つくられた惑星

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
「見て! これが、カナアンbだよ」  ジョシュはモニターに光る小さな点を指差して、興奮しながら言った。そして、イライジャはどんな反応をするだろうかと、隣に座る彼の顔を覗き込んだが、そこにある感情をジョシュは読み取ることができなかった。 「どうしたの? 嬉しくないの?」 「ん? いや……嬉しいさ」  言葉を選ぶように、イライジャはゆっくりと続ける。 「何て言うか、まだ実感がなくてね。120年もの旅のゴールが、すぐそこだと思うと……」  彼はそう言ったきり、モニターを見つめて、何かを考え込むように黙ってしまった。  ジョシュは少し恥ずかしいような、がっかりしたような気持ちになった。ほんの10分ほど前、カナアンbが船外カメラの映像で視認できるほどに近づいていることを発見したジョシュは、大喜びでイライジャのキャビンに駆け込んで、このコンソール・ルームまで彼を引っ張ってきたのだった。  ──こんなことでだなんて、子供っぽいと思われたかな。  まだ13歳のジョシュと違って、イライジャは立派な──それも、この船に残った唯一の──大人なのだ。そう単純なことで感情を揺さぶられたりはしないのかもしれない。あるいは、ここにたどり着くまでの、ジョシュには分からないほどの苦労を思い返して、心のうちで感傷に浸っているのだろうか。どちらにせよ、あまり根掘り葉掘り聞かないほうが良さそうだ、とジョシュは思った。  まだ考えにふけっている様子のイライジャに、「もう戻るね」と声をかけてから、ジョシュはコンソール・ルームを後にした。  自分のキャビンまでの通路を歩きながら、ジョシュはひとり感慨にふけった。  ──あと二日。もう二日後には、僕らはみんな、あの惑星の上にいるんだ。地面の上を歩くのって、どんな感じなんだろう? 風が全身を通り過ぎるのは? 流れる川に足を浸すのは? イヌやヒツジみたいに、もふもふの動物の手触りは?  他の子供たちと同じように、宇宙船の中で生まれ育ったジョシュは、地球を知らない。映画や教育用の映像で見たことがあるだけだ。ここ最近は、カナアンbが目前に近づいてきたこともあって、子供たちの間では目に見えて興奮が大きくなっていた。ジョシュの妹のルースも例外ではなく──それどころか、他の誰よりも浮き足立って──毎日をほとんど上の空で過ごしているようだった。ジョシュは最年長の一人だったので、妹よりもずっと落ち着いた態度で振る舞っていたが、はやる気持ちは彼も同じだった。 「どこへ行っていたの、ジョシュ」  キャビンに戻ったジョシュに、寝巻き姿のルースが声をかけた。 「ああ……カナアンbが見えたから、イライジャに伝えに行っていたんだ」 「本当に! 私も見たい!」 「見てもつまらないよ。まだ、こーんなに小さな点なんだ」  ジョシュは右手の親指と人差し指をぐっと近づけて、針の先ほどのわずかな隙間を作ってみせた。 「それに、明日になればもっと大きくなって、もっとよく見えるようになるさ」 「……ねえ、ジョシュ。地球の映画で観たように、カナアンbには海や森があるのよね? 鳥や、他の動物たちもいる?」  これまでに何度も聞かれた質問だったが、ジョシュはいつものようににっこり微笑んで「ああ、そうだよ」と答えた。ルースは目を輝かせた。 「じゃあ、私がカナアンbに着いたら、森の中を歩いて、木の実や小枝や花を集めて、鳥やリスを捕まえて、それから、川で泳いで……ああ、どうしよう、やりたいことがいっぱいあるの!」  ルースはまだ9歳だったが、好奇心旺盛な性格ゆえか、カナアンbへのあこがれは誰よりも強いようだった。ジョシュは彼女の無邪気さを微笑ましく思い、同時に羨ましくも思った。 「……いいかい、ルース」  ジョシュは少し腰を落として彼女に目線を合わせ、真面目な顔になって言った。 「分かっていると思うけど……僕らの父さんと母さん、それに、他のみんなの父さんと母さんも、僕らを生かすために死んだんだ。僕らのお爺ちゃんやお婆ちゃんも、そのまたお爺ちゃんやお婆ちゃんも……みんな、カナアンbを見ることもなく、宇宙船の中で死んでいった。それに、地球に残された何十億人の人たちだって同じだ。だから、僕らがカナアンbへたどり着けることは、すごく幸せなことなんだ」 「私、すっごく幸せよ。