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それから少しずつ仕事に慣れてくると、病棟の付き合いやら院外との交流とかで盛んに声がかかるようになった。
別に元々嫌いじゃない。酒の席もふんわりした笑みを向けられるのも。仕事でアドレナリンが上がったまま、或は疲弊した心身を抱えて、良い香りのする温かな存在を口説いたり抱き寄せたりした。そうした関係は一時のとこもあれば、少し長く続くこともあった。大抵の場合は上手くいったから、背が高くて医者であればいいのだろうと適当に思っていた。
「顔だよ、顔。結局御託並べたってそれに尽きんだよ。」
と鎌田が不貞腐れたように言った。
「顔?」
「ああ。」
「腐っても鯛でなく?」
チキショー憐れみかよ、と叫んでテーブルに顔を打ち付けてやがる。
「お前はいいよなあ、とっかえひっかえで。」
「んなことねえよ。お前こそ、この間帰りどうだったよ?」
先週末の合コンで、確かはべられていたような気がする。
「どうもしねえよ。連絡先訊かれて渡していまだにアクションなし。」
「あーそ。」
「なに、その余裕?お前はどうせテイクアウトだったろ?」
「品がねえ。ここ食堂。」
「あらやだ、ほんと品が無い。由良先生、仕事はしっかりやって下さっているので煩くは言いませんが、それでもボスを見習うのもほどほどに。」
頭上から思わぬ声が降ってきて、慌てて見上げれば、関根さんはトレーを持ったままさっさと奥の方に入っていく。何人かが手をあげて合図をしている。
「やっべえ、聞かれてたかな、今の。」
「ああ?」
適当にしか返事をしない俺の視線を辿ったようで、鎌田が素っ頓狂な声をあげる。
「師長軍団じゃん。威圧感ハンパねえ。」
くわばらくわばらなどと前時代がかったことを言っている。その中に確かにいた。小柄だけど背筋が伸びて堂々としたあの人が。あの時の背中が嘘のようだ。
「なあ、消化器内科の上島さんってうちのセンター長と何かあんのか?」
気付けば小声で尋ねていた。随分前に訊き損ねていたことを。
「ああ?」
とだらしなく焼きそばを口の端から垂らしたまま、鎌田がこっちを見上げる。
「食ってからでいいから。」
そう言うと慌てて水で流し込んだ。
「ああ、え、ってかお前知らなかったの?ゆーめーじゃん。」
有名を軽薄に伸ばしたりしている。それでもさすがに内容が内容だけに声をひそめている。
「ゆーめー?」
倣ってやれば嬉しそうに頷く。こいつは案外気がいい。
「おう。七年付き合ってもう院長すら公認だったのに、センター長が浮気かなんかしたらしくて、あっさり破局。でもそれももう三年くらい前の話らしいよ。」
三年前と言えば、丁度山咲さんと一緒に廊下で出会った時だ。その頃から遡って七年と言えば、俺が医局に入る五年も前になる。じゃあ、俺が初めて上島さんに会った時には既に二人は付き合っていたのか。
「センター長もなあ。それで一気にナースたちからくらって、結構長い間働きにくかったって話だぜ。」
「七年か…」
「だろ?それはちょっと俺でもどうかなーって思うよ。だってそれだけ一緒にいられる相手だったら、ふつー結婚だろ?」
大人同士なんだし、とぶつぶつ言っている。やっぱりこいつはいいやつなのだ。
「あ、もしかしてお前も思い当たるふしとかあんの?いやー、マジでありそうだよな。」
前言撤回。
「ねえよ、そんなん。」
それだけ言って味噌汁をすすった。しじみかよ、二日酔いでもないのに。腹立ちまぎれにくだらないことを思う。後はお互い無言で速攻食った。トレーを持って立ち上がった時、もう一度だけその人に視線を向けた。綺麗な横顔だった。勝気そうな瞳、わずかに上を向いた鼻、端の上がった唇。五年前と変わらない、俺を看破した時の。
「今日の出会いを祝して、かんぱーい。」
同期の明るい声が響いた。頼むよ、来てくれよ、俺すげえカッコいいやつ来るって言っちゃったんだよ、と泣きつかれて参加したイタリアン個室での合コン。“すげえカッコいいやつ”に俺が当てはまるのかは疑問だったけど、別に他に用事も無かったから承諾した。それでも、腿の上に早速置かれた手を見てげんなりした。そしてげんなりした自分に驚いた。でも心は止まらない。こんなことを続けていてどうなるんだ。ちょっと甘い声で囁けば途端にしなだれかかられ、この場限りと言って身体を合わせても、結局その後追いかけられてなじられてそして終わる、そんな関係を続けて。始まる前から終わりへの道筋が見えているなんて、もううんざりだ。
「悪い、俺ちょっと用事あって。帰るわ。」
万札をテーブルに置いてさっさと部屋を後にすれば、肩の辺りがものすごく軽く感じられた。丸の内のぼやけた夜空を仰ぎながら息を深く吸うと、冬になり始めの乾いた匂いがした。
「よし、行くか。」
何を気合入れてんだか。自嘲気味に言ったはずが、笑いが止まらなくなった。クックッと笑い続ける俺を気味悪そうに横目で見ながらカップルが通り過ぎた。五年が何だ、俺は行く。もう面と向かえる、いや向かいたいんだ。あの瞳に俺を映したい。ようやっと目の前がクリアになった気がして、訳もなく両手をぐるりと回した。カップルがもう一組、気味悪そうによけながら通り過ぎた。
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