2.misterioso/ミステリオッソ

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「では、よろしくお願いいたします!」 「はぁい! お疲れさまでした~」  多忙な日ほど時間の進みが光のように感じるのは人間の(さが)なのだろうか。あっという間にシフト交代の時間となった。この時間までの販売予定数から大幅に伸びた個数を売り上げた杏香と上野は、充実感と適度な疲労感に包まれたままふたりで隣り合って歩きバックヤードへと向かった。 「クリスマスもまたこんな風に衣装支給されるかなぁ? それも楽しみだなぁ」 「初めは恥ずかしかったですけど、なんというか『別人』になったみたいで楽しかったですねぇ」 「だよね~!? コスプレイヤーさんの気持ちが少しわかった気がする~」  ネコ耳のカチューシャを外しながら声を弾ませた上野は楽しげにロッカーを開いた。杏香も微笑んだまま自分のロッカーを開き、通勤服に着替えていく。 「お先しますね。お疲れさまでした~」 「うん! お疲れ~!」  早番だったふたりの今日の定時は17時。一足先に着替え終わった杏香が中央に設置してある長椅子に腰掛けている上野に小さくお辞儀すると、上野はひらりと手をあげた。スマートフォンを操作している彼女は、夏の花火大会をきっかけに交際が始まった彼氏と連絡を取っているのだろう。学生時代、音楽で身を立てたいと努力を重ね、色恋にあまり触れてこなかった杏香は幸せそうな上野の横顔に羨望の眼差しを送りながらそっと退勤した。  明るい電灯が煌々と照らす共用廊下を足早に歩く。水色の大きな鉄製扉を押し開けば、茜色の光が杏香の顔を照らした。ハロウィンらしく、このモール正面の広場、ベイストリートもコスプレをする人たちで溢れている。  人混みを縫うように歩き、バス停にたどり着いた杏香はスマートフォンに繋げたイヤホンを耳につけ、『ハーフェン』の動画を見ようとアプリを立ち上げた。その瞬間。 「ねぇ、おねーさん。一人?」 「えっ……」  杏香の隣には男性が一人立っていた。音楽の道を諦めることとなってしまった要因である突発性難聴を患った右耳の聴力が低い杏香は、投げかけられた声を咄嗟に聞き取ることが出来ず、その場で硬直してしまった。声をかけてきたその人物からはアルコールのにおいが強く漂ってきている。そのにおいに杏香は僅かに眉を顰めると、目の前の男性の背後から別の男性が顔を出した。 「ショウタ、この子びっくりしてんじゃん」 「こーゆー時はもうちょいソフトに行けって~」  突然の出来事に戸惑い困惑していた杏香は、あっという間に数名の男性グループに囲まれてしまった。目の前の彼らは、日本の長寿アニメに登場する赤いジャケット姿に青いシャツと黄色のネクタイをしたコスプレだったり、ハリウッドの海賊映画に出てくるような赤いバンダナに胸元まで開けた白シャツを身に纏ったコスプレをしている。ハロウィンというイベントに乗じて羽目を外しに来た人物たちなのだろうと察した。
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