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最後の夕焼けを見送ると、俺は部屋へと戻った。
ダイニングでは彼女が料理を並べ終えようとしている。
彼女「できたよ。高級食材はほとんど買い占められちゃってたけどね」
俺はグラスにワインを注ぐと席につく。
彼女「さあ、最後の晩餐にしよ」
最後の晩餐…
そう明日、夜明けとともに人類は滅亡する。
最初に悪魔が現れたのは2年くらい前だっただろうか。
実体というよりは、思念体というべきか、 そいつは、とらえどころのない容姿をしていた。
そして自らを悪魔と名乗るとこう続けた。
「今、一人の人類と契約しました。契約者の最初の願いは100億円を得ることで、今かなえられました」
そう言って消えた。幻でも見ているかのようだった。
ネット上ではたちまち炎上し、いろいろな憶測が飛び交った。
どうやらすべての人類が、同じ姿を見ていたようだった。
結論が出ないまま話題は下火になり半年が過ぎた頃、そいつはまた現れた。
「契約者が2度目の願いをしました。ある美女の心を奪い、我がものにするというものです」
話題は再燃した。
やがて契約者だという人物が特定されたと情報が流れ、妬みや誹謗中傷が広がった。
しばらくして、契約者は裏切られたとか、財産を強奪れたとか噂され、そして破産して、無一文になり、美女にも捨てられたと揶揄する声があがった。
面白おかしく拡散されたころ、再び悪魔が現れた。
「契約者の3度目の願いです。1週間後に、人類は滅んでしまえと、…我々は了承しました。人類は、これより7日目の夜明けをもって滅亡します」
自暴自棄になったかのような願いだった。
そして人々は慌てふためいた。
かたくなに信じないと言い張る者もいたが、世間は徐々に受け入れるようになり、最後の時に向かって準備を整い始めた。
俺も動揺したが、心を決め、彼女に最後の瞬間は一緒に迎えたいと伝えた。彼女は少し考え「いいよ」と言ってくれた。
そして絶滅が宣告された日の前日になった。
日中はお互い自分の家族と会い、夜は二人でいることに決めた。
彼女「みんな最後の晩餐、何食べてるんだろうね。『死ぬ直前は味噌汁』なんて言ってた人いたけど、絶対そうしてないよね」
晩餐は、品数は多かったが、いつもとそれほど変わり映えしない、最後の夜とは思えないほど彼女は普通だった。
彼女「契約者さん、きっと何もかも嫌になっちゃたんだね」
俺「でも、なんで1週間なんだろう?」
彼女「やり残したことのけじめとか? 気持ちの整理がしたかったのかもね」
どこかに出かけようとも思ったが、道路は渋滞、ホテルやお店は休業、結局は俺のマンションで夜を迎えることになった。
音楽も流さずに、ふたりは向かい合い、ゆっくりと食事をした。
彼女「なんだか、静かな夜だね」
ただ、時だけが流れていた。
食事を終えると、とっておきの高級酒をあけて二人で飲んだ。
その後は、特別な話はなく、二人が出会ったときのこと、一緒に過ごした思い出、何度か聞いた出会う前の話、とりとめのない会話が交わされ、穏やかな時間が過ぎていった。
気がつくと窓の外が白みはじめている。
ああ、あと少しか… 案外特別感がない夜だったな。
その時、彼女は言った「ねえ、朝日を見に行かない?」
酒はあまりすすんでなく、意識もはっきりしている。
俺「たぶん見える前に、滅亡するよ」
彼女「少しくらいは、見れるかもよ」
見たからどうなんだとも思ったが、もはや彼女の望みを妨げる気にはなれない。
近くにある公園の丘の上に行けば、日の出は見えるだろう。
俺たちはそこへ行き、持ってきた折り畳みの椅子を並べて座った。
彼女「滅亡する時ってどんな感じなんだろうね」
俺「さあ」
彼女「地面がバラバラになるとか、光に包まれるとか…」
俺「どうだろう」
彼女「でも、最後の瞬間がわかるって、本当は幸せなのかもね」
そう言うと彼女は、繋いでいた手をギュッと握ってきた。握り返すと胸が少し暖かくなった。
少しの時が流れ、ふいに肩にもたれていた彼女の頭が離れた。
彼女「あれ?ねえ、また暗くなってきてない?」
え? そういえば…
その時視界が歪み、そして、そして悪魔が唐突に現れた。
悪魔「こんにちは、」
唐突さはいつも通りだが、このタイミングにはいささか驚いた。
悪魔「契約者が最後の願いをしました」
あれ?願いって3回じゃなかったっけ?
彼女「なんだ、お願いって4つまでできたんだ」
悪魔「はいそうです、勘違いされている方も多いですが」
彼女「じゃあ滅亡はなくなったの?」
悪魔「いいえ、一度した願いの取り消しはできません」
彼女「やっぱ、…そうだよね」
いまさら、何を願ったんだろう?
悪魔「その願いとは、本日の夜明けは、ずっと訪れない。というものです」
そう言い終わると、悪魔はまた唐突に姿を消した。
あたりの暗さは更に増し、真夜中に戻ったような感じだった。
つまり、人類滅亡は免れたということなのか?
彼女「1週間考えて、きっと気が変わったんだね」
だとしても、
俺「…滅亡前夜は終わらない、もう朝は来ない…」
絶望的な気分だ、俺は憂鬱な目を彼女に向けていた。
彼女「わたし、夜って嫌いじゃないよ。神秘的な感じがするし、素直になれ るっていうか…」
俺「でもずっと、ずっとだぜ! 一生夜なんだよ」
彼女「大丈夫だよ、たぶん」
暗がりの下、彼女がいたずらっぽく笑んだように見えた。
彼女「また誰かが悪魔と契約するよ。魂売ってでも夢を見たいって人、きっといるから」
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