3.本当の私

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 頭が、真っ白になった。 「私が……植物状態?」 「そうだ。現実での君は生命維持装置につながれ、眠り姫のように、穏やかな表情でベッドに横たわっている。表層的な意識はなく、常に夢を見ているような状態だ」  私は、彼になんと言うべきなのか、言葉が見つからなかった。 「当然、式は取りやめになった。君のご両親からは『辛い道のりになるだろうが、もし慎一郎君が望むのなら、娘を愛し続けてほしい』と言われたよ。……けれど、納得はできなかった」  彼の目は、義憤のような色を携えていた。 「すでに婚姻届は書いていたから、法律上、君と夫婦になることはできるだろう。でも、君の自由意志は尊重されない。いくら理由をつけたところで、夫婦としての責任も、君への愛も、一方的な押しつけにしかならないだろう。だから……君と一緒に研究していた、仮想現実の生成技術に活路を見出した」  段々と、記憶が蘇ってくる。  彼と一緒に過ごした、研究の日々。  彼は人の意志を尊重するタイプの主席研究者で、人格者として扱われていた一方、意志を守るためであれば一定のルールも破る過激さを持つ人だった。 「僕らの研究所の息がかかった大学病院へ、君を移送した。僕は、脳を接続して一部の記憶や想像を共有する装置を5年かけて開発し、ようやく君の意識と再会することができた。これは社会倫理に反する試みだったけれど……僕がそういう人間なのは、君も承知の通りだ」 「ドラキュラや人狼というのは、あながち間違いでもなかったのね」 「手厳しい評価だけど、君の言う通りだよ」  彼は愉快げに笑い、そしてやや疲れた表情を浮かべた。 「でも、想定外の事態が起こった。君は事故のショックから、事故に遭ったことの記憶に蓋をしており、その直前──つまり結婚前夜の衣装合わせを、何度も夢に見続けていたんだ」 「つまり……ループは、私自身が生み出していたものなのね?」 「そういうこと。君が自分の状態を自覚していないとなると、話を進めることはできなかった。違和感に気づかず、僕や外部の人間から事実を知らされた場合、君の精神に著しい悪影響を及ぼす可能性がある。一歩ずつでもいいから、君は自分でループに気づく必要があった」  彼の涙は止まらない。  いつの間にか、私の視界も(にじ)んでいた。 「装置の開発に5年。初めての接続から、ここまで来るのに3年。計8年だ。君の意志を確認するためだけに8年もかけるなんて狂気的とすら言われたけれど……僕は、それだけの年月をかける価値があると思っていた。量子物理学者としては、君の意識が少しでも生きている限り、必ず再会できると信じていたからね」 「慎一郎さん……」  気がつけば、ハーフエルフの式場スタッフはかき消え、私の耳は短くなっていた。本物の人狼のように見えていた彼の顔も、急にのっぺりとしたお面のように見え、彼はいとも簡単に仮面を外す。    どこか垂れ目で、妙に人間的な愛嬌を感じさせる優しい顔。  長年に渡って近くで見つめ続けてきた、愛する人の顔だった。 「8年もかかってしまったけど……沙耶。改めて、僕と結婚してほしい」  私は声を上げながら泣き、彼を力いっぱいに抱きしめた。
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