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高校の入学式には…一人で行った。
風が強くて、まだ少し肌寒かった。その風で、校舎の周りを囲う桜の花弁が沢山舞い散っていたのを覚えている。
桜の木の下で、散ってくる花弁を見上げる一人の男が居た。その横顔が綺麗で、暫く眺めていたんだ。
その時、おまえに出逢わなければ…俺はまだ…少しくらい笑えたんだろうか。
教室に入って辺りを見渡した。視線の先に間違いなくさっき校庭で見惚れた奴がいる事に気がついた。
背が低くて線の細い華奢な体型。色が白くて、少し癖がある黒髪。
まるで観察してる俺に気付いたみたいなタイミングで、ソイツはゆっくり俺に振り返った。
斜め前の席からゆっくりこっちを向いた瞳の色は透き通るような薄いブラウンをしていて、目が合った瞬間にハッとしたのを忘れない。何も無かったようにして、その視線は直ぐに外された。
自分でも驚いていた。
親に捨てられて施設で育ったせいか他人に興味が持てない。そんな俺が共学の高校で、男のおまえを目で追うようになったんだから。
初めて口を聞いたのは体育の授業の前だった。
更衣室に遅れて入った俺は、おまえがロッカーに向かって立ち尽くしているのを不思議に思って声を掛けたんだ。
「授業…始まるけど…」
ゆっくり振り返ったおまえは相変わらず綺麗なブラウンの透き通る瞳を細めて苦笑いすると言った。
「体操服…忘れちゃった」
どうしてだか…このまま何とか会話を続けられないもんかと、俺はおまえの手を取って更衣室を出た。
「ちょっ!あのっ!待ってよ!どこ行くの?」
俺は答えないまま屋上に続く階段をズンズン進んだ。
最後の踊り場を抜けた先には立ち入り禁止のテープが貼ってあって、ロープがかかってる。
俺はそれを跨いで最後の階段を、手を引き寄せながら上がった。
鉄の重い扉を開いたら、晴れ渡った空が近い屋上に出た。
「うそっ!鍵開いてんの?」
「正確には壊れてるらしいな。こないだ見つけたんだ。ああやってバリケードしてあるから誰も来ないんだよ」
俺はコンクリートの段差部分になってるタンクの後ろに腰を下ろしながらそう言った。
隣りに躊躇しながら座るおまえは、俺を覗き込み、名前を名乗りながら白い手を差し出した。男のくせに細くて華奢な指をしている。
「俺、鳴海涼(なるみ りょう)。涼でいいよ、宜しく」
俺はその手をそっと握って、名乗り返した。
「俺、鈴野晴弥(すずの せいや)。宜しく」
「晴弥…って呼んでいい?」
思ってたより懐っこくて俺は押されるように頷いていた。犬や猫みたいに口角がキュッと上がっていて…可愛く思った。
「晴弥って凄く大人っぽいよね。背も高いし…顔も整ってるから、ちょっと話しかけ難かったんだ。あ、でもホラ…八重歯…可愛いね!」
涼は指先で自分の歯を指差しながら小さく首を傾けて微笑んだ。
「可愛い?フフ…話しかけ難いかなぁ…まぁ…色々興味ないだけだよ…」
苦笑いしながら小さく呟いていた。
涼は意外にも良く喋った。ずっと見てる時は大人しそうに見えていたからだ。特に特定の誰かと一緒に行動しているという事も無く、いつ見ても大体は一人きりだった。
「涼だって…割と一人でいるじゃん。こんなに喋る奴だとは思わなかったよ。」
頭の後ろで腕を組んでゴロンと寝込びながら話すと、涼は柔らかな声でクスクス笑った。
「あぁ、確かに…俺も一緒かなぁ。あんまり周りに…興味ないのかも」
軽く俯き猫背気味になる背中をジッと見つめた。
言葉の中の本心みたいなモノは読み取れなかった。ただ、切なさを孕んだ言い方が気になって仕方なかったのは事実だ。
俺たちはその後、下らない話ばかりしていた気がする。
好きなアーティストや、好きな本、映画、食べ物なんかの趣味嗜好が随分似通っていて、俺は静かな喜びを感じていた。どうしてだか…嬉しかったんだ。
チャイムが鳴り響いて、身体を起こすと、涼は入学式の日と同じようにして、そこに桜の花弁こそなかったけど、晴れ渡った空をボンヤリ仰ぎ見つめていた。
横顔がやっぱり綺麗で…俺は暫くジッとそれを見つめていた。
涼がそれに気付いて、少し顔を赤らめて何見てんだよって照れるから…。
俺は受け流すようにサラっと呟いていた。
「だって…綺麗だから」
心からの本音だった。だけど、それがこんなに自然と口を突いて出た事には自分でも驚いていた。
コンクリートから立ち上がってケツを叩く。
扉まで歩いて、後ろを振り返ったら真っ赤になった涼が俯いていた。
俺はそれが堪らなく可愛く感じて、手を差し出した。
「行くぞ、ほら」
涼は慌てて俺の手を取った。白くて細い指は思ったより冷たかった。握り合ったまま…バリケードを越えて、そこでお互い重なった手を解いた。
