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その日は突然訪れた。父さんが跡継ぎを発表すると言い出したのだ。発表の日は次の満月の夜だ。あまりに異例の事なので一族に衝撃が走った。
通常、跡継ぎの発表は当主が亡くなるときに行われてきた。しかし、父さんはまだそんな年齢ではない。父さんが僕を一族から追い出そうとしているのは誰の目にも明らかだった。
遠くから僕を見る周囲の目は増々哀れんでいた。しかし、特別悲しくは無かった。いつかそんな日が来ると思っていたし、今のまま一族にいたところで一人ぼっちには変わりなかった。
もしかしたらこれは父さんからの最後の優しさなのかもしれないと感じた。堂々と一族を去ることが出来る。やっと楽になれる、そう信じ込むことで気持ちは晴れ渡っていた。
数日後、遂に満月の夜がやって来た。東の空に浮かぶその満月はとても大きく、模様もはっきり見えた。ここで見る満月も最後かもしれない。名残惜しい気持ちを抑えて僕は父さんのもとへ向かった。
父さんのもとには既に一族のみんなは集まり、僕が最後だった。弟は最前列、つまり父さんの目の前だ。大きな体は遠くから見ても目立っている。父さんは僕の姿を確認すると目を大きく見開き僕を睨みつけた。
「遅い」
そう言いたげな目だ。それだけ力が入っている。
父さんは一度目を瞑り深く深呼吸をした。気持ちを落ち着かせてからゆっくりと目を開き、一族のみんなを眺めてから口を開いた。
父さんはみんなに集まってくれたことに感謝の言葉を述べて、当主になってから今日までの思い出話を始め、そして今日まで自分を支えてくれた事への感謝の言葉を述べた。一同から大きな拍手が起こった。
「最後に」
そう口にした瞬間、一同の身体がぴくっと反応する。
「跡継ぎを発表する」
一同は無言のまま固唾を飲んで動かない。
僕は思わず自分の左胸を触った。心臓の鼓動が体験したことが無いくらいに速くなっている。喉は乾き、鼻息は荒い。そうか、僕は心の片隅で自分の名前が呼ばれることに期待しているんだ。跡取りは弟じゃない、僕なんだ。僕はここに居たいんだ。父さん、僕の名前を呼んでくれ。呼ぶんだ。心の中で必死に叫んでいた。
父さんの口から出たのは弟の名前だった。当然と言いたいように堂々とした声だった。僕の心の叫びはみんなの歓声と拍手によって虚しくかき消された。
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