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自覚
春といっても、夜になれば冬の残り香が肌身を震わす。
春人と冬華は二人、ホットココアを手に駅の待合室にいた。暖房はすでに切られて、外よりはマシ程度の暖かい場所だ。
「次の電車は何時ごろなの?」
「19時10分です」
「そっか。じゃあもう少しだけ話せるね」
「いいんですか?」
「問題ないよ。どうせ親は共働きで帰りは遅いから」
「そうなんですか。それならお言葉に甘えて、よろしくお願いします」
冬華に無垢な笑顔を向けられて、春人はわずかな後ろめたさを感じてしまう。
まだ話したいというのは、春人のエゴなのに。それを好意として受け取られたとなると、どこか騙したような気持ちになる。
春人がそんな後ろめたさを振り払うように、ホットココアを二口あおれば。冬華はしんみりと話を切り出した。
「秘密基地が工事現場に、駄菓子屋さんはそば屋に、公園の遊具はすっかりと撤去されて……。変わることが悪いことではないのに、悲しい気持ちになります」
「俺も同じ気持ちだよ。ちょっと前まで秘密基地は更地だったのさ、今じゃあ工事現場。どんどん変わってくよ」
「そうですね。どんどんと変わって、私たちの思い出はいつの間にかなくなるんでしょうね……」
冬華の発した言葉は重く、春人はたまらず黙りこむ。
冬華の言った「私たち」には、きっと夏海もいるのだろう。秘密基地も駄菓子屋も遊んだ公園も、三人でいた場所はすっかりと変わり果てて。今や春人と冬華の二人だけしかいない。
けれど、春人は全てを悲観しているわけではない。どれだけ変化が訪れても、思い出は不変だ。だからこそ、春人はこうして冬華と再会して、また話せている。
「そんなことは、ないんじゃないかな。だってさ、変わってもなくなっても、俺たちはずっと覚えてるじゃん。覚えてるから、今日はいっぱい話せたんだよ。だからさ、思い出はなくならないと思う」
「……そうですね。思い出は、なくならないですよね」
寂しそうだった冬華の顔は、やっと笑顔になる。目をたらして、口角の上がった底抜けの笑顔は、心から笑っていそうだ。
しかし、春人にとってその笑顔は、過去の記憶を引きずり出されるものでもあった。
頬にできた小さなえくぼが夏海に重なり、春人の閉じこめた想いが、体を駆け巡る。
春人は冬華に悟られないよう、精いっぱい笑顔を繕うも。懐かしい鼓動は一向に治まらず、春人を困らせる。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもないよ。今日は楽しかったなって、思い出してただけ」
「そうですね、私も楽しかったです。もしよろしければ、今度は本屋さんに付き合ってもらえませんか?」
「いいよ。今日は店が閉まっていて行けなかったしね。本、好きなの?」
「はい。本は好きです。本の中の人が、自分らしく生きて物語を紡ぐ姿が、とても好きなんです」
「なるほどね。確かに自分らしく生きてる人っていいよね」
「はい。とても」
冬華の微かな笑顔はどこか物憂げで、春人はついつい気になってしまう。
どうしたのだろうか。春人が心配して、声をかけようとした矢先、理由はすぐに判明した。
流れるアナウンスを聞くなり冬華は立ち上がり、顔はますます憂鬱に沈む。
「すみません。もうじき電車が来るので、私はこれで……」
「分かった。今日はありがとね」
「はい。こちらこそ。こんな時間までつき合っていただいて、ありがとうございました」
冬華は深く頭を下げると、名残惜しそうに、改札の向こうへ行ってしまった。
春人は冬華を見送り、その姿が見えなくなると、ため息をついてイスにへたりこむ。
懐かしい鼓動は、紛れもなく恋をした時のものだ。初恋の時と同じで、心が躍っていた。
だが、その恋の矛先は冬華ではない。冬華に重なった夏海だ。
だからこそ、春人は困っていた。「好きだ」という言葉を冬華ではなく、重なった夏海に贈るなど失礼千万な行為だ。
あきらめよう。春人は恋の言い分になど耳を傾けず、閉じこめていた想いを再び閉じこめる。
そして、立ち上がった春人は、駅をそそくさと後にした。
――――
駅の出来事から早数週間、閉じこめた恋は春人を苦しめていた。
冬華と話すたび遊ぶたび、奥底に閉じこめた恋が煩わしくなる。
春人は心労から大きく息をはくと、机に突っ伏してうなだれる。
冬華と付き合ったところで、初恋の代わりにはならない。だというのに、春人の恋は聞く耳をもとうとしなかった。
しきりに「つき合え」とやかましく、春人の心を蝕んでいた。
「お、悩める子羊発見。おはよう春人~。朝から辛気臭い顔して、どした?」
「……」
「そんな警戒しなさんな。友人の弱った姿を見せられたら、友として放っておけるわけないだろ」
「大したことじゃないよ。冬華のことでちょっとさ」
「もしかして喧嘩?」
「してないよ。それに、喧嘩はちょっとどころの話じゃなくなるだろ」
「それもそうだな」
海があっけらかんと笑えば、春人もつられて笑顔になる。
海と話すと、春人の心は不思議と軽くなる。悩みも悲しいことも、海と話している間は蚊帳の外で、楽しい気持ちが先行するからだろう。
「じゃあさ、ちょっとしたことってなんだよ」
海はひとしきり笑うと、神妙な顔つきをうかべて春人に耳を傾ける。
春人も、その姿勢にこたえようとするも。やはり打ち明ける勇気はわかず、誤魔化すことにした。
「あれだよ。昔と違うから、接し方が不安になるんだよ」
「ああ、そんなこと言ってたな。大丈夫だろ、いつも通りで」
「やっぱりそうなのかな」
「……逆に聞くけど、どう接したらいいと思ってんだ?」
「そこまでは考えてないけど……。冬華はあの感じだし、前と同じじゃない方がいいのかなって」
「あのな春人。接し方なんて一日やそこらで変わらないから。お前はお前らしく、冬華と接すればいいの」
「ありがとう海」
「いいってことよ。ところでさ、冬華に俺のこと伝えた?」
「……」
「焦らすなよ」
海に肘で小突かれようと、春人の答えは変わらない。
「ごめん」ともらせば海も察して、少しばかり落ちこんでしまう。
春人の良心は痛むも、春人だってそれどころじゃない。恋と道徳との板挟みで、疲れ果てていた。
「今度会ったときに伝えるから」
「しっかりしてくれよ? ちゃんと、飛びきりのイケメンってこともな」
「はいはい」
海のデタラメを二つ返事で流せば、春人のスマホから着信音が響く。
届いたメールは空メール、相手はもちろん冬華だ。
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