血塗れジャック

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血塗れジャック

色鮮やかなハロウィンのコスプレに身を包んだ女の子達が特段用事もないのに薄暗がりの路地前でたむろしていた。  ネオンが瞬く地方都市の小さな地下劇場の舞台後の出待ち──いつ現れるかわからないお目当ての『推し』を彼女たちは待っているのだ。 「ちっ、邪魔だなぁ──」  女の子たちを掻き分けて、俺は幼馴染みの千二朗(せんじろう)が居る関係性立入禁止の看板がかかったドアを開けた。 「邪魔するぜ」  楽屋のドアを勝手知ったるなんとやらでノックもせずに勢いよく開ける。  そして、部屋の真ん中で寝転がっている人物に目をやり──反射的に叫んだ。 「千! お前──痩せ過ぎじゃねーか……」 「ん? そうか?」  一週間ぶりに会う千二朗は大きなアーモンド型の瞳を俺に向けてニッと笑う。 「いい男過ぎて惚れ直すだろ?」  もともと痩せ型だったのに、顎は以前にもましてとんがり、シャツからのぞく鎖骨はくっきりと浮き上がっていた。 「なんか──あったのか?」  俺は追及した。 「気にすることはないよ──といいたいところだが、(げん)ちゃんには白状しとくわ。ここのところ……脅迫状が事務所にしつこく来るんだよ、ほら」  千二朗は紙の束を俺に放り投げて困ったように笑った。 「今年もハロウィンの夜、血塗れ(ブラッディ)ジャックがお前(せんじろう)の血を欲してる──何だ! これ。()()()かよ……!」  受け取った紙束は、どれもカボチャ柄の便箋でそこには生臭い血痕がついた文字が踊っていた。 「あぁ、こいつ。本当に毎年来るよなー。あ、幻ちゃん。それ、あんまり中身を触らない方がいいかも。血がついちゃうよ」 「血!?」 「あぁ、それと一緒に首を切られた子猫の死体がおくりつけられてきたんだ。皆が怖がるといけないからね。この件はお口チャックで頼むわ~」  おどけた様子で千二朗は右手で空にシュッと横棒をひいた。 「……なにを悠長に! 警察には相談したのか?」 「もちろん。でも去年と一緒さ。  明日のハロウィンで何かやらかすってことだろうけど、単なる悪戯かもしれないって警備の刑事一人よこさないしな……また話題作りですか? なんて言われちゃって」  千二朗はやれやれと言った様子で整った顔を歪める。 「大丈夫なのか? 明日の舞台は止めたらどうだ?」 「無理だよ。明日は公演最終日だし、東京から例の監督やプロデューサーが来るんだ。  本当にこのカボチャの奴、早く気が済んでくれるといいんだけどな……」  ぼんやりと千二朗はぼやいた。 「おい! 千! そろそろ出るふりだけでもしてくれよ。集まったファンが邪魔で明日分の荷物の運搬が進まねぇ」  ふいにマネージャーがのれんをかきわけて顔をのぞかせた。 「えー、やだ。いつもみたいに葉垣さんが影武者になって誘導しちゃって」 「俺じゃ身長が違い過ぎてすぐにバレちまうっていつも言ってるだろうがよ……」  葉垣マネージャーはぶつぶつ言いながらも楽屋から(せわ)しなく出ていく。 「そういえば(もも)はどうした?」  ふと俺が投げかけた質問に千二朗の顔が不意にギチッとこわばった。 「あいつは家に帰したよ。万が一、僕の巻き添えをくらったら可哀想だろ?」 「そうか……」  いつも千二朗の側にピッタリくっついている弟の(もも)の姿がない。桃はここの公演の殆どの脚本を手掛ける脚本家だ。その桃の姿がないのは違和感があるなぁ──と俺が思った瞬間。  暖簾の影からひょっこりと小さな影が姿を現した。 「桃! お前、何で来たんだ!」  鋭い千二朗の声にビクリ、と桃は肩を震わせた。  額で一直線に切り揃えられた艶やかなオカッパ頭が揺れた。 「だって──千兄と一緒にいたいんだもん」  桃はぱっちりとした瞳を瞬いて、おどおどと千二朗を見た。 