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「上島さん、」
「は?」
「付き合ってみましょうよ、俺たち。」
「正気?」
「本気です。」
「いや、ないわ、やっぱ。」
「瞬殺とか勘弁して下さいよ。」
大人なんだからさすがに思い詰めるほど真剣に、とは言わないけれど、それにしても何なの、このぬるま湯な感じは。仕方ない、諸刃の剣だけれど本丸を突くか。
「だってあんた幾つよ?」
「36ですけど。一月で37。」
「でしょ、私は43、二月で44。」
「早生まれなんですね、一緒だ。」
「いや、そこ?」
「せっかくだから誕生日祝い、一緒にやりましょうよ。」
「や、じゃなくて、」
「はい?あ、やっぱり別々にが良いですかね。いつですか?」
「え、何が?」
「上島さんの誕生日。」
「ああ、14日。」
「マジで?」
「うん。」
「じゃあ、訳のわからないバレンタインデーになっちゃうじゃないですか。」
「何よ、それ。」
「だって女性側から告白する日なのに、何でかあげるより貰っちゃうって。」
「いや、海外じゃむしろ男性からっていう話だし。」
「ああ、それなら良いですよね。」
「うん、まあ…ってそうじゃなくて、」
「あ、俺のですか?25日です。1月25日。ほとんど一月後。実は欲しいものあるんですけど。」
「訊いてない。ていうか、あのさあ、」
食い違いまくる会話に溜息が出た。
「何でしょう?」
「誕生日の話じゃなくて、歳の話。七つも違うんだよ?」
「それで?」
「は?」
「だから何が言いたいんです?」
「いや、普通はそこで、やっぱりすみませんってなる流れだよね、これ。」
今度は仕返しだろうか、大きな溜息が降ってきた。
「上島さんって、」
「何よ。なに、溜息ついてんのよ。」
「結構外側こだわるタイプですか?」
「何それ?」
「年齢とか職業とか。わりとくだらない所で躓いてるんですね。」
失礼千万過ぎてどこから突っ込んでいいのかわからない。呆気にとられていたら、おっとそこ邪魔ですよ、と注意される。地下鉄の入り口で長々と話しているものだから、階段を下りたり上ったりする人たちをよけなければならない。すみません、と今しがたもぶつかりそうになった人に謝っていると、飄々とした声が降ってきた。
「そんなことよりも俺を見て下さいよ。俺、本体。」
「本体?」
そうです、と頷いている。
本体ねえ。私は一歩下がって無遠慮な視線を浴びせた。少しだけ斜めで分けられた黒い髪、すっきりとした眉、切れ長の瞳、涙袋、長めの鼻、薄い唇、鋭角の顎。そびえたっているのかと思う身長。長い手足。革靴を見るに多分足は大きい。
「手、出してみて。」
「は?」
「いいから。両手。」
何ですか、と言いながら突き出された手はやはり大きくて筋張っている。器具を扱うのに有利な指の長さだ。
「ふうん。」
「ふうん?」
「大体わかった。」
「わかったって何が?」
「本体。今アセスメントした。」
「で?」
「うーん…微妙。」
「び、微妙?」
「私、彫りの深いタイプが好みなの。」
「ああ、わかります。センター長ですよね。」
「うん、ど真ん中だった。」
「どっちからだったんです?」
「ねえ、もう歩きながら話す?なんなら。」
いい加減迷惑になっているのに気が引けてそう言うと、いいですねえ、銀座まで行きますか、と手を差し出してくる。
「つながないって。」
「頑な。」
「何とでも。」
「で?」
「で?」
「さっきの。センター長からだったんですか?それとも上島さんから?」
「あー、どうなんだろう。そういう時って、わりと同時ってこと多いじゃない?何か良いなあって思ってるとあっちも見てるとかさ。」
「うわ、具体的ですね。」
「訊いてきたのはそっちでしょ。」
「まあそうですけど。さすがにへこみますね。」
「何が?」
「いやそういう瞬間がお二人の間にあったんだって。具体的に聞くと。」
「具体的、具体的って。じゃあ、あんたはどうったわけ、ミスVIPと。」
「そこまでご存知で。」
「KGBのトップを侮るんじゃないわよ。」
「それ、関根さんかと思ってましたよ。」
「救急ごときに譲るか。」
「敵愾心丸出し。」
「うるさいって。で、ミスVIPとのなれそめはどうだったのよ?」
「何か仲人のおばちゃん入ってますよ。」
「ごまかしてんの?」
「いや、そんなことはないですけど。ただきっかけって言われると、あんまり浮かばないんですよ、いつも。」
