った家具や家電等を持っていってもらったらこの部屋は空になる。危うくそれから先を考えそうになる前に僕はさっき出かけた時に買っておいたビールとウイスキーを体に流し込んで意識をなくして眠りに落ちた。
翌日、廃品業者は十時頃やって来た。部屋の中に残っていた家具等一切合切、すべて持っていって貰って手元には二十万円の現金だけが残った。がらんとした部屋を見渡しながら唯一、電話器だけが残っていた。僕は受話器を取って郷里に電話をした。何も知らない母が出た。
「ああ、どうしたん?試験、終わったん?」
僕は、手首を切りかけたことを話した。
「なんでやの、どうなってるの!」
家財道具もすべて処分したことを話すうちに、僕の声は嗚咽に変わっていた。
「とにかく、はよ、帰って来なさい。ひとりで帰れる?」
沈痛な母の声だった。
僕は電話機をプラグからはずすと、ボストンバッグに無造作に詰め込んでがらんとした部屋に一瞥するとさっさと部屋を出た。何の感慨もなかった。
大阪の実家に戻ると当惑した家族の顔が待っていた。大学への退学届けを出してしまったものと思っていた父は、まだ、出していないと知って少し安心したようだったが、左手首の傷を見て何も言えなくなってしまった。
僕は、実家に帰ってきてからは、家族の手前、普通に朝、起きて夜は眠るようになり、酒に溺れることはなくなったが、昼間は何をするでもなく煙草だけを四六時中吸って過ごした。
僕は母の知人の紹介で岡山の精神病院を受診することになった。
明日はいよいよ、岡山まで行くという日の夜、僕宛に電話があった。
母が中庸大学の伊藤さんという人からと言って受話器を僕に渡した。僕は伊藤という名前に少し戸惑いながらも、まさか、「イトケン」のことではないだろうと思いながら受話器を耳に当てた。懐かしい声だった。
「境田君、覚えてる?伊藤だけど」
僕は、一年の後期から全く縁を切るようにして何の挨拶もなく突然、連絡を断ってしまった「国家論研究会」というサークルのことを思い出した。やめかたがやめかただっただけに、返事する声が小さくなった。
「それでね、ギセイ覚えてる?一時期、君ととっても仲の良かった田原君のことだけどね。」
そこでイトケンは、少し口ごもったように間を置いた。
「実は彼、死んじゃってね。もう、長い間、講義にもサークルにも出て来なかったし、家にも連絡なかったんでお母さんがわざわざ国から出て来てアパートまで見に来られたんだけど、死んでたって。亡くなってしばらく経ってたみたいでね。」
僕は体が凍りついたように止まってしまった。ギセイの蒼白いはにかんだような顔が浮かんだ。
「もしもし、聞いてる?」
イトケンの声が遠くから聞こえた。
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