年上の貴方に、飛びっきり甘いミルクチョコレート

5/10
前へ
/33ページ
次へ
案内されたのは、行きつけだという居酒屋だ。 会社の近くでも、普段寄り道せずにアパートへ帰るので、飲食店が軒を連ねる光景も、目新しいもので何だか胸がワクワクした。 「おっ!お疲れー!何、その可愛い子は?」 店の店主とおぼしき男性が、加藤さんを見て笑顔を見せる。「いらっしゃい」じゃなくて、「お疲れ」なのが良いなって思った。 「会社の後輩だよ。おっちゃん、取り敢えず生。……山梨さんは、ウーロン茶?」 「あっ、わ、私も生で!」 「取り敢えず、生!」。 良い言葉だな、と思う。大人って感じ。居酒屋って感じ。 平日の夜だというのに、お客さんがそこそこ入っている。店主のアットホームな雰囲気が良くて、皆、居心地が良くて集まっているのがわかる。 定位置があるのだろう、加藤さんは一切の迷い無くカウンター席に座る。私もそれに倣って、隣に腰掛けた。 長い一本の木で出来たカウンターは、木目が綺麗でホッとする。ガヤガヤと口々に、常連さん同士が話して、そこに時々店主が混じる。 この空間に自分がいることが、なんだか嬉しいと思った。 「……このお店、加藤さんの行きつけなんだって、凄くよくわかります」 お店全体の雰囲気と加藤さんの雰囲気が、重なる。 「私、ここ、めっちゃ好きです」 想いを込めて言ったけど、加藤さんは勿論、それには気が付かずに、だけど嬉しいそうに笑った。 「だろ?俺も好き」 「……」 勿論、その「好き」は自分に向けられた言葉ではないことはわかっているが、つい赤面して俯いてしまった。 ビールが来ると、お疲れ様の乾杯をして、適当に注文した料理をつつきながら色んな話をした。仕事の話が主だったけど、趣味の話とか、あと、加藤さんの息子さんの話も聞いたりした。 先程の怖い経験なんてすっかり忘れて、喜びと緊張で、いつの間にやら、もうビールも三杯目になっていた。 ずっとビールじゃん、なんて笑われて、じゃあ熱燗でも頼みますか?と、本当に注文してしまうくらいには酔っていた。 「……加藤さんて、甘いもの食べますっけ?」 そうだ。チョコレートが苦手じゃないか聞いておかなくちゃと、脈絡もなく聞いた。 「食べる食べる!チョコとか、めっちゃ好きやぞ」 「……やっぱ、ビターですか?カカオ80とか?」 「いやいや。チョコレートは甘いのが好きでなぁ。バリバリのミルクチョコ」 えっ!可愛い! 頭の中で叫んだはずが、その言葉は私の鼓膜を打った。あらま、口から出ていたわ。 「……可愛いだろ?」 加藤さんは苦笑した。 その照れを誤魔化すように眉を寄せた顔がまた、少し可愛くて。もう、今更引っ込みもきかないかなぁと、変に腹を括る自分がいた。 「じゃあ。バレンタインに、私がチョコレート渡したら、受け取ってくれます?」 「え、くれるの?そりゃ、喜んで貰うけど?」 いまいち伝わってないな、と、「そういうのじゃないですよ」と、意味を正す。 「違くて。本命です。本命」 「………は?」 あっ、やばい。 酔い過ぎてる。 でも、もう遅い。 まぁ、いっか。と、思った。 「私、好きなんです。加藤さんの事が」 「えっ……」 しーん。と。 それまでの賑わいがまるで幻だったかのように、静まり返った。 あ、やばい。また思った。 今度は、スーッと酔いが冷めてゆく。 「あ、あの、嘘じゃないです。ずっと、好きでした……その、迷惑じゃなければ、一度、考えてください……」 「…え、いや、…好きって……」 三十くらい年の差があるだろう。 俺には息子が居るんだぞ。 ありとあらゆる、言葉にしない言葉が浮かんだが、結局、加藤さんはそのどの台詞も口にすること無く、絶句したままの口をパクパクとさせて、閉じた。 「…あ、突然、すみません。あの、ご馳走さまでした…!もう、帰ります!」 席を立ち、店を出る時にまた、「すみません!」と頭を下げた。楽しく飲んでいた皆さんに。沈黙を与えてしまったので。 ああ、暴走してしまった。 私は走って、アパートへ帰宅した。
/33ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加