Czołgi i dziewczęta

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/19ページ

Czołgi i dziewczęta

ロシア、沿ドニエストル沿岸地方の寒村にガガーリンスカという大字がある。マトリョーシカ山脈の豊かな湧水が硬骨魚を育みチスイコウモリの芳醇な血液酒に恵まれている。この首都の中心広場に古井戸があった。ベルヌーイ大佐が独ソ戦の際にT88号戦車でロンメル戦車軍団を撃破した栄誉を記念して掘られた。 彼は地元出身の英雄だ。カラシニコフ銃一本でにっくきドイツの重戦車に立ち向かった。 その戦闘に敗れたドイツ軍装甲部隊は、その後の部隊の損害を考慮して撤退することは出来なかった。 だが、彼は最後に指揮をとって戦線に戻った。彼が戦争を終わらせたと多くの人々は知っている。 その功績は歴史の縮図なのか。英雄になるか、時が男の浪漫に褪色させる。 英雄と言えばその人物を描くべく描く。英雄譚はその英雄が人々の理想に生きていたことを物語る。そういうものなのだ。だからその人は必ず生きて帰って来る。有形無形は問わない。そうでなければ、彼の名前を知っていても、彼の事を誰も言わない。 第二次世界大戦のロシアの英雄、ウラジーミル・イェフスチヴィチ・クラスノフ少将の肖像を描いた著書「赤い汚れ」の中で、ロシアの作家レフ・グミレフは、クラスノフ大佐自身の発言を引用している。 「ベルヌーイは優秀な右腕だった。彼が戦争に参加したとき、彼はとても年老いていた。当時、彼は親切で優しい男として知られていた。高齢だが、目にはみずみずしさがあり、声も以前より強くなっていた。彼の目は西洋を見ていた。ソビエト帝国、赤軍、そしてアメリカを見ていた」 "新聞で彼の名前を見たのはドイツ人だけではなかった" 地元での会話の中で、クラスノフの名前がよく出てきた。戦後数カ月。ロシアの作家としては長く、クラスノフ少将の名前だけは広く知れていた。しかし、当時はソ連とアメリカが戦争を始めたばかりで、誰もクラスノフを知らなかった。 アメリカは、クラスノフの名を知っているのは「彼を戦争に参戦させること」が目的だと考えていた。アメリカの人々はこうした行為を正当化する考えの持ち主としてクラスノフを支持していた。そこで、地元の人々は、クラスノフ、彼への誤解を解く為、彼はアメリカの人々を「クラスノフと一緒に居ることの方が大切」と言っていると思ったほどだった。「人類の歴史の中で初めて、他のすべての文明が生まれた、たった一つの文明がある。それは、これまで世界に存在した他のすべての文明を克服した文明である。それは誕生し、成長し、世界の支配的な文明になることを運命づけられている。" - ジョージ・ギッセン『文明の起源』 クラスノフがロシア人であることを疑う者はいなかった。彼はロシア人以外の何者でもなかったのだ。 クラスノフは、「赤い汚れ」の主人公のモデルであり、クラスノフは英雄だった。 英雄とは、その時代時代の価値観や状況によって変わるものだ。 英雄とは、その時代に生きた人間の生き方の反映である。 その時代を生きる人間にとって、英雄とはその時代の象徴であり、その時代を象徴する存在でなければならない。 ベルヌーイはそんなクラスノフを上司に持って誇りに思う。 ベルヌーイはクラスノフに心酔していた。クラスノフは部下思いで、部下の意見をよく聞いた。部下たちは、クラスノフのことを「親分」と呼んでいた。 クラスノフは、自分の意見を押し付けるようなことはしなかった。ただ、いつも冷静で、客観的な判断を下すことができた。 クラスノフは軍人としての能力を高く評価されていたが、政治家としても優秀であった。 クラスノフはスターリンのお気に入りでもあった。 スターリンは、ドイツとの戦争に勝つために、クラスノフの率いる部隊をモスクワ防衛の要としていた。 そのため、クラスノフはドイツ軍との戦闘だけではなく、対ソ戦についても、常に最前線にいた。 また、クラスノフは、ドイツとの和平工作にも積極的に取り組んだ。 その功績が認められて、クラスノフは少将にまで昇進した。 クラスノフは、その功績から勲章を授与され名誉ある地位に就いた。 ロシア資源開発公社の総裁であるセルゲイ・コワリョフは、クラスノフの副官を務めていた。 コワリョフは、クラスノフの補佐役だ。 コワリョフは、クラスノフの片腕的存在だ。 クラスノフは、戦争に勝った後、ソ連の国益を守るために、ソ連国内の経済復興と社会改革に力を注いだ。 その政策は、社会主義的でありながら資本主義的でもあり、矛盾を孕んでいた。 クラスノフは、戦争に勝っても、ソ連が疲弊している現状を変えようとは思わなかった。 ソ連が疲弊していることは事実だ。 ソ連が疲弊したのは、戦争に負けたからだ。 戦争に負けなければ、ソ連は今のような状態にはならなかったはずだ。 だが、戦争に勝とうが負けようが、いずれソ連は破綻するだろうと思っていた。 ソ連は鉱物資源に恵まれていながら十分に活用できていない。 ロシアのエリツィン政権下でクラスノフは鉱山経営に乗り出した。 ロシア国内には、金、銀、銅、鉄、石炭などの豊富な埋蔵量を誇る鉱床があった。 しかし、そのほとんどを外国に輸出して、外貨獲得に使っていた。 クラスノフは、その資産を有効に利用しようとした。 クラスノフは、ロシア国内における鉱山の開発計画を立案し、自ら指揮を執った。 クラスノフは、ロシア国内での採掘事業に着手した。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!