「バカ! ここへは来るなといっただろ? さっさと帰るんだ」 「……やだ。帰らない」  イヤイヤと桃は幼子のように首を振る。 「幻ちゃん、わりぃ。こいつを家に連れて帰ってくれよ」  千の言葉に桃の小さな頬を涙が伝った。 「お願い。千兄が心配なの──」 「お前が心配したって犯人は捕まりゃしないよ」  千二朗はきびしい調子でそういうと背を向けた。 「桃、あきらめろや。帰るぜ」  ぽん、と柔らかな髪に俺は手をのせると裏口へ千の言う通り桃を連れて歩き出した。 「ねぇ。幻斗(げんと)さん──あの話、知ってる?」  劇場を出ると突如、隣を歩く桃が足を止めた。 「あぁ?」 「千兄、東京で映画の主役に抜擢されてデビューするんだって……」 「──どこから聞いた?」 「葉垣さんたち、隠してるみたいだけど皆、噂してるよ。こんな田舎から映画スターが出るんだって嬉しそうに……」  桃は首を振った。 「噂だろ。まだそうとハッキリ決まったわけじゃない」  俺は素っ気なく返す。 「幻斗さんは……千兄がこの街を出て行っちゃっても平気なの?」 「──アイツが行きたければ行けばいいさ。別に役者はアイツだけじゃない」  首をすくめて俺は答えた。 「嘘! 千兄がいなくなったらここの劇場のオーナーの幻斗さんは──」 「別に何とかなるだろ。それより、千が居なくなったらお前が寂しくなっちまうな……」  俺はグリグリと桃の柔らかな髪を撫でた。  桃は子ども扱いするな、と言わんばかりにそれをはねのける。 「やめてよ。ボクはイヤなんだ。千兄が──ここの舞台以外に立つなんて!」 「お前──」  普段は穏やかな桃の珍しく激しい言い方に俺はなだめるようにその女の子のような白い顔をのぞきこんだ。 「なぁ、だからといってアイツをこんなちんけな劇団に引き留めてどうするよ……」 「そんなことない! 今の時代はここでライブ配信してもやっていけるよ。  千兄も()()()()()みたいに東京のプロデューサーに騙されてたらどうするのさ!」 「桃っ! その名前を出すな……」  俺は興奮して叫ぶ桃の腕をつかむ。 「ごめん──幻斗さん。ボクは千兄がとにかくここを出ていくことには反対なんだ……」 「桃──」  桃は悲しげな目で俺を見つめた。俺は無言でそれを見返す。 「わかった。ボクは家に戻るよ……」  先に目を反らしたのは桃だった。 「千はお前を巻き込みたくないんだよ。桃、頼むからお前は大人しく家にいてくれや」  桃は黙ってうつむく。  その背中を俺は押しながら俺はノロノロと駅に向かって歩きだした。  俺は──大宮 幻斗(げんと)はハロウィンが嫌いだ。  大宮 エリカ……俺の妹がハロウィンに死んだからかもしれない。  あいつも千二朗と同じ、ここの劇団の看板女優だった。  自称プロデューサーとかいう怪しげな男に東京のドラマで起用してやると言われてノコノコついていって──結果、デビューは叶わずに身体だけ、ボロボロに弄ばれた。  騙されたアイツは絶望してハロウィンの夜に死んだ。  何故かエリカが死出の衣装に選んだのは、舞台で使ったジャック・オー・ランタンの仮装。  そのせいかもしれない。  俺は……毎年、ハロウィンの時期はあの血塗れカボチャの残像が脳裏にちらついて記憶が曖昧になるんだ──。  去年のハロウィンも思いだそうとすると、頭に真っ赤なもやがかかる。  コレハ、ナンダ──? (──ちゃん、お兄ちゃん───)  ……エ、リ カ?  あぁ、まただ。  真っ赤な血のような───一面の赤。  俺が覚えているのは……今年もハロウィンの前夜までだった。  ◇◆◇  翌日のハロウィン当日は上天気だった。  大宮 幻斗はスタッフが朝食をとっている楽屋に向かった。  千二朗は既に食事を終えたのか、食欲がないのか──窓際で新聞を読んでいる。  朝日で見る千二朗の顔も昨日より幾分血色がよくなっているように見えた。  