1 王子の力技、令嬢のかわし方

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1 王子の力技、令嬢のかわし方

 気が長いことで有名なミカエル王子は、ある日臣下たちが集まる会議で唐突に発表した。 「もういい、結婚だ。エリザと結婚する」  そのときの議題はというと、辺境で今年大量発生しているお化けガエルの駆除に従事している兵士たちの慰問をどうするかで、いつものようにエリザ嬢がミカエル王子の名代で辺境を訪れるということでまとまる一歩手前だった。  樫の木で出来た重厚な円卓に集まった重臣たちは、その唐突な発表を王子のご乱心と考えたわけではなく、いつか言い出すと思っていたそれをついに王子が言ったかという、なんだかほっとした空気で受け止めた。 「カエル慰問はどうなさるのですか?」  ところが大体そういう場で空気をぶち壊す発言をする、かの女性の名をエリザベート・ロッテ・エル・オーギュスト嬢という。  この国では珍しい黒髪に灰色の目をしたエリザ嬢は、王家の古い姓を持つのだが、ミカエル王子と祖父がはとこ同士という微妙に圏外な血筋だった。婚約者というよりは長年ミカエル王子の側近として働いてきたものだから、通称カエル慰問に行く気満々ですでに荷物もまとめてしまっていた。 「カエルを慰問するわけじゃない。兵士の慰問には他に方法はたくさんある」  守護天使の名を冠するミカエル王子は、その麗しの青い目を苛立ちでとがらせ、白皙の美貌に亀裂が生じたかというほどの深い眉間のしわを刻んで言った。 「なりません。カエル慰問はもう内部的には決定事項です。お触れの印刷所も動いています」  エリザ嬢は仕官の登用試験で首席合格した正統派優等生だが、物事をまっすぐ通そうとするあまりに何かと壁にぶち当たる嫌いがあった。毎度ぶつからなくていい婚約者相手に正面から体当たりして反撃に遭うのだった。  ミカエル王子は長い足を組んで思案すると、では、と言葉を返した。 「カエル慰問には私も行こう。そこで公式に求婚して触れを出す」  書記が王子の発言を書き込んだのを確認して、ミカエル王子は席を立った。 「逃げられるものならやってみろ、エリザ」  ミカエルはエリザを睨みつけて、さっさと会議室を出ていった。  沈黙はそれほど長くなく、残された臣下一同は普段ここまでしない王子殿下の思いをおもんばかって顔を見合わせた。 「……まあ、カエルのせいでずいぶん結婚の日取りが延期になっておりましたしね」  一同の心の声を代弁して、宰相のワイド卿が言った。 「エリザベート嬢もそろそろ心をお決めになって……エリザベート嬢?」  心を決めると力技をしかける王子殿下、一方力技の反撃に遭うとすみやかに逃げるのがエリザベート嬢だった。  会議室にすでにエリザベート嬢の姿はなく、臣下たちは嫌な予感がしていた。  一息分の沈黙の後、こういう場で引き受けなくていい役を引き受けてしまうワイド卿が代表して発言する。 「まさか公式行事からお逃げに」 「いやいや」  真面目なエリザ嬢に限ってそれはないと、臣下たちは悪い想像から目を逸らしつつうなずきあう。  その頃、エリザは階段を駆け上がって王宮図書室にもぐりこむと、そこで分厚い法律書をめくっていた。 「家名を傷つけない程度の軽犯罪なら、ドレスコード違反くらいが無難か……」  一人うなずくエリザが探しているのは、いかに差しさわりなく結婚を回避するかの手段だった。こういう時のために首席合格の力を発揮していくつか候補をみつけたところで大きくため息をつく。  そんなエリザに一人の司書が近づいて、そっと隣の席にかけて言った。 「エリザ、結婚はそんなに怖いものじゃないのよ」 「……怖いよ」  友人のヘレナは苦笑して、どこがと問いかける。エリザは幼い表情でヘレナを見返して、ぽつりと言った。 「全部。だって私、まだ恋もよくわからないんだもん」  すでに十五で結婚して子どもも二人産んでいるヘレナは、エリザの純粋さが好きだったが、もどかしくもあった。  十二歳で登用試験に合格して誰もが憧れる首席仕官を全うするエリザは、仕事一筋で、お仕えしているミカエル王子とも長い間個人的な話すらしなかったという。 「確かにまだ早い気もするかな」  ただヘレナはミカエル王子がこの友人を婚約者としたのは、よく選んでくれたと誇らしく思っている。原石のような友人を磨きぬいて、いつか貴婦人にしてくれると期待している。 「実家に帰ってトマトを栽培したい」 「そう言いながら今年の夏も帰らなかったでしょ」 「カエル事変で忙しかったから」 「がんばってね、カエル慰問」  こくんと素直にうなずくエリザに、ヘレナはやれやれと図書室の天井を仰いだのだった。
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