だって、もうすぐ、この目でカナアンbを見られるんだもの」 「言いたいのは、僕らには責任があるってことだよ。滅びた地球に変わって、人類をまた繁栄させるという大きな責任がね。いつだって、それを忘れちゃいけないよ」  兄の真剣な様子に気圧されて、ルースは素直にうなずいた。 「うん……わかった」 「いい子だ。さあ、もう寝よう」  ジョシュはルースの頭を軽く撫でて、ベッドルームへと連れて行った。そのあと、彼も自分のベッドで横になった。  部屋の明かりを消してもジョシュはなかなか眠れず、いろいろな思考が頭の中を巡った。  ──120年前、なすすべもなく死んでいった地球人たちは、飛び立つ宇宙船をどんな気持ちで見つめていたんだろう? 難を逃れた一握りの人間を恨んでいたんだろうか? そして、6年前、船内の酸素が足りなくなると分かったとき、自ら死を選んだ大人たちは……? みんながみんな、僕らが生き残ることに本当に納得していたんだろうか?  胸のあたりがきゅっと苦しくなって、ジョシュは寝返りをうった。  ──いや、罪悪感を感じる必要なんてない。僕らが生きることは、人類のためでもあるんだ。僕らは、そのために選ばれたんだ……。  次の日の午後になって、イライジャはコンソール・ルームに子供たちを集めて、船内の見回りを命じた。着陸の衝撃に備えて、動いたり壊れたりしそうな物がないかを調べておくということだった。奇妙なことに、彼の声は機械のように淡々としていて、心ここにあらずという感じだった。ジョシュにはそれが少し気になったが、到着を前にして緊張しているのだろうと推察した。そして、仕事を任せられた嬉しさで、張り切って担当場所へと向かっていった。 「ねえ、明日はパーティーをするの?」  他の子供たちが部屋を出ていくなか、ルースは上機嫌でイライジャに尋ねた。 「パーティー?」 「だって、明日にはカナアンbへ着くのでしょう? お祝いしなきゃ」 「ああ……そうだな。考えてみるよ」  イライジャは無表情のままで、素っ気なく答えた。ルースは「きっとよ」と言って、ぎこちないウインクをして、部屋の外へと駆けていった。  ジョシュは同い年のダンと一緒に、もう使われていない酸素生成設備を訪れた。そこは、いろいろな機械や配管で入り組んでいたが、どれもしっかりと固定されていて、着陸の際に問題になりそうなものは何も無さそうに見えた。ダンは「きっと、大人たちが後始末をしてくれたんだろうね」と言った。  ふいに、両親とのいくつかの思い出がジョシュの頭に浮かんできた。一緒に物語を読みながら、難しい単語を教えてくれた母のこと。嫌いな野菜をこっそり代わりに食べてくれた父のこと。ジョシュやルースが生まれたばかりの頃の写真を見て、みんなで笑い合ったこと。そして、あの日、小さなテーブルを4人で囲んで話したこと……。 「ジョシュ、ルース、いいかい。これから大事な話をするから、どうか怖がらずに聞くんだよ……」  そのとき、ジョシュはまだ7歳だった。父は二人の子供を見据えて、苦痛を押し殺すような表情で言葉を絞り出していった。途中で母はこらえきれずに「ううっ」とうめいて、隣にいる父の肩に顔を寄せた。3歳のルースはきょとんとして、みんなの顔を交互に見回していた。  そのあとしばらくして、ジョシュの両親は、他の多くの大人たちと同じように、冷却されて、ばらばらに砕かれて、船内を巡るいくらかの水と炭素になった。  ジョシュの目の前の機械群は、打ち捨てられてなお無機質な輝きを放っている。ジョシュには急にそれらが憎らしく思えてきて、近くにあった金属製のタンクの表面を手のひらで思いきり叩いた。ぺちん、と間抜けな音がして、ジョシュの手に痛みと冷たさが伝わった。 「ねえ、ジョシュ」  後ろからダンが遠慮がちに話しかけた。ジョシュは急いで両親のことを頭から追い出し、目元を手で拭って、「なに?」と振り返った。 「イライジャのことだけど……今日の彼は、なんだか変じゃなかった? 元気が無かったし、しょっちゅう言葉に詰まってたよ」 「……そうだったかもね」 「もし、何かの病気だったりしたらどうしよう? 誰か、様子を見にいったほうがいいんじゃないか」  ジョシュは昨夜の彼の様子を思い返して、少し考えてから言った。 「病気だなんて、大袈裟だよ。たぶん、明日カナアンbに到着することで、ナーバスになっているんだと思う。彼だって、この6年間、いろいろな想いがあったに違いないよ。