千二朗は幻斗を上目遣いで見た。 「──あ、幻ちゃん。昨日は桃を送ってくれてありがとう──」  公演中は劇場の事務所で寝泊まりをしている千二朗は礼を言うと、続けて何か言いたげだったが幻斗の顔を見るとうつむいた。 「どうしたんだ? 千」 「なぁ──幻ちゃん。去年のハロウィン、覚えてる?」  幻斗の問いにぼんやりとした瞳のまま、千二朗は質問でかえした。 「あぁ……お前が奈落へ落ちて文字通り血塗れになった時のことだろ?」 「あれさぁ、本当に痛かったんだよね。もうあんな怪我は二度とゴメンだよ。  ねぇ、幻ちゃん。いや、もう今日はハロウィンだから()()()かな。  今年は桃のお気に入りの子猫まで殺しちゃって、どうするつもりなの?」  千二朗はそう言うとまだうっすらと白く剣山の傷痕の残る自分の身体を抱きしめた。 「……ネコ?」 「エリカだろ? お前」  千二朗は無表情のまま、幻斗を真っ直ぐに見た。 「──なぜ?」 「僕にはわかるよ」  千二朗は悲しそうな笑みを浮かべた。 「 ……去年、お前がロープに切れ目を入れてるのを見た時。あの舞台装置は僕たちしか動かし方はわからないはずだ。  あの手際で幻ちゃんじゃなくて、やったのはお前だってすぐにわかったよ、エリカ。  ハロウィンであの世から戻ってきて──兄貴の幻ちゃんの身体を使ってるんだろ?」  千二朗の言葉に幻斗──エリカは唇を噛んだ。 「千……じゃあ、それを知っててどうして飛び降りたの?」 「東京でデビューしたいっていうお前の願いをかなえてやりたいと思ったし──話題作りにちょっと落ちるぐらいなら平気かと思ったんだ。  まさか奈落の底にあんな剣山が仕込んであるなんて思わなかったけどね──お前、僕を殺す気だったのか?」 「──そんなわけないじゃない」  うつむいて幻斗の低い声でエリカは呟いた。 「なぁ、エリカ。折角お前があの世からプロデュースしてくれたけど、『血塗れ王子(ブラッディプリンス)』は売れないよ。僕はどうやら長くは生きられない」 「……!」  『血塗れ王子』──。  それはハロウィンに事件に巻き込まれる千二朗のことをマスコミが面白おかしく書き立てた際につけた渾名(あだな)であった。  そのお陰もあって──こんな地方劇場であるにも関わらず、いつ盛況であり──尚且つ、映画の主役に千二朗をという酔狂な監督やスポンサーまでも出現するに至ったのだ。 「長く生きられないってどういうことよ?」  虚ろな幻斗の瞳の奥でエリカが揺れる。 「これを見ろよ」  千二朗は上着のポケットから薬袋を取り出してみせた。 「何よ──!?」 「──僕、ステージ4の末期ガンだって」 「う、嘘よ!」 「疑うなら、見てみな──ほら。若いから進行が早いらしくてさ。ターミナルケアとやらで痛み止めしかもう処方されてないんだよ」   千二朗が薬袋をエリカの鼻先にグイッと差し出す。 「……そ、んな──イヤよ! イヤよぉぉぉぉぉっ!!」  その薬袋をはねのけると絶叫して幻斗は顔を覆ってその場に座り込んだ。 「だから、もう今日で血塗れハロウィンは終わりにしよう。なぁ、エリカ……」  その幻斗の肩に千二朗は優しく手をかけたかと思うと──素早く、幻斗の首にキラキラ光る鎖のようなものをかけた。 「ぐぉぉぉぉぉ───!!!」  その瞬間。  いきなり喉を押さえ、口から泡を吹いて幻斗が地面を転げ回ってのたうちはじめた。 「……せ、千! お前ぇぇぇ! 一体何をしたっ!!」  飛び退いてパーティションを盾にして身構える千二朗に、幻斗は苦悶の表情を浮かべながら必死に手を伸ばす。 「あは。ちゃんと効いてるみたいだね。銀の十字架(クルス)。奮発したかいがあったよ」  千二朗は緊迫した表情で額の汗を拭いた。 「クッ──オノレ……人間ゴトキガ──我ヲ封ジルツモリカ──苦しい、ねぇ……千。これ、とってよ。お願い──」  嗄れた老人のような声が突如、若い女の声に変わり、千二朗に向かって哀願する。 