caffeine 4 最終回

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caffeine 4 最終回

4 やっとの思いで縛り付けられた停学処分と施設の厳しい罰から逃れて涼の家に走った。 だけど…玄関にくっ付いた郵便受けは入りきらない郵便物をダラダラと吐き出していて、 家の主人が戻って居ない事なんか一目瞭然だった。俺は雨晒しにされたふやけてボコボコした封筒を引き抜くとそれを握り潰してから、通路に叩きつけた。 学校に向かえば何か分かるかと思った。足早に歩く俺とすれ違った男が声を掛けてきた。学校で挨拶をする程度だった仲のクラスメイト、五十嵐悟(いがらし さとる)だ。 「よぉ…大丈夫か?」 俺は学校の外で声を掛けて貰えると思わなかっただけに少し驚いていた。 「ぁ…うん…あの…さ…」 「鳴海か?」 五十嵐は意外にも頭のキレる奴で、口籠る俺の質問を先に汲み取っていた。いや…それだけ俺と涼の事は噂になっているのかもしれない…。 「家に帰ってないみたいで」 「あぁ…学校も来てねぇからな…入院してるってきいたぜ。理由は噂だからよく分からないけど、黒崎達が絡んでるって…アイツ、ここらの暴走族とかとつるんでるらしくて…リンチされたんじゃないかって…噂だけどな」 俺は口から心臓が出るんじゃないかと思った。もの凄い吐き気と悪寒。 五十嵐の両肩を掴んで揺らした。 「五十嵐っ!病院っ!どこか分かるかっ?!」 ガクガクと揺さぶられる五十嵐は俺に言った。 「隣り町の済生会病院だよ!ここらで1番デカいからな…なぁ…おまえさぁ…もう黒崎に構うなよ…アイツ…ヤバい。鳴海…見つかった時、死にかけだったって、あっ!!おいっ!!鈴野っ!!」 五十嵐の忠告は痛い程良く伝わった。 黒崎は驚くほど力がなく弱かった。手応えなんてなかった。だけど、周りからあんなに恐れられてるのは、バックがいかにヤバいかを鮮明にしていた。 俺はしくじったんだ。 涼を守るつもりで…涼に地獄を見せた。 走る足が縺れて前に進んでいる気がしなかった。 景色が一定で焦りばかりが募って、胸が苦しくて頭がパニックだった。 病院に駆け込んで、病室のネームプレートを探し回った。 個室になった部屋に鳴海涼の文字。 肩で息を吐き、両の手のひらを膝に押し当て呼吸を整えた。 個室である意味に、俺は今にも崩れ落ちそうな恐怖さえ感じていた。 ただの怪我なら…大部屋で構わないはずだったからだ。 手の甲で小さくノックする。返事はなかった。 俺はゆっくり引き戸をスライドさせる。 ベッドの周りにはクリーム色のカーテンが張られていて、中に薄い影を見た。その影だけで…俺は愛しくて堪らない気持ちになる。 ゆっくり近づいて、早鐘を打つ胸を握りしめた。 カーテンに手を掛けると…ベッドに腰掛けて大きな窓の外を見つめる涼の細く華奢な背中があった。 「涼…」 ゆっくり振り返る涼は、顔面に紫色の痣と切り傷を付けていた。 病院の入院着から見える白い首筋には…付けた覚えのない内出血の跡が幾つもあった。 明らかに…キスマークの類いで…俺はどうして涼が個室に居るのかを…すぐに理解した。 …レイプされたんだ…。 「りょ…涼…」 涼はニッコリ笑った。まるで生気がない。 「晴弥…」 力なく細い声…食べていないのがすぐに分かるくらい痩せている。 歩みよって、ゆっくり正面に回った。 合わせられた入院着の襟元にそっと手を掛ける。 カタカタと小刻みに震える涼。  開いた先に見た胸元は、ナイフか何かでの切り傷と、幾つもの痣…暴れたせいで擦り切れた傷が幾つも重なっている。 手首には紫色を通り越したどす黒い縛られた跡がくっきりと残っていた。 「ごめ…ん…俺がっ…」 俺は跪いてベッドの縁に腰掛ける涼の膝に手をついた。 ふわっと髪を撫でられる。 「晴弥…俺が…好き?」 「りょ…涼っ!!好きだよっ!好きだよっ!おまえがっ…ぅゔっ!なんっで!なんでこんなっ!!」 