子供の僕らが、変に気を使わないほうがいいんじゃないかな」 「そうかな。よく分からないけど、きみがそう言うのなら……」 「そうさ。今の僕らにできることは、任せられた仕事をきちんとやり遂げることだけだ。それが一番、彼のためになるんだ」  割り当てられた区域の見回りをすべて終えて、ジョシュは報告するためにイライジャを探した。しかし、彼が昼間にいたはずのコンソール・ルームには誰もいない。すれ違った子供たちに尋ねてみたが、みんなイライジャを探しているようだった。  ジョシュはイライジャのキャビンを訪れた。鍵はかかっておらず、すんなりと中に入ることができた。中を見回しても、やはり彼はいない。  部屋の中央のテーブルの上に、タブレット端末が置かれているのが目に入った。電源は付いたままになっていて、画面には何かの文章が表示されているようだった。ジョシュは端末を手に取り、その文章に目を通した。 『この行為が、到底、許されるものではないことは分かっている。しかし、もう限界だ。この6年間、私はお前たちのことを自分の子供のように大切に思ってきた。だからこそ、お前たちが悲しみ、絶望する姿を見るのが何よりもつらい。そして、お前たちが私を非難し、嘘つきだと責め立てることが、私にとっては死よりも耐え難いことなのだ。  昨日の夜、望遠装置でカナアンbを観察した。カナアンbの大地は赤黒い色をしていて、地球とは似ても似つかない星だった。そこには海も、森も、雲もない。まぎれもない死の星だと、私は悟った。そのことが、私の心に残っていた、かすかな希望を打ち砕いてしまった。私の最後の務めとして、お前たちに真実を伝えることにする。  今から120年前、地球では激しい気候変動が起こり、ほとんど人が住めない環境となっていた。そして、人類の生存に適した地球型惑星、カナアンbへの移住計画が起こった。種の存続を託された数十人の人間が宇宙船に乗り込み、何世代にもわたって船の中で暮らしながらカナアンbを目指した。……これは紛れもなく、私の親たちが私に伝え、そして、私がお前たちに伝えてきた歴史だ。しかし、そこには二つの嘘がある。  一つ目は、カナアンbが人類の生存に適していると立証されていないということだ。酸素の濃度は不明で、水の存在も、生命の存在も確認されていない。120年前の地球の技術では、そこまで調べることはできなかったのだ。  そして、二つ目は、我々は人類最後の生き残りではないということだ。少なくとも、80年前に地球との交信が打ち切られたときまでは、お前たちが映画で見たのと同じように、人々は平和な世界を生きていたはずだ。  この船が地球を発つ少し前、冷戦の最中だった二つの大国は、競うように宇宙開発を進めていた。片方の国は、自国の技術力を誇示するために、人類史上初となる地球外惑星への移住計画を打ち立てた。そして、世界中から物好きな夫婦を集めて、突貫工事で作った宇宙船に乗せた。目的の惑星が、本当に人が住めるかどうかも分からないままに……。それがこの船の第一世代であり、私やお前たちの祖先だ。  当然ながら、第一世代はこれらの事実を知っていた。そして、船内で生まれた第二世代に対しても、事実をありのままに伝えた。ところが、第二世代が青年にまで成長した時、彼らのうちの何人かが同時に自殺するという事件が起こった。彼らは、地球での無益な争いの果てに生まれ、この狭い船の世界しか知らずに死んでいく自分たちに、生きる意味を見いだせなかったのだろう。その事件のあと、大人たちは口裏を合わせて、真実を歪めて子供たちに伝えることを決めた。すなわち、「地球は既に滅び、我々は人類最後の生き残りだ」と……。  その事件とほぼ時を同じくして、地球での冷戦は終わった。それでも宇宙開発は継続され、数年ののちに亜光速航行の技術が発明された。いまや地球人は、ほとんど光の速度で宇宙を移動することができるらしい。たかが数光年先の惑星へ向かうために、我々のように何世代もの命を消費する必要は無くなったのだ。おそらく、地球との交信が打ち切られたのも、前時代的なこの船が、もはや地球にとって価値の無いものになっていたからだろう。もしかしたら、そこには、罪の意識を消し去りたいという彼らの思惑もあったのかもしれない。  私が真実を知ったのは6年前だ。船長が死に、機密情報へのアクセス権限が私に移ったからだ。私は驚愕し、自らの運命を呪った。