「悪魔なんかと契約するからだよ。エリカ……僕は悪魔に魂を売ってまで銀幕デビューするつもりはないからね──悪魔と一緒に地獄へ帰るがいい」  千二朗は静かな宣言とともに、手にした瓶から水を振り撒いた。 「「キ、……サ──マッ! オノレ──聖水マデッ!!  オバラ──センジロウ……オボエテイロ!  モウスグ貴様ガ死ヌ時ニハ、必ズ地獄カラ迎エニ来テヤルカラナ───!」」  口からシュウシュウとした厭な臭いのする煙を吐きながら、ドロリとした深紅の瞳で千二朗をきつく射抜くと、ガクリと幻斗は首を折った。 「ハ、ハハハ……やった、のか──」  半ば放心したように千二朗はその場にへたりこんだ、その時。 「千兄!」  静かに、小さな影が現れた。 「桃──?」  カボチャをかたどった仮面を手に闇の中に現れたのは──千二朗の弟の桃の真っ白い小さな顔。 「心配かけたな。お前──結局、戻ってきたのか。  僕は大丈夫だ。単なる胃薬だったがハッタリに動揺してくれて助かった。……僕の演技力もそんなに悪くないだろ? これなら映画界でも通用するかな──」  それを聞いてジャック・オー・ランタンの衣装を纏った桃が突然笑い出した。 「アハハハハ──」 「桃、お前……」 「千兄なんか嫌いだ。あんなに止めたのに、ここを捨ててやっぱり東京に行くんでしょ?」  桃はささやくように言った。  どうした、と問おうとしたが千二朗の声は出なかった。全身が金縛りにあったように強ばる。 「エリカもボクの言うことを聞かなかったから、時間を止めてあげたのに──勝手なことをするんだもん。悪魔(アイツ)を呼ぶために折角可愛い子猫の首を差し出したっていうのにさ……」 「お前……まさか!」  千二朗の両目が驚愕に大きく見開かれた。  桃の異様に紅くみえる唇から思いもよらない言葉が飛び出してきたのだ。 「エリカと同じところに送ってあげる」  きれいな、声変わりしなかったせいで奇妙に高いボーイソプラノが響き渡る。 「やっぱり──血塗れ王子はジャック・オー・ランタンに引導を渡されなくちゃ」  あどけないが、ゾッとするような微笑みを浮かべて桃が銀色の光を振り上げた。  ◇◆◇ 「……なんつーえげつない脚本だよ、これ」  千二朗はうんざりした表情で手にした脚本を投げ捨てた。 「え? ダメかなぁ」  弟の桃は頭をかきながら兄を見上げた。 「ハロウィンだからって──こんなの客が喜ぶか? だいたい、僕の見せ場もそんなにパッとしないしさぁ。派手さがないんだよ、インパクト!」 「そんなことないと思うけど……」 「やめやめ。こんな辛気くさい話に出るのは僕はイヤだよ。書き直して」  やおら立ち上がると千二朗は桃の脚本をこれ見よがしに右足で踏みつける。 「── Trick or Treat」  桃は呪文のように唸り声をあげた。 「なんだよ? 僕は菓子なんかもってねーよ」 「……Trick or Treatはね。もともと悪霊が『我をもてなせ、さもなくば厄災をもたらすぞ』って意味なんだって。千兄の厄災は今夜がハロウィン前夜だったことだね……ボクもこの脚本(ほん)みたいに悪魔と契約してるとは思わなかった?」  クックッと笑ってゆっくりと桃は言った。 「なんだよ、桃──冗談だろ?」  怯えたように千二朗が首をふった。 「Trick or Treat──さよなら。血塗れ王子様」  桃の後ろ手に隠した出刃包丁が不気味な光を放つ。  キラリ、ときらめく冷たい光とともに──ゆっくり、ゆっくりスローモーションのように赤い花が暗闇に咲いた。  ハロウィンの夜には悪霊が溢れ出る──皆様もハロウィンは前夜からくれぐれも御用心のほどを。  血塗れ(ブラッディ)ジャックがあなたの隙を狙っているかもしれませんよ……。
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