「良かった…晴弥に…嫌われるんじゃ…ないかって…ずっと怖かった…良かったぁ…」 涼の声は涙で濡れて、力がまるで無くて、俺はただそれが怖かった。 いつか居なくなるんじゃないかなんて思っていた儚さを思い出す。 涼はほんの少しの事に幸せを感じて、満足したように微笑んで涙を指先で拭ってくれる。 俺の髪を愛しそうに撫でて…小さく首を傾げて優しく笑うんだ。 こんな酷い事をされたのに…俺が好きだって言いながら…。 涙はいつまでも止まらなかった。 立ち上がって、涼の身体を抱きしめた。 頰に手を掛けて口づけたら、まだ少し身体が震えていて、俺はどうしていいのか分からなくなった。 離れた唇のかわりに、指先を当ててゆっくり撫でる。 そうしたら、涼が静かに泣き出して俺に言った。 「晴弥…キスして…もっと…もっと…ちゃん…とっ…」 心が…壊れそうだった。 震えながら、泣きながら訴える。 上書きを望んでいる。苦しんでる…。 俺は震える身体を優しく引き寄せて…唇を重ねた。 何度も、何度も…優しく、深く時間の流れを巻き戻したくて、全部洗い流せやしないかと、祈るみたいにして…涼にキスをした。 涼と並んでベッドに座る。 頭を肩に寝かせて、肩を抱き寄せていた。 目の前の大きな窓からは街が一望出来て…どんどん陽が落ちるのを二人でただ…見つめていた。 「面会時間…終わっちゃうな…明日も来るから。退院したら一緒に暮らそう。もう、一人にしないから。…ずっと一緒に居よう…学校も…辞めて構わない。俺、働くから!だから…」 「フフ…晴弥、めちゃくちゃ成績良いんだから勿体ない事言うなよ…学校は出なきゃダメ。ずっと…一緒に居ようって言ってくれて…ありがとう。嬉しい。晴弥…好きだよ。晴弥に嫌われたくない。大好きだよ…晴弥…俺の事…」 「好きだよ!…大好きだよ!」 「俺、それが聞けて、本当に良かった。俺さぁ…要らない人間じゃ…なかったよね」 涼のバランスが悪い会話を俺は酷く不安に感じていた。 何度も何度も同じような会話を繰り返している事に、気付いているのか分からなかった。 精神的に壊れてしまった部分が、俺に向かって牙を剥いていたんだ。 ボンヤリした目は、薄いブラウンの光を鈍くして、焦点が定まっては揺らぎを繰り返す。 舞い散る桜の花弁を見上げる横顔を思い出す。 おまえはあの頃から…まるでこっちに居ないみたいだった。 だから俺はいつも不安で、いつも過剰におまえの存在を確認していた。 面会時間が終わる事を告げに来た看護師に、頭を下げて涼を頼んだ。 どうにもならない不安を引き摺りながら、涼の手を握ると、また…泣いてるように笑うから、口づけて病室を後にした。後ろ髪を引かれる思いってのは…こういう事を言うに違いない。涼に最後に触れた舌先が…甘くて苦しい。 黒崎達への怒りは恐ろしいまでに膨れ上がった。だけど五十嵐の言葉を思い出しては、それを鎮めた。何の解決にもならない事を俺は知っていたんだ。 "アイツはヤバい" 確かにそうなんだろう。でも、そんな事はどうだって良かった。俺に何が起こったところで、構わなかった。ただこれ以上、涼に何かが起こる事だけは考えられなかった。 翌日の早朝、施設に五十嵐が来た。 五十嵐は施設の建物をキョロキョロ見渡して呟いた。 「俺、こういうところ来んの初めてだわ」 俺はクスッと笑った。 「こういうところ…ね」 「ぁ…悪い…そんなつもりじゃ…」 「良いって…俺、今から病院行くつもりだから学校行かないけど…こんな朝早くからどうしたんだよ」 「ぁ…それな、俺んち、お袋があの病院で看護師してんだよ。昨日夜勤だったお袋からさっき連絡あって…」 俯く五十嵐。 俺は何故だか全身に鳥肌が立って、低い声で催促していた。 「何だよ…勿体つけんなよ」 「……鳴海が…自殺したって…」 鳴海が… 自殺した… 風の強い…朝だった。 五十嵐の言葉が、聞き間違いなら良いって、アハッて…俯きながら笑いが溢れた。 「鈴野…」 「何だよ…んなわけ…んだよ…」 「す、鈴野っ…」 「そんなわけ無いっつってんだろ!!