エスケープの足跡

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「いい加減にしなさい!!」 いつもなら寝ている時間、「夜に大きな音を立てると近所迷惑になるからね」と普段必ず注意をしてくる本人が、大声を僕に浴びせたのは些細な事象の積み重ねのせいだった。少なくとも僕は、些細だ、と心から思っている。だからこそ腑に落ちない、喉を壊すほどの力を振りかざす意味はなんなんだ。 顔を真っ赤にして、それでも暴力を振るわないよう渾身の力で自制しているのはわかってる、だからこそ僕の何倍も大きな身体でそれをやられると恐怖と怒りで僕自身が身体をどう動かせばいいのかわからなくなってくる。 「いつも言ってるのにどうしてやらないの!!」 「…やってるじゃん」 「やってないから怒ってるんでしょう!もういい!お母さんの言うことがそんなに聞けないならよその子になりなさいよ!!」 耐えていた雫が溢れ出したのをきっかけに、母さんは僕から背を向け寝室の殻を被った。そんな漫画みたいなことを言う人ほんとうにいるんだ、どこか冷静にそう思う自分は頭の斜め左上らへんにいる。本体の僕は怒りと恥ずかしい悔しさで暴れたくてたまらなかった。それでも暴れなかったのは、もう10歳にもなってそんな子供っぽいことをしたくなかったのと、本当にゴキンジョから注意をされたら、母さんは今度こそ僕に手を上げると思ったからだ。怖いからじゃない、面倒くさいから。夕飯の時、ムスッとした空気をご飯と一緒にずっと食べ続けなければならないのは、とても不愉快なものだから。 これは明日のピクニックも、ナシになったんだろうな。親の行動パターンなんてものは手にとるようにわかる。僕が駄々を捏ねたら、あなたが悪いんでしょう、と言う準備まで出来ているはずだ。リビングに置いてあるレジャーシートとお弁当箱を睨みつけながら踵を返す。さっきまで明日を思ってあんなに楽しかったのに。遊びに行く前日の、夜特有の最高な気分を返してほしい。 もう怒った、怒られっぱなしの僕が怒ったとしても母さんは怖くも何ともないんだろう、それもわかっているから余計にイラつく。だいたい、大人は子どもの本気をナメている。大人の本気は、きっと見たことのない爆発がおこるだろうから、子どもはナメないもんだ。立場をわきまえてるのは子どもの方だ、いい加減にしてほしい。僕の本気を見せつけるには、「僕が本気である」ということを分からせないといけない。 自分の部屋に帰る途中、こっそりお菓子と靴を手に抱えてきた。家出してやる。勢いじゃなくて、本当に家出してやる。よその子になってほしいならなってやろう、後悔するのはそっちの方だ。僕は勇敢にも楽しく暮らすのだから。 明日のために用意していたリュックに、ジブリのアニメのように色々詰めていく。ナイフの代わりに工作用のカッター、ランプの代わりに懐中電灯だけれど。お菓子とタオルと少しの着替えと、それから折り畳み傘と上着、貯金箱の中身を全部入れた財布。これだけあれば、公園とかで数日過ごせるんじゃないか?警察にだけは見つからないようにしなければ、何も悪くないのに僕が怒られてしまうのは目に見えているから。 こんな夜中に一人で外へ出ることはいつもなら怖く感じるのに、いまは楽しみで仕方ない。怒りも抱えているけれど、もうポケットに入るサイズになっていた。これから僕は冒険にでるのだ、決して後悔しないと固く誓った一歩。 窓からこっそり抜け出して、知らない道を静かに走る。誰にも気付かれず、知らない土地まで行こう。朝日が待ち遠しい、一人で迎えたことなんてない。 誰かの家のテレビから、日付が変わると告げられた。大きな音を漏らす家は光も煌々と撒き散らす。真っ暗な道なんて、この都会では無いんだな。安全じゃないか、旅のスタートには好条件だ。 お気に入りの白いスニーカーの踵が少しすり減っているけど、勇者の装備にはとてもよく似合っている、どこまでも歩いて行ってやる。   僕の知らない深夜0時。 いってきます。さようなら、探さないでください。 僕の輝かしい冒険譚は始まったばかりなのです。
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