「うわ、でたよ、さりげなく“いつも”とか差し挟むヤツ。」
はは、勘弁してくださいよと余裕で笑われている。
「美央とも、別に何がってわけじゃなくて、飲み会で一緒になって気が付いたら隣にいた、みたいな感じで。大抵そうですかね。」
美央。
「さりげないねえ。でもそれでもきっちりばっちりなんでしょうが。」
「そりゃまあ、男なんで、俺も。」
口角を上げて軽く笑うその顔にうっかり惚れそうになる。いかん、気を引き締めなくては。
「あーやっぱりいやらしさダダ洩れだわ。」
無理にうんざりした声を出す。
「でも上島さんは違いましたよ。」
「またまた。」
「いや、真面目な話。第一あれだけ凄まれて好きになるとかってないでしょう、普通。」
「無いだろうねえ、普通。」
「だからはっきり覚えてるんですよ。他の女性たちの時とは違うって。で、妙に心に上島さんが居座ってて。」
「あんた、やっぱりさりげなく失礼だよね。」
はは、ですかね、失礼しましたと言う笑顔を見上げて、本当によく笑うと呆れた。
「だからまあ、お耳に入っているように、残念ながら他の人たちには目もくれずにって訳にはいかなかったんですけど、でもそれでも五年間想ってました、上島さんのこと。」
どんな起承転結だ。
「嘘くさい。」
「どの辺が?」
なぜか距離が近い。この香り、とてもよく知っている。
「他の子たちと付き合いながらも心の中では、って辺り。」
「仕方ないですよ。プライドを捨てろって言われて、捨てたプライドに見合う医者になれたらあなたの前に立つって決めてたんですから。そうしたら、こんなにかかったんで。」
「もっと前に告うとかの選択肢は無かったわけ?」
「無いですね。そんなんであなたの前には出たくなかったですから。」
「あんたの中の私って何?閻魔様とかそんな感じ?」
あっはっは、いいなあ、閻魔様、そう言って爆笑された。
「好きですよ、上島さん。」
笑いながら告われた。そんな笑みまじりの告白は初めてだった。
「…どうだか。」
「まったまた。今結構キュンとしてませんか?」
「するか。私43。」
「俺は36ですけど結構本気出してますよ、今。なんせ五年分の本気なんで。」
「それはどーも。」
「だから付き合ってみましょうって。」
「だから、のつなぎがわからない。」
「嫌いですか、俺のこと?」
こういうこと、自信あるから言うのか?モテ過ぎてもはや色々諸々麻痺してるとか?
「生理的にイヤ、とかではない。」
ははは、それは前進ですかね、とさすが救急の前向きさが炸裂する。どこをどうしたら流れをこっちに引き戻せるのだろう。
あ、そうだ。
「手、出して。」
「またですか?」
そう言いながらもまた突き出してくる。
「掌見せて。」
「もはや命令ですよね、それ。」
と言いながら手を開いている。その掌を見て、一年目に会った時に思ったことを確信した。
「ちょっと訊くけど、」
「はい。」
「私のこと好きなの?」
「はい。」
「付き合いたいの?」
「はい。」
「肝試し?」
「は?」
その間抜け顔がおかしくて笑えた。銀座の夜に笑い声が上っていく。
「やっぱり変人。」
「変人ですかねえ。それは初めて言われたな。」
情けなさそうにも面白そうにもしている瞳で言っている。
「じゃあよく言われるのは何?」
「好きです?」
「言ってろ。」
何なんだろう、本当にこの男は。
「手、」
「またですか、はい。」
面倒くさそうに突き出してきた手を握った。
「え?」
やっぱり。大きくて温かくて、そして少し濡れていた。さっき確認した通り、緊張の汗がうっすらと浮いている。口ではすらすらと言っていても生真面目さは隠せない。
「え、じゃないわよ。なに、呆けてんのよ?つなぎたいつなぎたいって、言ってなかったっけ?」
いや、それはそうですけど、いきなりだなあ、とぶつぶつ言いながらもしっかりと繋ぎ直してくる。大きな手に私の手がすっぽりと収まった。その瞬間に湧き上がった想いなんて知らないふりをする。なのに、この男は繋ぎ合わさった手をしげしげと見て無粋な質問をしてくる。
「これ何なんです?交際承諾?」
訊くなよ、そんなの。
「Whatever it is。」
照れくさすぎて余計恥ずかしい返答をしてしまった。しまった、揶揄われると思った矢先、マジか、でもまあいいか、じゃあキスも行っちゃいます?と能天気丸出しの言葉が降ってきて、繋いだ手を内側から思い切りつねった。
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