一緒に暮らすって!退院したら!そう言ったんだよっ!!ずっとっ!!ずっと一緒に居るってっ!!」 「鈴野っっ!」 五十嵐の肩にしがみ付いて膝から崩れ落ちる。 「そんな…わけ…ないんだよぉ…ちゃんと…ちゃんと…好きだって…言っただろ…ぅ…ぅゔっくっ…ぅ…うわぁぁあぁーーーっっつ!!!」 頭がおかしくなったんだと思った。 湧き上がる恐怖と絶望と喪失が俺を火で炙るみたいに苦しくて、我を失う瞬間をスローモーションのように一番苦しむ方法で長い時間感じていた。 叫び狂って、暴れて、施設の職員と五十嵐に羽交い締めにされて、プツリと記憶が無くなった。 涼が 死んだ。 俺が意識を取り戻したのは涼の告別式の日だった。 五十嵐が病室に迎えに来て、俺達は会場の前まで足を運んだけれど、中には入れなかった。 家族という嘘を身に纏った遺影を抱えた女性が一瞬道のこちら側に居る俺を見た気がした。 何の感情も湧かなかった。 涼を必要としなかった人間に、興味がなかった。 高校二年の夏… 俺の大切な人が…居なくなった。 五十嵐のお袋さんが、涼が入院していた部屋のシーツの下から俺への手紙を見つけたと五十嵐から連絡が入った。 渡すから学校に来いと、告別式以来休みっぱなしの俺を学校へ呼び出した。 五十嵐は何故か屋上が開いている事を知っていて、俺をそこへ呼びつけたんだ。 ギィっと鉄の扉を押し開いたら、タンクの影で五十嵐が寝転んでいた。 俺に気付いて上半身を起こす。 「オセぇよ!熱中症になんだろ!」 俺は黙って五十嵐に近づいて手を出した。 「封筒…入って無かったからさ…文見えちゃって…悪い…ここの鍵開いてんの知ったのもそれ読んだからなんだ。」 大学ノートを雑に引きちぎった二つ折りの紙を手渡された。 五十嵐の横にドサっと力なく座り込んで紙を開く。 "晴弥へ 俺と初めて喋ったの、覚えてる?鍵の開いた屋上。好きなモノが一緒で…嬉しかったな。 俺、全部覚えてるよ。晴弥が言ってくれた事、してくれた事…。晴弥は、俺を必要としてくれた。晴弥…俺が好き?俺は晴弥が大好きだよ。だから、この身体を許せない。晴弥がこの汚い身体に触るのも…もう許せないよ。この先晴弥と…一緒に居られない。 俺、弱いね。ごめんね。あと、お願いを聞いて欲しいんだ。 俺の事…忘れてね。晴弥がちゃんと生きて行くためだよ。 晴弥は誰かを幸せに出来る人だから、その人の為に生きて。約束ね。破ったら俺、晴弥の事、嫌いになるからね。 晴弥、ありがとう。バイバイ" 身勝手なばかりの…たった数行の手紙で… 身勝手なばかりの…約束なんかさせて 「鈴野…大丈夫か…」 「ぅ…ぅゔ…」 五十嵐がソッと俺の肩を抱いた。 「そんな手紙…泣かないわけ…ないじゃんかよ」 五十嵐の声は優しくて、俺の背中を何度もさすってくれた。 嗚咽を殺して泣く俺をおまえはどこかから見ているだろうか。 こんなにも苦しい俺を…おまえは…。 風がビュウビュウ音を立てて、俺の啜り泣く声は消える。 忘れて 生きて バイバイだなんて…。 その日から、五十嵐は俺の側に居るようになった。 もちろん友達としてだ。俺からすれば涼が押し付けた見張り番のようにも感じていた。 俺が変な気を起こさないようにと。 俺はあれから、死んだように生きている。 特に笑いもしないし、泣きもしない。 何度も涼を追いかける事を考えた。 その度に、絶妙なタイミングで五十嵐が現れ邪魔をした。 する事も無く、勉強ばかりしていたら、いつの間にか成績はトップで、推薦で大学も決まっていた。 高校三年を、まるで海底にいるように過ごした。 俺はまだ…涼を忘れていない。 そして、誰も…幸せに出来て居ない。 涼は俺を買いかぶっていて、このままじゃ約束さえ破りかねない始末だった。 最後に涼の口の中に入った舌先に戒めのようにピアスを開けた。 涼を忘れたくなくて、他の誰も幸せにしたくなくて…でも…約束を破って、嫌われたくなくて…おまえに触れた最後の身体の一部を痛めつければ、そのどちらもが叶うような気になったんだ。 