口を閉ざした雛鳥

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 枯れ草と泥で作られた巣に、餌を咥えた母さんが帰ってくる。  そして巣の縁に留まったかと思えば、すぐさまその立派な(くちばし)を突き出して、間抜けに開かれた僕の口の中へと突っ込んだ。 「んっ……」  巣にたった一羽しかいない自分の子供へ餌を与えた後、母さんはすぐさま次の餌を求めて飛び立っていく。  入れ替わるようにして、今度は父さんが餌を咥えて帰ってきた。  言わずもがな、その餌は巣にたった一羽だけ残った僕のためにとってきてくれたものだ。 「んっ……」  父さんも母さんと同じ要領で、間抜けに口を開いた僕の口へ餌を入れる。  僕が飲み込むよりも先に、父さんは僕よりもずっと大きい翼を羽ばたかせて、僕よりもずっと立派な背中を見せて、僕よりもずっと長くて勇ましい尾羽を靡かせて、また餌を探しに飛び立っていった。 「……」  程なくして、日の届かない民家の軒下に造られた巣は、また僕一人になる。 「おいおいおいおい〜」  すると、日の当たる黒い電線の方から、聴き慣れた耳障りな囀り(さえずり)が聞こえてくる。  それに釣られて軒下から顔を覗かせると、僕よりも幾分か立派な体つきをした三羽のツバメと目があった。 「こんなところにま〜だ飛べない雛ちゃんがいるぞ〜」 「うっわ。マジかよダッセェ」 「いつまで赤ちゃん気分なんだよ(笑)」  大きな翼と雄々しい尾羽を持つ三羽のツバメは、楽しそうにそう言いながら、宙に張られた電線の上から僕に向けて冷ややかな視線を向けてくる。 「……」  僕よりも早く巣立ちに成功した兄さんたちは、いまだに飛ぶことのできない僕を嘲笑い続ける。 「マジで遅すぎだよな〜。あれと兄弟とかしんじらんね〜」  一番早く巣立ちに成功した一番上の兄さんがそう言う。  それに合わせるようにして、二番目と三番目の兄さんも同調して嘲笑を浮かべる。 「……」  正直、悔しい。  日の当たる大空の下で過ごす兄さんたちが、僕には凄く羨ましかった。 「……」  けど、僕は何も言えないし、何もできない。  それもそのはずで、僕が卵から孵化してもう一ヶ月の時が経っていた。  普通、ツバメの雛は羽化してから遅くても二週間前後で巣を飛び立っていく。なのに、僕はまだ日の当たる大空に飛び立つことができず、日の当たらない軒下の巣で口を開いて母さんと父さんから餌をもらうだけ。  惨めだ。すごく惨めだ。  母さんと父さんも、きっと、僕には失望してる。 「っ……」  居た堪れなくなって、つい感情が昂って、どうにかしたくって、僕は小さな翼を広げた。  僕も、大空を飛びたい。  見たことのない世界を、見てみたい。 「おっ? どうしたどうした?」  僕の思いを踏み潰すようにして、電線の方から声が聞こえる。 「やめとけやめとけって」 「そのちっこくてダッセェ翼で飛べるわけがないだろ」 「そうそう。どうせお前には無理なんだから(笑)」  兄さんたちの言葉が、僕の昂っていた心をグサグサと突き刺す。 「……」  気づけば、僕の翼は閉じていた。  否定のしようがない兄さんたちの言葉に、僕の思いは完全に潰される。 「っ……」  泣きそうになりながら、僕は大空を見上げる。 「飛びたい……」  口を開けることしかできない雛鳥の呟きが、大空とは程遠い軒下で霧散した。 ❇︎ 「ねぇ……」  餌を求めて大空を飛ぶ雌のツバメが、隣を飛行する雄のツバメに話しかける。 「ん? どうした?」 「あの子、ちゃんと飛べるかしら……」  雛鳥の母親と思わしきツバメが、心配そうに不安を吐露する。 「もう一ヶ月近く経つのよ? それなのに……」  母親の不安は当然のものだった。  ツバメの雛鳥が巣立つのは、普通、羽化してから二週間前後。周囲と比べて、兄たちと比べて、あまりに遅い我が子の心配をするのは至極真っ当なこと。 「なるほどな……」  すると、父親と思わしきツバメは、どこか確信に満ちたような声音で言葉を紡ぎ出す。 「確かにあいつは、一番最後に生まれて、一番力が弱くて、一番体が小さい」 「え、ええ……。知ってるわ」  不安げな母親に対し、父親は得意げに語り出した。 「じゃあ、これは知ってるか? あいつは、兄弟の中で一番最初に巣を飛び立とうとしたってことを」 「え?」 「まぁ、全然上手く飛べてなくて、巣からずり落ちそうになってたから俺が戻しといたんだけどな」  やれやれといった調子で、父親は飛行を続ける。 「あの後も懲りずに何度も飛ぼうとはしてるみたいで、ヒヤヒヤしてしょうがねぇよ」  その言葉とは裏腹に、声音だけは何故か嬉しそうだった。 「そうだったのね……」 「ま、だからこそ、俺はあいつが大空に羽ばたけると信じてる。あいつはもう、口を開けて待つだけの雛じゃない」  溢れんばかりの自信に満ちた思いが、恥ずかしげもなく語られる。 「ふふっ、そうね。あの子なら、大丈夫ね」 「ああ。一番最初に大空へと飛び立とうとした、そんな怖いもの知らずで、どうしようもない無鉄砲な勇気を持つあいつなら……」  期待に満ちた嬉しそうな呟きが、広々とした大空に霧散した。 ❇︎ 「なぁなぁ綺麗なねーちゃんよぉ。俺たちと遊ぼうぜって」  大空の下、電線に止まった兄さんたちは、艶やかな羽を生やした雌のツバメに絡んでいた。  