繋いでいた手をズボンのポケットに入れて歩きながら、ザワザワする心に少し戸惑っていた。
まだ休み時間で、体育をサボった俺達はまばらにしか教室に戻って居ない生徒に混じって席に着いた。
俺達は、その日を境に行動を共にするようになった。
他人に興味の無い二人が、驚くほどお互いに執着し始めるまで、時間はかからなかった。
涼の家は親が離婚していて、そのどちらもが再婚して新しい家庭を持っているらしい。涼はどちらに引き取られるでも無く、安アパートを与えられて一人暮らしをしていた。自分では、捨てられたんだよと吐き捨てるように呟いた。
時折ポストに現金が入っていて、それで生活していると自嘲気味た笑みを浮かべていた。
俺も似たようなものだったから、何となく涼の気持ちは分かる気がした。物心付く前に施設に捨てられた俺と、物心付いてから捨てられた涼。どちらにしても、それは俺達にとって幸せな境遇とは程遠い話だった。
俺も早く施設を出たかったが、金を貯めて高校を出たら一人で暮らそうと決めていた。施設は賑やかで、いざこざもあったけれど、騒がしい環境で寂しさを感じている暇は無かった。
そう考えてみたら、俺の方がまだマシだったんだろうか。
涼は、いつも帰れば誰も居ない部屋に一人きり。寂しさは…きっと計り知れなかっただろう。
俺はどんどん涼に心酔していった。
途中まではこの想いは単に美しいモノへの興味なんだと信じていた。
だけど…いつの頃からか、俺は涼の事を完全に異性を想うそれと同じ感情で見ていることに気付いた。
柔らかな髪に触れたい。
透き通るブラウンの瞳を見つめたい。
白い肌に俺の手を重ねたい…。
邪な感情は簡単に増幅していき、俺を苦しめた。
ある日の放課後。
俺は日直で先生に扱き使われて明日のプリントの山を教室に運ぶ途中だった。
廊下の角を曲がった渡り廊下の隅で、涼が女の子と向かい合い立っていた。
俺は何故だか壁に隠れて…その様子を覗いていた。
手にしていた大量のプリントが指の関節に食い込んで痛かった。
だけど…聞こえて来る会話は、もっと俺の心を痛めて…動揺させた。
「あのっ!私、ずっと鳴海君の事好きでした!良かったら…付き合ってくれない?」
俺は今…何を盗み聞いているんだろう…。
ドクドクと脈打つ血の流れがまるでハッキリ分かるかのように、緊張していた。
「…ごめんね。俺、好きな奴いるんだ」
涼の返事が鼓膜を突き刺す。
立っていた膝が震えて、手にした重いプリントが鉛のように感じて、壁を伝ってズルズルとヘタリ込んでしまう。
胸に抱えたプリントの山が胸の振動でカサカサ震えた。
こんなに毎日側にいる俺は…涼に好きな女の子が居る事を知らなかった。
気づかなかった。いや…気づく筈がない。俺は…涼が好きで、ただ毎日それしか考えていなかったからだ。
泣きながら走り去る女の子同様に、俺も泣いてしまいたかった。
こんな偶然に遭遇したくなかった。
まさか、間接的に失恋するだなんて、心の準備が出来ていない。
俺は抱えたプリントに額を押し当てて溜息を吐き出した。
「マジかよ…」
呟きには誰でも良いから否定して欲しかったんだ。そんな事は、叶うはずも無いんだけど、願わずにはいられなかった。
涙がこみ上げて、頬を伝う。
泣くなんて久しぶりで、自分でも驚いた。
俺は、いつの間にか引き返せないくらい…涼の事を好きになっていたんだ。
ヨタヨタと立ち上がって、涙でボヤけた視界のまま廊下を歩く。
教室に着いて教卓にプリントを置いた。
両手の指の関節が真っ赤になっていた。血流が止まっていた指先に血が流れ始めたせいか、ジンジンと痺れた。
その両の手の平にパタパタと涙が落ちる。
グラウンドの部活動をしている生徒たちの声が響いていた。まるで別世界の音みたいに…。
夕暮れ時で、教室がオレンジに染まっていく。
ガタンと入り口の扉の音がして、振り返ったら、涼がそのオレンジに染まった中で立っていた。
涙を流す俺に驚いている。
「晴弥…どうしたの?」
駆け寄ってくる涼。
俺はその華奢な身体を…抱き寄せていた。
「せっ!晴弥っ?」
ビックリした声を出す涼に我に返った…はずだった。
離せばいい両腕を離せないまま、細い腰を引き寄せた。
頭一個分低い涼の耳元に唇を寄せて…呟いていた。こういう時、人というのは、自虐的になるもんなんだと悟った。わざわざ自分から仕掛けに行くなんて…俺もとんだマゾだ。
「涼…好きな人、居るの?」
涼は両手で俺の胸元を軽く押して少し身体を離すと、俺をジッと見上げた。
透き通るブラウンの瞳は真っ直ぐ輝いて、オレンジの夕陽とのグラデーションが恐ろしく綺麗だった。
そして、言ったんだ…ハッキリと鮮明に。
「…居るよ。好きな奴…」
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