2 忘れてない王子、わかってない令嬢

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2 忘れてない王子、わかってない令嬢

 エリザ嬢をここのところ国民の関心事であるカエル事変の担当者にしたことを、ミカエル王子は後悔していた。  今年異常発生したお化けガエルは、確かに見た目のインパクトと辺境の風物詩である泥んこ祭りを中止に追い込んだことで話題をさらったが、そっとしておけば人は襲わないし、作物も食い荒らさない。正直駆除する必要があるのかという意見もあったのだが、カエルが時々吐き出す酸を里帰りした子どもが被ると危ないということで、一応駆除隊を派遣したのだった。  ところが季節は夏真っ盛り、バカンスシーズンだった。普段はサーコートやドレスをまとってサロンで笑いさざめく紳士淑女も、さんさんと太陽の当たる海辺で何もせずに過ごすのが良しとされている時期だ。そんなときに泥の中でカエルを追いかける任務、兵士に不満が溜まるのではと心配の声が上がった。  そこで普段きついくせにこういうとき甘い筆頭仕官エリザ嬢が慰問などと言い出したものだから、騎士団に潜むエリザ嬢に褒められたい願望の兵士たちが新聞にお礼の投書をしてしまって、王宮側としては引くに引けなくなってしまった。 「今日が何の日だったか忘れてないだろうな」  朝一番、ミカエル王子が出勤したエリザ嬢にたずねると、彼女は自信に満ちあふれた顔でうなずいた。 「ドレスデン候が南大陸からじゃがいもを持ち帰った日です」 「違う。私たちが本来なら婚約発表をするはずだった日だ」 「恐れながら、殿下」  エリザ嬢は眉を寄せて進言の口調になった。 「じゃがいもが劇的に食料難を変えたのはご存じのとおりで、本日も昼餉にじゃがいもが登場します。話題の一つに上るかもしれませんので、今更ではありますがお伝えを」 「昼餉のラインナップは承知した。もう一つ訊いていいか」  君は本当に私と結婚する気があるのか。優先認識するものが何か間違ってないか。 「……いや、やっぱりいい。カエル慰問の行程を説明してくれ」  喉元まで出かかった言葉をためらったのは、彼が昨日のように思わず短気を起こして結婚を発表するなどめったになく、基本的には気が長いことで有名な王子であるからなのだった。  エリザは、は、と返事をして、居住まいを正す。 「祭典とは違いますので、最小限の行程を組みました。明日朝に出立して現場に直行し、一泊して帰城します。詳細ですが……」  エリザはまず簡潔に要点だけ述べて、そこから細かい内容に入るという模範的な説明を始めた。これが婚約者との初めての泊まり旅行であることを除けば、彼女の説明には文句のつけようがなかった。  カエル慰問の説明が終わると、エリザは手早く書類仕事を持ってくる。 「急ぎのものだけ分けましたので、確認をお願いします」  急にミカエル王子がカエル慰問を決めたせいで詰まった他の予定を、鮮やかに仕分けてくれるのもいつものことだ。下積みの期間を合わせると十年ミカエル王子に仕えてきて、今や王子の片腕としてエリザ嬢に替えられる側近はいない。  一体なぜ結婚だけは嫌がるんだろう。ミカエルにわからないのはそこで、例によってじゃがいもの昼餉を取りながらぼんやり考えていたときだった。 「授かり婚で父は全然構わないんだが」  父王の無責任な一言に、ミカエルはちょっと食事が喉の変なところに入ってむせる。  思わずエリザが聞いていないか辺りを見回してから父をにらむと、父王はのほほんと視線を受け流して、な、と兄王子レイモンに同意を求める。 「俺も、早いとこエリザ嬢にうちに来てもらって叱られたいよ」  母后はブランデーの飲みすぎで昨年他界し、王家は現在独身男三人で構成されている。父王も兄王子も、エリザ嬢に褒められたい願望の男と同数ほど潜むという、エリザ嬢に叱られたい願望の男たちだった。 「いいじゃないか。公にしてないだけで、もう二人では結婚を誓ってるんだろ?」 「……たぶん」 「たぶんって何だよ」 「業務連絡だと思われてなければ」  ミカエルが思い返すのは十年前、エリザ嬢が十二歳で仕官になったばかりの頃だ。最年少、しかも初の女性という輝かしい合格をした仕官をミカエルだって耳にしてはいたが、まさかそれがころんとした顔のどう見ても下働きの男の子という風貌だとは知らなかった。  なりたての仕官は最初は雑用ばかり課せられるものだった。真冬のあるとき、いつもミカエルの部屋の暖炉に薪木を足していく子どもに、どこから来たんだと何気なくたずねた。  トマトがいっぱい育つあったかいところ。いつも黙々と作業をしていた子が突然頬を染めて笑った顔はやけにかわいくて、トマトみたいな子だった。  そう、りんごとかさくらんぼじゃなく、トマトみたいなほっぺたをつんとつつきたくてたまらなくて、おっきくなったらそこにキスしようと思ったのがはじまり。  それから十年、事あるたびに、側にいてくれ、もちろんですと言い合ってきたが、せめて書面で残すべきだったか。 「確かに、そろそろ形を残した方がいいのかもしれません」  カエル慰問の前日、ミカエルが物騒な笑い方をしたことを、まだエリザ嬢はわかっていないのだった。
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