逢引

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 ゴールデンウィークの昼下がりとあって、ショッピングモールは多くの人で賑わう。家族、カップル、一人と様々な人が絶えず出入り口を往来する。  春人は、そんな出入り口の一角にあるベンチに座っていた。時おり顔を上げて、ショッピングモールに来る人の中から冬華を探しては、ソワソワとする。  今日はショッピングモールで冬華と遊ぶ。ただそれだけのことなのに、春人が落ち着かないのは自覚した恋心にある。デート、デートと恋心が舞い上がり、春人の気を乱している。  現に春人が顔を上げれば、目につくのはカップル。意識していると思うと恥ずかしさがこみ上げて、春人はたまらず視線を落とす。  これはデートじゃない。春人は舞い上がる恋心を叱責するもまるで聞こうとしない。それどころか、春人の声などどこ吹く風で、心臓までもがドキドキと小躍りを始めだした。  デートじゃない。デート。デートじゃない。デート……。春人と恋心が無益な争いに汗を流していれば、春人の前でピタリと止まる足音。 「お、おはようございます」  強張って声が震えようと、透きとおった声質までは変わらない。春人がゆっくりと頭を上げれば、徐々に冬華の容姿が明らかになる。  ベージュのロングスカートは、スラリとした容姿を際立たせて。白いカーディガンからのぞく肌は陶器のように美しく、きめ細やかだ。  春人は思わず見惚れてしまうも、呆けた顔はグッとこらえて。まずは笑顔で挨拶を返す。 「おはよう冬華」  春人が挨拶を返して、冬華の顔を見れば、春人の繕った笑顔は真っ二つに割れる。  冬華の髪型は、いつもと変わらない肩にかかる黒髪なのに、雰囲気は別人だ。  大和撫子という言葉が似合うほど雅を有して、おそろしく艶やかだ。春人が美を体現した冬華に視線を奪われていると、冬華は耳まで真っ赤になる。 「変でしょうか……」 「ううん、全然変じゃないよ」 「よかったです。少し背伸びをしすぎたかと心配になっていたので」 「大丈夫だよ。むしろ俺が無頓着すぎたかも」  春人は自分の服装と冬華の服装を比べて、雲泥の差を前に苦笑する。黒のチノパンにねずみ色のジャケットと、春人の格好はかなりラフだ。  せいぜいオシャレをしたといえば、頭に被るバケットハット程度。それでも冬華には遠くおよばない。  けれども、冬華は首を横に振って、春人の格好を肯定してくれた。 「そんなことはありませんよ。自然体でカッコいいです」 「あ、ありがとう。冬華もオシャレですごくかわいいよ」 「……」 「……」  本当のことを言っただけなのに、春人は急に恥ずかしくなり、顔は火が出るほど熱くなる。  冬華に見られてないかと一瞥すると、冬華の顔もさらに赤くなっていて、互いに羞恥に悶えているようだ。  こんなことになるなら、もっと違う言葉を選ぶ必要があったと、春人が悔やんでも後の祭りだ。  しかし、本音を隠しながら冗談交じりに言えるほど、春人の語彙は豊かじゃない。  結局こうする他なかった。悔やむのは言葉選びではなく、磨かなかったセンスだと春人は内心で自嘲する。  春人は大きく息をはいて、恥ずかしがっていた自分を吹き飛ばす。  そして、長いすから立ち上がり、未だ落ち着かない冬華へ春人は平生を装って声をかける。 「それじゃ、映画館に行こうか。上映までまだ少し時間があるから、ポップコーンとか必要なもの買っておこう」 「そうですね、そうしましょう」 ――――  熱狂的なショッピングモールと違い、憩いの場である喫茶店は落ち着き、羽休めに来た人であふれていた。  店内に流れる今どきの曲も、狙ったようにゆったりとした曲で、人の気分をより落ち着かせにきている。  そんな喫茶店の通路側、歩く人がガラス向こうに見える席に春人と冬華は座る。  互いに口を交わさず黙っているのは、ケンカをしたからではない。  春人は、胸の苦しみに耐えることで精一杯になっているからだ。  好きだった人に思いを告げられず、主人公だけが生きて、夕日の沈む丘で慟哭する。切ない恋の物語は、今も春人の胸を苦しめる。  けれど、春人の胸を苦しめるのは、それだけではない。  映画を見て、より勢いづいた恋心がもう一つの原因だ。果たせと、叶えろと、力強く春人の背中を押す。反面、道徳や良心はひどく反発して、春人の足をつかんで離さない。 「どうかしましたか?」 「ん? どうして?」 「いえ、何だか物憂げな様子だったので」 「そっか、でも大丈夫。少し映画を思い出してただけだから」 「そうでしたか。あの、悲恋ではない方がよかったでしょうか?」 「そんなことないよ。すごくよかった」  春人が笑顔で答えれば、冬華はホッとした様子をうかべる。  「今日はつきあって......」冬華はそこまで言って止まると、何事もなかったように言い換える。 「今日は一緒に見ていただいてありがとうございました」  冬華はお礼を口にして満足げだ。一方春人はというと、冬華のお礼よりも、言い換えた理由に口角が上がっていた。  冬華は意識している。映画を見る前、カップル割引を聞かされたことも相まって過剰なほどに。現に「つきあって」すら言うのをやめるほどだ。 「意識した?」  春人のいたずらな質問に冬華は笑うも、穏やか笑顔ではない。笑顔の裏から怒りがたちこめて、春人にもハッキリと分かる。 「してませんよ。からかうのはやめてもらえますか?」 「す、すみません」  冬華のまくし立てるような口調は初めてで、春人はたまらず素直に謝る。  ちょっとしたイタズラ心のはずが、良からぬことになった。春人は軽率な行動を悔やみ、肩をすぼめてカフェオレを飲む。  冬華は、そんな春人とは対照的に、姿勢よくコーヒーを口にする。そして、春人に気を使ってくれたのか、映画の話題を振ってくれた。 「やっぱりラストは胸が苦しくなりますよね」 「うん。しかも最後が出会いの場所ってのも感動した」 「分かります。小説で見るのと違って、映画は映画で違った感動がありました」 「そうなんだ。俺は映画だけだから、違いってのは分からないかな」 「なら、小説を読みますか? お貸ししますよ?」  冬華の笑った顔には、小悪魔が宿っていた。春人が読書を苦手とすることを知ってるうえで、あえて言っているのだろう。  きっとこれは、冬華なりの仕返しだ。春人はそうとしか思えず、ひきつった顔で笑い、手のひらを押し出してお断りをする。 「大丈夫です」 「そうですか。小説なら、伏線がより分かりやすく描かれているのですが……」 「伏線? どこにあったの?」 「57ページです」 「映画の方で教えて!」 「嫌です。教えません。からかった罰です」 「からかったことは本当にごめん! だから教えて?」  春人が両手を合わせて陳謝しても、冬華は聞く耳を持ってくれない。「嫌です」の一点張りで、春人が何をしても無駄そうだ。  冬華にしてみれば、これも仕返しの続きなのだろう。だが、春人にしてみれば、かけがえのない記憶を思い起こさせる要因だ。  冬華の意地悪な笑顔にちょっとした仕返しは、小学の冬華に重なる。小学生だった冬華も、こんな顔で春人をからかってきた。  冬華にからかわれて、春人が怒って、夏海が仲裁に入ってくる。ずっと続いて欲しかった春人の日常。  春人は全てに目を閉じて、今はこのひとときに身を委ねることにした。
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