手のひらに、少しの幸せを

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 飲み屋街でゆっくり落ち着いて酒を飲める場所を見つけた英雄は上機嫌だった。東京のように華やかさは欠けるものの、滋賀県のローカルな雰囲気が英雄は嫌いではない。  いつもは大阪府への配送が多い英雄は、大阪市内に行きつけの飲み屋を何件かもっていた。滋賀県への配送は大阪府と比べると少ないため、英雄にとって行きつけと呼べる店はほとんどない。だから滋賀県に来ると、あちこちの飲み屋街に足を運んでいた。今日はたまたま宿泊したビジネスホテルの近くに以前から気になっていた飲み屋街があったので、そっちに行こうと今日の朝から決めていた。間接照明が適度に利いた店内は、美しいママの顔を際立たせる。英雄はとにかく上機嫌だった。 「いや~、こんな綺麗なママさんがいるなら、毎日でも通いたいねぇ~」と英雄は赤くなった顔で豪快に笑った。 「またいつでも来てくださいね」や「関東の男の人って真面目で素朴で素敵やわ」などとゆったりとした関西弁で褒められると、心を鷲掴みにされてしまう。店内はカウンターに六席だけの、本当に小ぢんまりとした店だったが、ゆっくり飲むならこれくらいの規模の店が良い。  客は一人で上機嫌に飲んでいる英雄の他、二名で来ている四十代程の男性の二組だけだった。この二名の男性は常連なのだろうか、静かに飲み、たまに会話を交わす程度の落ち着いた客だった。そんな客から子育てについての会話が聞こえてくる。何気なく耳を傾けていると、どうやら二人とも小学五年生の男の子がいるらしい。クラスは違うが学校は同じで親ぐるみで仲が良いのだろう。英雄は「ふーん」といった様子で話を聞き流した。そういえば悟も小学校五年生だっけか。突如として悟のことを思い出す。いけねぇ、そろそろ帰らないとまずいな。悟がいないにしても、明日はまた東京に帰らなければならない。酒を抜くためにも、もう帰ろうと英雄は席を立った。 「ママさん、お勘定~」英雄がママを呼ぶ。 「もうお帰りですか?」と関西訛りで英雄に話し掛ける。英雄は名残惜しそうに「明日朝からトラックを運転しなきゃなんねぇんだ」と説明した。 泥酔状態ではないが、ほろ酔い気分の英雄は、ママさんからタクシーを呼びましょうかという提案されたが優しく断った。悟と別れたラーメン屋からタクシーでここまでは五分程度。  英雄の足で歩いたら十五分か二十分程度といったところか。それなら酔い覚ましがてら歩くのも悪くないだろうと、英雄は歩いて帰るとママに言い、勘定を済ませた。    店を出ると秋の夜風が英雄の全身を包み込む。暑すぎず、かといって寒すぎず、酔いを覚ますには心地よい風だった。ビジネスホテルの方角を目指して歩き出す。  周辺はローカルな雰囲気の飲み屋が立ち並んでおり、賑やかというより、息を潜めて佇んでいるといった印象だった。しかし寂れた感もなく、地元客で成り立っているという雰囲気の方が近かった。英雄はお気に入りの歌謡曲を鼻歌交じりに口ずさむ。コンビニでミネラルウォーターでも買っておこうと、英雄はきょろきょろと辺りを見回した。  飲み屋街を抜けると国道があっただろうから、コンビニの灯りもすぐに分かるだろうと、ひとまず飲み屋街を抜ける形で歩を進める。すると何やら周囲が騒がしいことに気付いた。 「何やあれ」「子供が……」「親はどないしてん」「こんな時間に」と関西弁でざわつく声が耳に入った。「何だ、迷子か」と英雄の興味もそちらに吸い寄せられた。  ローカルな飲み屋街で人の通りは決して多くないが、野次馬が野次馬を呼ぶ形で、あっという間に人だかりができ始めていた。英雄もどんな様子なのかちょっとだけ見てみようと人だかりの方に向かって歩く。英雄の視界に入ったのは、小学校高学年くらいの男の子と、大人の男が三人で向かい合う様子だった。決して穏やかではない空気が流れている。 例えて言うならカツアゲか、いや大人三人が小学生にカツアゲをするはずがない。子供が何か大人に粗相をしてしまい、それを咎められているという感じだった。  明らかに大人が優勢で、子供が劣勢の図が出来上がっていた。英雄はその様子を見て「あーあ、ガキが一人でこんな所で何やってんだか」と思ったが、その子供の顔を見て英雄は驚愕した。  酔いも一気に醒めるほどの光景だった。大人三人に囲まれているのは悟だったからだ。悟の足元にはエルまでいる。困った様子で「にゃあ、にゃあ」と鳴いているが、一体何があったのか。悟はビジネスホテルに先に帰ったのではないか。エルはトラックに置いてきたはずで、しかもここは飲み屋街。どうして悟とエルがこんな所に。しかも大人三人と険悪な雰囲気になっているのか。ひとまず事情を聞こうと足を進めたが、ある一つの思いがよぎり、ぴたと足を止めた。野次馬の中に紛れ込み、悟を観察する。  野次馬の中には「子供が可哀そう」「誰か警察に電話した方がいいんと違う」と囁く者もいたが、誰も実行に移そうとはしない。所詮は野次馬、事の顛末が気になるのだ。 「そもそもどうしてこうなったん?」野次馬の一人が疑問を口にした。英雄もそこが一番気になっていたので、その野次馬の近くに張り付いた。誰かが説明してくれると思ったのだ。「俺は知らん」「俺もや」と言葉が飛び交う中で「俺見てたから知ってんで」と口にする者がいた。英雄はその声の方に神経を集中させた。
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