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「ねえお兄ちゃん」
「なんだい」
部屋に寄越してもらった火鉢のそばでトウは手ぬぐいで頭を拭いてやった。
「お兄ちゃんはどこに行ってたの? ガム? シナ?」
「え」
潜入したのは第二次大戦後間もない昭和26年。
「父ちゃんはひこうきのりだったんだ」
にっこりと首を反ってトウを見る。いくら若く見えたとしても徴兵されていたと考えるのが当たり前だろう。日焼けもせず、傷ひとつない滑らかな身体に違和感を感じるのは大人だけではないようだ。トウははぐらかすように笑った。
「工場にいたんだよ、身体が弱くてね」
「ふうん」
子どもの興味は移ろいが早い。既につまらなそうに文机上の写真たてに目を写す。白黒の光沢紙の中でキリッとした男性がこちらを向いていた。
「茂雄、まだトウくんのところにいたの?」
母ちゃん、と着せかけの浴衣姿で駆けていく。開けっ放しの襖から明かりが漏れていたのだ。
「すみません長湯してしまって」
「いいえこちらこそ茂雄の面倒を見ていただいて助かります」
「お兄ちゃん、おやすみなさい」
「おやすみ。また明日な」
シヅも「では」と一礼して襖を閉めた。前回の藁に比べて温かい布団に二階の一人部屋。宿泊中は茂雄の面倒や店の手伝いをすることで折り合いがついている。明日も早くから配達の仕事があるため、トウはさっさと眠りについた。
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