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満月は西に傾いている。あと数時間で夜が明けるだろう。結局、僕にはここに居る資格なんてどこにも無かったのだ。目を閉じて深く深呼吸をする。もう一度満月を眺めて自分の心に決意をする。ここを去ろう。母さん、僕は行くよ。
爪を立てて恐る恐る木にしがみついて、ゆっくり、ゆっくりと後ろ足から木を降りる。数十分掛けて木の根元に到着すると、思い切って木から離れる。着地に失敗して尻餅をついてしまった。
ひんやりとして冷たい地面の感触を確かめる。土はしっとりとして、草は柔らかく、石は固い。いつも木の上から見下ろしていた地面は僕を受け入れてくれたようだ。
その時、木の上から叫び声が聞こえた。弟の声だ。その声は木々に反射して辺りに響き渡っている。叫んでいるのは僕の名前だ。
すまない、僕はもう木の上で生きていくことは出来ない。頭は悪く、木登りは下手で、喧嘩も弱い。父さんの子供でありながら才能が無かったのだ。悔しい。悔しいけれど、もう元には戻れそうもない。
弟に別れを告げるように僕は弟の名前を叫んだ。すると、ふっと前足が地面から離れた。よろけそうになるところを思わず、尻尾を使ってバランスを取る。背中は丸まっているが後ろ足だけで僕は地面に立っている。
地面から離れた前足をじっと眺めてみる。そうか、これからは後ろ足だけで移動をするんだ。前足はもう足じゃない。そう気付いた時、さっきまで僕の名前を呼んでいた弟の声は「キー、キー」と叫ぶやかましい声になっていた。
もう僕は彼らと同じ生き物じゃない。木に登ることも無く、地面に立ち、二本の足で歩くんだ。
さあ、どこへ行こう。ゆっくりとだが、きっとどこへでも行ける。いや、行くんだ。
小さな一歩を踏み出した時、月は沈み、東の空が明るくなろうとしていた。
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