無責任で身勝手な地球人を、そしてこの計画に志願した自分の祖先を、心の底から恨んだ。それでも、わずかな可能性に全てを託し、これまでなんとか生きてきた。しかし、それももう、今日でおしまいだ。  お前たちのうちの誰かがこの文章を読んでいる時には、私はもうこの船の中にはいないはずだ。本当にすまなかった。お前たちに何も希望を残してやれない、この情けない大人のことを、どうか許してくれ』  ──嘘だ! こんなの、嘘に決まってる!  ジョシュはキャビンを飛び出した。そして、通路をひた走った。  「ジョシュ、どうしたの」  すれ違ったルースが驚いて声をかけたが、彼は何も答えず、ただ前を向いて走り去った。  ジョシュは船外に通じるエアロックへたどり着いた。震える手でタッチパネルを操作して、使用履歴を調べる。最後に船外へのドアが開かれたのは、今から2時間前だった。  ジョシュはその場に膝から崩れ落ちた。  真っ暗な部屋に明かりが付いた。ジョシュのベッドの上には、ブランケットにくるまった物体が横たわっていた。 「ここにいたの」  ルースの声に反応して、ジョシュの体がぴくりと動いた。 「私、見たよ。イライジャの部屋に行ったの。……ねえ、ジョシュ。ジョシュはいなくなったりしないよね?」  ルースは震える声で尋ねたが、ジョシュは何も答えない。 「ねえ」  ルースはジョシュに近づいて、力任せに彼の体を揺さぶった。ジョシュはようやく、ブランケットの下から、くぐもった小さな声で答えた。 「……あっち行けよ」 「行かない」  ルースはなおも彼の体を揺さぶる。 「あっち行けってば!」  ジョシュは勢いよく上体を起こしながらブランケットを跳ね除けた。  ルースは泣いていた。眉の端をぐっと下げ、歯を食いしばって、細めた目から涙をぼたぼたとこぼす。幼いころから変わらない、妹の泣き顔だった。 「……私、我慢する。もう、パーティーも、森や木の実や鳥もいらない。どんな星だって、我慢するから……。だからお願い、どこにも行かないで」  ルースはジョシュの腕にしがみついて、顔を伏せた。涙がジョシュの腕を濡らす。 「ジョシュ、ごめんなさい……。私が、自分のやりたいことばかりで、何もしなかったから……。でも、これからはきっと、頑張るから……」  ジョシュは何と言っていいか分からず、ただ空いている方の手を彼女の頭に置いた。しばらくの間、部屋にはルースが鼻水をすする音が響いていたが、やがて彼女は顔を上げて、枯れた声で言った。 「生きてみようよ」  ジョシュはルースの顔を見つめた。まっすぐな彼女の目は、それが冗談でも強がりでもないことを示していた。  ──生きて……どうするんだ? 何の意味がある?  頭の中で、かすかに、誰かの声が聞こえてきた。 (今のお前の生きる意味は、妹を守り、みんなを導くことだ)  ジョシュはその声に向かって反論した。 (だとしたら、どうやって? あそこは死の星なんだぞ) (まだすべてが決まったわけじゃない。着陸してから分かることもある) (もし、水が無かったら?) (水は船内だけで完全にリサイクルできている) (酸素が呼吸に適した濃度じゃなかったら?) (濃度を調整する装置が船にないか調べよう) (食べ物がなかったら?) (船に積んである土と植物の種を使おう) (……くだらない。何もかも、ただの希望的観測じゃないか) (その通りだ。でも、それが、今のお前に必要なものなんだ)  その声は、両親の声でも、イライジャの声でも、ましてや神の声でもなかった。ジョシュ自身の声だった。  そして、今度は頭の外から、ルースの確かな声が響いてくる。 「やるだけやって、生きてみようよ」  彼女はもう泣き止んでいた。 「やるだけって、一体何をすればいいんだい」 「分からないよ。でも、みんなで考えようよ」  ジョシュは妹の小さな肩に手を回して、ぎゅっと抱き寄せた。それから少しして、ふたりは他の子供たちを探しにいった。 「着陸予定時刻まで、あと12時間です。着陸予定時刻まで……」  船内に機械音声のアナウンスが響く。カナアンbは、その巨大な姿を船の眼前にさらけ出していた。恒星から届く光はカナアンbの地表の半分を照らし、そこに昼と夜を作っている。そのカナアンbの夜の闇の中で、何かの赤い光がひとつだけ、チカチカと規則的に瞬いていた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!