4.夜明け

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4.夜明け

 涙を拭くと、衣装部屋だった空間はいつの間にか、式場提携の見知ったドレスショップに変わっていた。  私の意識が閉じ込められる前に見た、どこか懐かしい場所。 「君さえよければ、今から式を挙げたい。どうだろう?」 「うん……お願い」  差し出された彼の手を取り、しっかりと握り合う。  ドレスショップの扉を開けると、その先はまるで宇宙のようだった。  星空をカーペットのように床へ敷いたら、このような景色になるのだろうか。私と慎一郎さんの前には天の川が続いており、宇宙のバージンロードとも言えるその道を、今までのループで見てきたあらゆる生物たちが取り囲んでいた。 「天の川をバージンロードにするなんて、世界に私たちくらいなんじゃない?」 「せっかくの仮想空間だからね。けれど……心境は、物質世界で式を挙げる世の新郎新婦たちとそう変わりないさ。僕たちの感情が反映された、僕たちだけの現実はこう言っている──〝まるで夢見たいな瞬間だ〟と」  私は、慎一郎さんと一緒に歩みだす。  バージンロードは、花嫁の過去から未来までを表しているという。天の川の眼下には、彼と出会った場所や研究室など、思い出深い場所の数々が透けて見えた。    星の光が紙吹雪のように舞う中、今までの結婚前夜で見てきた奇妙な者たちが、こぞってはしゃいでいる。吸血鬼や人狼、エルフやモノノケ、妖精や海の生き物たち……仕舞には、中国風の龍や不死鳥まで飛んでいた。 「まるでお祭りね。式と披露宴を一緒に経験しているみたい」 「あながち、間違ってもいないさ。僕たちはキリスト教でもないし、仮想空間に来てまで、厳密にしきたりを守る必要もないだろう。今は披露宴みたいな賑やかさだけれど──ほら」  彼が示す先には、いるはずのない人物たちが待っていた。 「お父さん、お母さん……!?」  互いの両親を始めとする、親族や友人たち。  式に招待するはずだったあらゆる人々が、驚くほどの精密さで再現されていた。 「みんな、僕らを応援してくれた人たちだよ。同意を得て、正装の姿を撮影させてもらってね。式に反映されるよう、僕がしっかりと記憶に焼きつけておいたんだ。複雑な動きはできないから、君のお父様に、君をエスコートしてもらうというわけにはいかないけれど」 「ううん。いいの。いいのよ。ありがとう」  また、瞳の奥から熱いものがこみ上げてくる。  慈悲深い微笑みで迎えてくれる大切な人たちに、私は感謝の念で胸がいっぱいになった。これを幸福と言わずして、なにを幸福と呼ぶのだろう? 『厳密にしきたりを守る必要はない』という慎一郎さんの言う通り、星の階段を上がった先に神父はいなかった。  彼の気質から言えば、ロマンのみに傾倒するのも違和感があったのだろう。私も彼と同分野の研究者だからか、これには納得がいく。 「一つ、伝えておかなければいけないことがある」  現実の式場で言えば祭壇にあたる場所へ上がったとき、彼は神妙な顔で切り出した。 「終わりがいつ来るかは、わからない。物質として安定している人間さえ儚いものだけれど、僕らはその世界よりも遥かに儚い場所にいる。僕か君、どちらかの意識に異常が生じれば、僕たちの世界はスイッチを切ったように終わってしまうだろう。ここは永遠のようで、永遠ではない」  私は、涙を拭いながらうなずいた。  覚悟は、できていた。 「沙耶。それでも僕は……僕と君の記憶、そして祝ってくれるすべての人に誓って、君を愛し続けよう。──君は、どうかな?」  彼の真剣な眼差しを、正面から受け止める。    私たちは幸せの絶頂にいて、〝まるで夢みたいな〟気分にある。  けれど、今この瞬間に意識が途切れたって、なにもおかしくはないのだ。ちょうど……私が車と接触したみたいに。    でも、特に不安はなかった。そもそも、私が植物状態になった時点で、私たちの結婚は永遠の未達を迎えるはずだったのだ。  それでも……彼は来てくれた。狂気的とすら言われるほどの愛をもって。    今度は、私が返す番だろう。 「慎一郎さん。私も……私とあなたの記憶、そして祝ってくれるすべての人に誓って、あなたを愛し続けます」  彼はどこかほっとしたような笑みを浮かべると、私の左手を取り、薬指に銀の指輪をはめてくれる。私も、彼が見せたもう一つの指輪を、彼の左手にゆっくりとはめた。    彼が、私のベールを上げる。  どちらからともなく顔を近づけ……唇が重なる。  現実とは思えなくとも、真実だと思えるキスだった。 「あなたが捧げてくれた8年に、私がなにを返せるかわからないけれど……これからも、よろしくね」 「君とこの瞬間を迎えられた時点で、お釣りが来るくらいだけど、そう言ってくれるとうれしいよ。こちらこそ、よろしく」  ふと、陽光を感じる。  仄かな温かさへ目をやると、今しがた歩いてきたバージンロードの先に、神秘的な光を放つ扉が現れていた。 「行こう、沙耶。まずは……新居を構えないとね」 「どこで暮らすの? ドラキュラ城? エルフの里?」 「沙耶が望む場所なら、どこにでも。いくつあってもいいし、宇宙空間に住んだっていい。ゆっくり、二人で考えよう」  祭壇を降り、バージンロードを歩く私たち。親族や友人、そして想像上の生き物たちが、新たな扉へ向かう私たちを盛大に送り出していく。  8年間の結婚前夜が明け──私たちは、夫婦になった。
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