無意識なのだろうけど、自然とそれは僕へ見せつけているように見えてしまう。 「お〜い。聞いてる〜? お〜〜〜い」 「……」  一番上の兄さんがいくら話しかけても、艶やかな羽の雌はピクリとも反応しない。  それどころか、何故かその雌はずっと僕に視線を向けていた。  何を言うでもなく、何をするでもなく、ただただ僕を見つめている。 「あんな口開けるだけの飛べねぇ奴のことなんて見てないでさ、俺たちと一緒に行こうぜ?」  彼女もまた、飛べない雛鳥を笑いに来たのだろうか。  そう思うと、胸が苦しくなって、ある思いが異常なまでに膨れ上がる。 「飛びたい……」  僕がそう呟くと、大空の彼方から餌を咥えた母さんが帰ってくるのが見えた。  孵化して一ヶ月が経とうとしているのに、まだ親に餌を与えられている。そんな醜態を他の雌に見られてしまうと思うと、身体中が嫌な気持ちでいっぱいになる。 「はぁ……」  僕の胸中なんて知る由もない母さんが、程なくして僕の元に辿り着く。  いつの日か不出来な僕を見限り、こうして世話を焼いてくれることも無くなるのだろうと悲しく思いつつ、僕は口を開く。 「んっ……」  情けなく開かれた僕の口に、母さんは咥えていた餌を突っ込む。  こんな不出来な子供なんて、いつ親に捨てられてもおかしくない。  味のしない餌を食べながらそんなことを考えていると、いつもは忙しなく飛び立っていく母さんが不意に僕へ顔を近づけた。 「頑張って」  温かみのある声で、たった一言それだけ告げて、母さんは飛び立っていった。  安心感に満ちた背中を向けて。 「え……」  聞き間違い? いや、そんなことはない。  てっきり、僕には失望しているものだと思っていたけれど、そうじゃないのか……? 「うーん……?」  するとそこへ、間髪入れずにもう一羽のツバメが餌を咥えてやってくる。  そのツバメは僕のいる巣の縁に止まるや否や、微妙に空いた僕の口へ無理矢理に餌を突っ込んだ。 「んぐっ……」  父さんにしてはあんまりにも強引だったから、思わず僕は喉を詰まらせそうになった。  それでも、なんとか頑張って咀嚼をしていると、不器用な声が聞こえてくる。 「頑張れよ」  頼り甲斐のある声で、たった一言それだけ告げて、父さんは飛び立っていった。  逞しさに満ちた尾羽を靡かせて。 「……」  僕は、自分が惨めだった。  力も弱いし、体も小さい。  孵化して一ヶ月が経つのに、巣立ちができずにいた。  明るい大空はいつも遥か彼方にあって、暗い巣にいつもいる自分のことが、どうしようもなく情けなくて、惨めだった。  何回飛ぼうとしても、いつも向かうのは硬くて冷たい地面ばかり。  誰も、僕のことなんて、気にしていないと思っていた。 「……」  でも、僕は、一人じゃなかった。  母さんも父さんも、失望なんてしていなかった。  口を開けることしかできなかった僕に、餌を運び続けてくれた。  ずっと飛べなかった僕に、いつも寄り添ってくれていた。 「……」  僕のやることは一つだけ。  もう絶対に、挫けない。 「っ……」  覚悟を決め、小さな翼を広げる。  そして、僕は自分の中の思いを、大空に向かってありったけに叫んだ。 「飛びたいっ!」  勢いよく巣を飛び立ち、広げた小さな翼を大きく羽ばたかせる。  体は地面に向かうことなく、広大な大空へと舞い上がった。  いつも夢見ていた、日の当たる大空に、僕は確かに飛んでいた。 「あ、あいつ……」 「マジかよ……」 「あんなに、高いとこまで……」  微かに聞こえる兄さんたちの驚愕の声を聞き、僕は大きく旋回して、いつも見ているだけだった電線へと足をつける。  すぐ隣には、驚きに満ちた顔をした兄さんたちの姿があった。 「と、飛べたよ……」  つい嬉しくって、気丈にそういってみたものの、初めての飛行で体力をかなり消費していて、僕の息は絶え絶えだった。 「……」  すると、そんな僕の元に、兄さんに絡まれていたあの艶やかな羽を生やした雌のツバメが寄ってくる。  そして僕が尋ねるよりも先に、その雌は兄さんたちに向かって毅然と言った。 「ごめんなさい」  雌のツバメからそう告げられて、兄さんたちはまるで餌を待つ雛鳥のようにして、間抜けに口を開けていた。  続け様に、その雌のツバメは言葉を紡ぐ。 「私……頑張り屋な可愛い子が好きなの」 「え、かわ……?」  僕に擦り寄るようにして、その雌は言った。  これでも僕は男の子なんだから、可愛いと言われてもどうしていのかわからない。まぁ、雄にしては尾羽が短すぎるし、そう言われても仕方ないかもしれない。釈然とはしないけど。 「さっきのかっこよかったよ。よかったら、お姉さんと一緒に行かない?」  兄さんたちに絡まれていたときには微塵も見せなかったにこやかな表情で、彼女は僕に向かってそう言った。 「え、あ、はい……。お願い、します……」  僕にはこんな綺麗なツバメを間近に見たことなんてなかったから、変に言葉が詰まってしまう。ちょっと恥ずかしい……。 「ふふっ、可愛い。じゃあ行くよ」  凛々しい声音で僕にそう言って、彼女は大空へと羽ばたいていく。 「あ、ま、待ってくださいよーっ!」  慌てて追いかけるようにして、僕も小さな翼を広げて彼女を追いかける。  どこまでも続く、明るい大空の向こうまで。
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