バトン

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 智樹とは幼稚園の頃から高校までは一緒の学校だった。  小学校の時まではそれほど仲が良かったというわけではなかったが、中学生になって同じ陸上部に入ってからはよく一緒にいるようになった。  圭太、裕司も中学校から一緒で、陸上部に所属していた。  智樹と裕司の専門種目は二人とも短距離の100m(メートル)、200m(メートル)走で、僕と圭太は跳躍の走り幅跳びだった。  ただ、僕らは各々の種目以外にもう一つ兼ねている種目があった。 ――リレーだ。  陸上という個人技の目立つ競技の中で唯一存在する団体競技。  リレーは、中学までは4×100m(メートル)だけだが、高校ではそれに加えて4×400m(メートル)リレーが存在する。  競技場のトラックを四人で一周するか、全員が一周するかの違いだ。  僕らは中学、高校ともに4×100m(メートル)リレーのメンバーとして大会に出場していた。  全国大会に出たこともあった。  各々の種目でそれなりの成績は出していたが、全国に出場したのはリレーが初めてだった。  辛い練習を耐え抜いて、四人の力で全国をつかみ取った時は嬉しかった。  ただ、僕らのリレーは初めからうまくいっていたわけではなかった。  中学の頃、初めてリレーを組んだ時は特に酷かった。  各々の種目を重視してリレーの練習をないがしろにし、助走距離なんかも特に決めなかった。  走ってきた人からバトンを貰えばいいという認識で大会に挑んだ。  結果は最下位だった。それも、失格の最下位。
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