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再会
春の季節に出会いを感じないのは、今なお夏海を引きずっているからだろう。
春人は机に突っ伏した顔をあげて、教室の外に視線をやる。外には、大きく地に根づいた桜が満開になっていた。
桜がわずかながらの今を精いっぱい生きる様は、どこか夏海を彷彿とさせて。優大の脳裏に一瞬、一瞬の記憶を蘇らせる。
「はぁ」
カッコいいことを思っているが、実際は違う。
あの日も、病室から桜が見えた。ベッドに顔を埋め、泣きじゃくる冬華。その奥に、散り際でほとんど残っていない桜が、命を燃やしていたのを鮮明に覚えている。
その姿を、桜を見るたびに重ねてしまう。こうして幾多の季節を越えても、夏海を思い出す理由は桜だろう。
どれだけ前に進んでも、桜を見ればたちまち戻ってくる。夏海の記憶が頭いっぱいに咲き誇り、果たせなかった初恋が、胸を苦しめる。
春がなくなれば、桜がなくなれば。こんな思いもせず、ひたむきに前に進めるのか。
春人は自分自身に問いかけるも、返答は沈黙。きっと、この初恋すらも勘定に入れる必要があるようだ。
あらゆるものに縛られて動けない自分。夏海ならきっと、優しく背を押してくれるのだろう。「がんばれ」とか「ゆっくり」とか、日だまりの言葉が聞こえてきそうだ。
「よお春人。そんな憂鬱な顔してどうしたよ?」
「ちょっと昔を思い出してただけだよ海はここのクラス?」
「そうだよ。ラッキーなことにお前と同じクラスだ」
「俺にとってはアンラッキーかな」
「冗談きついって、俺でも傷ついちゃうよ?」
「ごめんごめん」
「誠意は金。ということでジュース一本な」
「嫌だよ、誠意は態度だ。ということで、申し訳ございませんでした」
「頭を下げられちゃあ許さないわけにもいかないな。今後は気をつけるんだぞ?」
「はいはい」
海は鼻の穴をひくつかせて、満足そうに笑顔をうかべる。
春人にとって海は中学校からの親友で、同じ高校に進んだ雄一の友達だ。
坊主頭に、底抜けの明るさが取り柄で。その明るさに春人は救われた。
冬華が引っ越して、一人ぼっちだった中学生活。海との出会いがなければ、今よりもっと長く重く。過去を引きずっていたかもしれない。そう思うと、春人は親友の海に感謝しかない。
「そろそろ入学式始まるし、移動しようぜ」
「そうだな、そんなものもあったな」
「おいおい春人。まさか、この人生の一代イベントの重要性が分かってないな?」
「重要性?」
「入学式は同学年が一同に介する奇跡の瞬間! さらに名前まで知れるんだぞ! その意味が分からないのか?!」
「すまん、ちんぷんかんぷんだ」
「はぁ、君にはついてるのかい。男なら、かわいこちゃんを探すのは宿命! いや至上命題だ!」
「お前だけだよ盛った猿」
「むきー! 誰が猿だ!」
「そこ、そういうところ」
「ふん、とっておきの情報を手に入れたのになぁ。もったいないなぁ。はぁ」
「……」
海は残念そうな振りをして、実際は喋りたくてしょうがないのだろう。春人にチラチラと視線を向けて、まだかまだかと待ち続ける。
どうせ、いつかは勝手に喋るのだが。このまま放置するのもかわいそうだし、特に放置する理由もない。
春人が「ごめんごめん」と適当に謝り、「それで?」と聞けば。海はパッと顔を明るくして、暑苦しいほど春人に顔を近づけてきた。
「よくぞ聞いてくれた友よ! なんと今年の学年代表は才色兼備! 名前は確か……木下冬華だ!」
「きしたとうか……?」
「知り合いか?」
「どうだろ。違う人かも」
「同じ名字で同じ名前。それで別人とか天文学的確率だろ」
「いやさ、俺の知ってる冬華は俺と同じで馬鹿なんだよ。よく悪さをして、懲りもせずに繰り返す悪ガキだったから……。少なからず才はない」
「じゃあ別人かもな。まあでも、代表だから登壇するし、そこで顔が分かるだろ」
「そうだな」
一瞬の期待は、春風の気まぐれにすぎない。
春人は再び外を眺めて、冬華との思い出を振り返る。
冬華は無頓着なうえ、自由奔放な性格をしたおてんば娘だ。それを象徴するエピソードは、スカートを履いた冬華と遊んだときのことだ。
冬華は走り回り、スカートの中が見えようがおかまいなしで。なぜか見ている春人が一番恥ずかしい思いをした。
幸いそばにいた夏海のおかげで一件落着。かと思いきや、冬華はたびたび、この事を引っ張り出しては春人をからかってきた。
いつ思い出しても、当時の自分と同じくらいにはムカムカできる。現に今も、春人はムカムカしてきた。
「春人、そろそろ移動しようぜ。桜なんて後でしこたま見ればいいから」
「そうだな」
 ̄ ̄ ̄ ̄
優しさの欠片もないパイプイスに座り、興味のない話を聞き流せば、体感五時間が経過した。それなのに、一向に学年代表の挨拶は始まらない。
春人はしびれを切らして、来賓紹介に目もくれず時計を見れば、思わずため息をつく。
動いているのは長針のみで、実際には1時間も経過していない。
いったい、いつになったら学年代表の挨拶をするのか。春人の我慢はもう限界で、いっそ探すことを決意させる。
春人はばれない程度に体をよじり、過去の記憶を頼りに。冬華らしき人物を探すも見つからない。
もう、過去の人物像はあてにならないようだ。春人がそうであるように、冬華も大人になった。落ち着きのない、我慢の二文字を知らない子供ではないのだろう。
春人が諦めて前に向き直ったその時、待ちに待った声が体育館に響いた。
「続いては学年代表の挨拶。木下冬華さん、お願いします」
「はい」
知性と気品あふれる透明な声が響き、場の空気は引き締まる。
体育館の中央、より少し右にそれた場所で立ち上がる一つの影。その影は間違いなく冬華だ。
春人がすぐに視線を向ければ、双眸は大きく見開かれる。その姿は春人の知る木下冬華ではない。むしろ、姉である木下夏海だ。
肩にかかる黒髪、慈愛に満ちた瞳、凛々しく歩く姿。全てが夏海の要素で構成されて、そこには冬華の要素は欠片もない。
春人は疑問に思う気持ちが強くあれど、嬉しい思いもわずかにある。
現に、止まっていた初恋の針は動き出していた。今は小さく心音に負ける音でも、チクタクと確かな音を刻んでいた。
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