そんな無駄な事ばかりを積み重ねて…大学の入学式がやってきた。 広い体育館。 壇上の入学式の文字。 スーツの学生の山。 用意されたパイプ椅子の列。 沢山の人が行き来して自分の席に腰掛けて行く。俺の隣りの席はいつまでも空いていて、どうしてだか妙に気になった。広いから迷っているんだろうか…。 パイプ椅子が並ぶ会場。ここの場所はほぼ真ん中に近かった。お偉い人達が会場の前列にどっしり腰を下ろし始める。このままでは式が始まってしまうぞと少し背筋を伸ばして辺りを見渡した。 パイプ椅子が並ぶ1番端の方から小柄なスーツ姿の男がペコペコ頭を下げ、人の膝を跨ぎながらこっちに近づいてくる。 「ごめんなさい!…すみませんっ!…ごめんなさい!」 俺は少しずつ近づいてくるその男の顔を見て、全身がガチガチに固まっていった。ようやく最後の一人の膝を跨いで、空席になっていた俺の隣りに溜息を吐きながら座り込む。 チラッとその姿、顔を盗み見ては頭を小さく左右に振ってブツブツと呟いた。盛大に遅れてきた男より、俺の方が相当危ない奴に映ったに違いない。 隣りに座った人影に…息が出来なくなる程驚いて、俺は何度も何度も太ももをつねった。 夢を見てる。じゃなきゃ、幻覚か妄想だ。 もうファンタジーの世界なんじゃないかと、目をキツく閉じては隣りを覗いた。 頭が遂におかしくなったと思った。 動揺し過ぎて手にしていた冊子を落とした俺は、慌ててそれを拾おうと手を伸ばした。 隣りに座っていた男もその冊子に手を伸ばしてゴチンと頭同士がぶつかった。 「ごめんっ!イタタ…拾おうとしたけど邪魔しちゃったね」 「いっいや…あ…ありがとう…あのっ!」 「ん?長いね、おじさん達の話」 クスクス笑う仕草…透き通るようなブラウンの瞳。白い肌…。 「うん…長い…」 自分が何を喋っているのか、分からなかった。 「あのっ!」 俺はもう一度声を掛けた。 「な、名前…」 「…お、俺?…い、井口。井口白(いぐち はく)って言います。…クラス同じみたいだね。宜しくね」 鳴海…じゃない…。 やっと、息をしたと思った。強張っていた肩の力が一気に抜ける。 「鈴野…晴弥です。宜しく」 俺は力なく挨拶した。 井口…白…。 俺の隣りに座ってそう名乗る男は、一卵性双生児を疑う程、涼にソックリだった。 顔だけじゃない。 背丈も、声も、笑い方だって似てる… まだ…膝が震えていた。 生きてるのかと思うほど…俺は…何度も隣りを盗み見た。   涼を忘れるなんて出来ない。 誰かを幸せにする為に生きて行くなんて出来ない!! でも、勝手に交わされた約束を破って、おまえに嫌われるなんて、もっと出来ない!! だったら俺は…どうすればいい? まるで、隣りに答えが用意されてるようだった。 おまえにそっくりな別人…別人だけど…おまえにそっくりな男。 俺が幸せに出来るなら…おまえは俺を… 嫌いにならないか? 俺を…許してくれるのか? もう…別人だと分かっても遅かったのかも知れない。 涼が居なくなった一年を俺は死んだように生きながらえて…こうして…動くおまえに…また会えた気になってる。取り戻したような気になってる。 涼が帰ってきたんだって…頭の中が混乱しながら、高揚している。 涼じゃない。涼じゃない…。だけど…こんな寂しさには…もう耐えられそうもない。 入学式が終わり、学生の群れが外へ流れ出す。 桜の木が幾つも並んでいて、皆んなそこで写真を撮ってはしゃいでる。 俺が追った視線の先…。 風が強くて、まだ少し肌寒かった。その風で、建物の周りを囲う桜の花弁が沢山舞い散っている。 桜の木の下で、散ってくる花弁を見上げる一人の男が居た。さっきまで俺の隣りに座っていた男だ。その横顔が綺麗で、暫く眺めていたんだよ。 まるで…そう… あの時と…同じように。
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